庭球 | ナノ

臆病な私たちにさようなら




背中が心地良い。
黙ってもたれ掛かる私に、黙ってそれを受け止めてくれる―――

「…柳生」


いつからこんなんになったんだろうね?
私が柳生を好きになってからだろうか。はたまた柳生が私を好きになってからだろうか。もうわからない。そこまで長い年月がかかっていないにも関わらず、お互いがこんなになってしまった理由がわからない。

お互いに「好き」だと自覚しておきながら、何も言わずに隣にいて、生きている。だけど「好き」だなんて口にしないまま続く関係に周りは黙っていなかった。


「……柳生」
「なんですか」
「、んーん。なんでもない」


彼の綺麗に整頓されている部屋で、黙って背中を預け合いっこして。これがあの中学3年から変わらず一緒だというのが笑ってしまう。
恋人ではない(周りからみたらそうかもしれない)。だけどお互いの存在が支えで(依存、なのかな)。

唇を求めたことは一度ある。だけど一を望めば十も百もほしくて、柳生の全てがほしくなった、唇をはなした瞬間に。全て手に入れることができなくて寂しくて悔しくて、それは柳生も一緒だったみたいで、それからは求めなかった。したいと思わないわけじゃない、だけどした後の虚無感には耐えられない。
体を求めたこともある。唇がダメなら、と思ったけど唇以上に自分を掻き毟(むし)りたくなるような症状に陥るのはわかっていたから、やめておいた。


「葵、さん」
「いつもみたいに…葵っていって」
「ですが」
「ねえ」
「…はい」
「…………、」
「…………」
「…なんだろうね、私たち」
「……何でしょうね」


お互い好きだと自覚しておきながら、なにも進まない、進めない。
きっと、たくさん求めた後に離れることと、いつかくるかもしれない別れがつらいから、宙ぶらりんのままでいたいのかもしれない。そんなことを思う私は、こども。

「では、葵」
「うん?」
「私のことも、いつも通りに、比呂士、と呼んでいただけませんか」
「…比呂士」
「はい」
「呼んだだけだよ」
「はい、わかります」
「……うん」


ほんと、何やってんだろ。ただ名前呼び合うだけだなんて。
お互いの想いは知ってるのにね、私たちは、臆病なだけ。
一人になるのも怖いから、私は余計に何もできない。やぎゅ…比呂士を手に入れたら、他に何もなくなっちゃうんじゃないかって。それで、比呂士もいつか私のそばから離れてくって。

すると突然握られた私の手。比呂士の大きな手に包み込まれてる。あったかい。


「葵、」
「なに」
「………一歩、踏み出してみませんか」
「踏み…だす、」

比呂士に握られた手を、ぎゅっと握り返す。無意識でしたその行動に、しっかりと握り返してくれた比呂士はやさしい紳士。

「私たちはずっと臆病でしたね」
「…私は今もだよ」
「そうですね。ですから今から臆病じゃなくすのです」
「どうやって?」
「すきです」
「……、え」
「すきです。葵、あなたが」

背中越しに伝えられ言葉に、ドキリとする。今まで私たちが臆病のまま口にせず沈黙を通してきたセリフを、難なく言ってしまった。
驚いて、後ろの比呂士を振り返る。そうすれば、比呂士もこちらをみていた。


「え、ちょ、比呂士どうし」
「ずっと怖かった。この言葉を口にすれば貴女が消えてしまうんじゃないかと。でもそんな事はない、私が臆病だっただけです」
「ひろ、し」
「口づけをしましょう。その後の虚無感なんて、またしてしまえばありません」
「…、」
「口づけはしたことがありますが、身体を重ねたことはないですね」
「だって…」


恋人じゃないから。
そうは言えなかった。口付けをした仲だもの、恋人じゃないなんて今更なにを言うか。


「身体、までしたら、その後がこわくて」


嘘じゃない。絶対、行為が終わった後にしにたくなる。それほどに求めてしまう。きっと。


「それは、してみないとわかりません」
「え、?」
「口付けと同じとは限りません。愛で、満たされるかもしれません」
「……プッ」
「な、何が可笑しいんですか」
「ひ、比呂士が、愛とか…っ」
「失礼ですね。貴女のことに関しては真剣ですよ」
「…うん」
「ですから、口に出してみませんか。…葵」


すき
たった2文字が怖いの。
たった2文字でこの気持ちを表してしまうから、怖いの。
2文字に全てが収まるとは限らないの。私、こんなにすきなんだよ。
でも、それを何回も、何十回何百回つづければ、全部伝わる?

「比呂士」
「はい」
「…すき」



臆病な私たちにさようなら

(口にしたら、何か変わるかも)
(ずっとずっと君がすきだよ)
(やっと、一歩。踏み出せた)


――――――――――――
紳士が書きたかっただけです。
こう、臆病者同士って、一番深く結ばれてると思うよ。

2011.02.
- ナノ -