小説 | ナノ

「さむ」

ひやりとした春風が通り抜けたのをきっかけに、無言の合間に言葉を落とす。わざわざ口にしたのは気まずさゆえだったかもしれない。

「そう?」
「今日は陽が出てないから」
「眩しくないし、私はこれくらいがちょうどいいな」
「あ、そう」

言葉を否定されれば嫌気が差し込んだ。たとえそこに悪気がないのだとしても。
池田はため息をこぼす。隣を歩く女はといえば、自分の言動など気にする風でもなく前を見ている。大きいわけでも小さいわけでもない黒目で、ただまっすぐに。その目の下にあるのは小ぶりな鼻だ。それが少し上を向き薄桃の唇が開きそうになったのを見て、池田は慌てて視線を外した。

「あ、鳥が翔んでる」
「そりゃ鳥くらい飛ぶだろう」

…これは断るべきだったな。
頓珍漢なやり取りを何度か繰り返せば、そんな気持ちがもたげてきても不思議ではない。池田は誘いに乗ったことを後悔していた。

「池田三郎次くん。ええと私…花岡花子と言います。もしも暇なら、これから美味しいと評判のお団子屋さんに、一緒に行ってくれないかな。」

あまり話したことのないくのたまから話しかけられ、池田もはじめこそ警戒したが、自分一人騙したところで大して利のある誘いにも思えない。くのたまに粗野な雰囲気もなく、折よく時間があったのもあり迷った末に了承した。白状すると綺麗な栗色の瞳が緊張しながらもまっすぐ自身を見ていたから、いかにもな逢い引きの誘いに浮かれて頷いてしまったのが本当のところである。

友人は揃って委員会が忙しく、自分も暇をもて余していたのは確かだ。それでも大して交流のないくのたまの誘いに乗るなんて迂闊だったとしか言えない。第一くのたまに対して浮かれていたなんて忍たまとしてどうなのだ。

「あー行っちゃった」

件の彼女はまだ空を見ていたらしい。やっと鳥を見送ったようだ。
今となってはその、およそくのたまらしくない彼女の雰囲気が「くノ一」としては完璧に思えて、池田は腹立たしささえ感じていた。

だが。

もう一度隣に視線を向ける。
さらさらの黒髪の向こうに少し覗くまつ毛。そこには意思のある栗色のきれいな瞳があるのを池田は知っている。それがどうしたという話だが。なぜか約束を突っぱねて学園に引き返す気にもなれなかった。


「お団子屋さんみえたよ」
「、ああ。あれか」

彼女の声で意識を引き上げる。ぼんやり考えていたうやむやを、池田は一度打ち消すことにした。そういえばこの外出の目的は団子屋だったのだ。
丘の上にこじんまりとした屋根と少しの人だかりが見える。この様子から察するに、評判の、というのもあながち誇張でもないようだ。
さくさく歩く彼女の半歩後を付いていけば、すぐに店に到着した。小さな店構えをぐるりと見渡して様子をうかがうと、なんとなく見覚えがある団子が並んでいることに気がつく。

「食べたことある、ような」
「有名だから、誰かに貰ったことがあるかもしれないね。私は前に友達と来たんだ。ここは最後に出てくるお茶がものすごく熱いんだよ。いつも火傷しちゃうから池田くんも気をつけてね」
「へえ」

何てことのない世間話にうまい返答ができないことにそわそわする。果たして自身は、なぜくのたまと並んで団子を食べようとしているんだろうか?そんな自問をして、池田は一瞬浮かびそうになった自答を掻き消すように団子を頬張った。途端に餅の香ばしさが広がり、その味に目を見張る。

「、うまい」

素でこぼした声に彼女がこちらを向く。かと思うと、その表情を途端に和らげた。間近で見た瞳が形を変えたことに動揺し、またその答えを探そうとするのを抑えこむ。とにかく団子を味わうことに専念する。そこで池田は、この団子の味を思い出した。くノ一教室からお土産と言って貰った激辛団子。この辛味がなければな、と思った味だ。

「…これは…食べたことある味だな、激辛だったけど」

やはりここに連れてきたのは新手の嫌がらせか、と思ったのは一瞬で。それよりも池田は、はっとした表情でわかりやすく顔を青ざめさせた彼女を見たことで毒気を抜かれてしまった。

「そ、そうなの…くノ一教室では、よく実習で、使ってる、かな。池田くんもそれで食べたことがあったんだね」
「ああ。唐辛子入りじゃなければ旨いのに、と思った」

予想以上に旨かったのに、微妙な気持ちと雰囲気になってしまったのは仕方ないだろう。途端に居心地の悪い沈黙が支配する。それまでは居心地が悪くなかったのだ、とそこでやっと気が付いた。

「…今日は実習用の団子を持ち帰るために来たのか?」
「ううん。そんなつもりじゃなかったんだけど。嫌な気持ちにさせて、ごめんなさい」

なんとか居心地を取り戻そうとして言葉を繋げば、彼女はすこし悲しそうに微笑んで謝ったから、これは失敗だったと気がつく。別に唐辛子団子を彼女から貰った訳ではないのに、意地悪な質問をしてしまった。彼女に居心地の良さを求め、何故か焦って喋ってる自分にも池田はうんざりしていたが、何より彼女を落ち込ませてしまったのが辛かった。喋れば余計なことを言って失敗しそうなのはわかっていたのに。
またくすんだ沈黙が広がっていくのを感じる。曇り空には日差しが射し込んできたが、ここには暗雲しかないようだ。

「なあ、なんで俺と来たの?」

どちらかというと自分に嫌気が差してこぼれた質問は、またも意地の悪い響きを持って出たがもう遅い。池田はすぐに後悔したが、彼女は予想に反してぱっと顔を緩ませた。

「来たかったから!」
「それは答えじゃない」
「うーん、来たかったから。かな、本当にそれだけなんだ」
「…あっそ」
「うーん。疑うよね」

本当は瞳に違わずまっすぐな気持ちが嬉しかったのだが、当然素直な言葉は口から出ない。彼女がそんな自身に怒らず向き合ってくれるのが不思議だった。

「でも私、本心を出すことでしか誠実になる方法なんてわからなくて、そう言うしかないんだ。私はくのたまだから、どうやっても池田くんは疑っちゃうでしょ? これだって、もしかしたら忍たまを騙す実習かもしれないもんね」

まっすぐ池田の方を見て彼女は一気に喋った。

「悪い」
「謝らないで。それで当然だから、池田くんが謝るのは、おかしいよ」

くすくすと笑うと栗色の瞳が余計にきらきらして見えてしまうから、池田はうまく彼女の顔をみられないでいた。本当は彼女の名前だって言わないだけで、しっかり覚えている。あえて呼ばないのは、彼女の言うとおり彼女を疑って線を引いているからだ。
あのね、と彼女が少し小声になって続ける。

「これはまだ言いたくなかったんだけど…私はね、隠さないで言いたいことを喋る池田くんを見て元気をもらったから、私も池田くんに元気をあげられるようになりたいって思ったの。だからまずは仲良くなりたくて今日、誘ったんだよ」

何故か彼女の中に美化されている自分がいて、池田は騙しているような微妙な気持ちになる。言いたいことを言っては、一言多いとちくちく刺される日々である。騙しているのでないとすれば、きっと彼女は相当変わっているのだろう。

「お店選びは失敗してるし、私が池田くんにできることなんて、ないかもしれないんだけど」と自信なさそうにこぼす彼女に、それはない、と本心から素直に返してみる。

すると、びっくりした顔をした彼女の顔が少し紅く色付く。池田はその顔が面白くて笑ってやったふりをして、その実、初めて見る彼女の表情に照れて焦っていた。拗ねて怒った彼女に本気で焦って謝れば、「冗談。池田くんが笑ってくれて嬉しい」ととんでもなく可愛い顔で言う。そう、可愛い。池田は認めた。彼女は可愛くてまっすぐな瞳が綺麗だ。一緒にいると心地いい。彼女に褒められると嬉しくて幸せな気持ちになる。もしも騙しているのだとしても、彼女にならまぁいいか。と思っているのだから困る。正に腑抜けだ。たまらず置かれたお茶を一気に飲もうとした池田の手を、彼女が慌てて止めた。

「ゆっくり飲まないと、あついよ」

本心から心配しているだろうが、手は湯呑みに重なるし、不安そうな顔が近い。池田は腑抜けが加速するのを感じていた。色々熱い。たった一日、半日で、くのたま相手に、この体たらく。なんてことだろう。だめだこのままでは。

「行こう、花岡」
「…え、う、うん」

茶を飲むのは諦めた。湯呑みを置いて、彼女の手を引いて、池田は混沌とする思考と共に慌ただしく店を出た。

おそらくは無自覚に繋がれた手に、彼女、花岡は混乱し、この状況の理解に努めてみた。しかしわからない。ただ苗字を覚えてくれたし距離が縮んでいる気はするので、色々恥ずかしいがまあいいかと結論付けた。外に出るとすっかり晴れているし、この先もなんとかなるだろうと思うことにする。彼女はくノ一教室で心配されるほどの素直なおっとりさんであるのだ。もちろん花岡は池田を騙す気など毛頭なく全て本心だった。
だが、事態は色々と拗れた。彼女がくのたまだった故に池田が初恋を色々と拗らせてしまったことを、まだ誰も知らない。



(池田の日2021)
朝雲の逢引

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