※社会人




仕事を終えて自宅へと帰る。上司の機嫌が悪かったとか、後輩がミスして少し時間がかかってしまっただとか、逆に後輩がほめられていただとか、日々いろいろある。その中で今日は自分の仕事が定時に終わらず残業をすることになってしまった。いつもより一時間と少し遅い帰宅。疲労で重たい足を動かし思いのまま休むことのできる自宅へ。


「ただいま」


鍵を開け、扉を開ければ部屋の中からいい匂いが鼻を掠める。野菜の煮込まれた甘い匂いが微かにする。キッチンを覗けば鍋をお玉でかき混ぜている恋人の姿。


「おかえりー」
「………」
「ちゃっちゃと着替えて手伝ってー」
「………」
「由孝」
「はい」

前二つとは打って変わって冷たい声で名前を呼ばれる。キッチン横で固まったまま料理をする香代の姿を見ていたが、流石にあの声のトーンで名前を呼ばれた後は怖いので直ぐに反応をして部屋に行く。着替えは律儀にベッドの上に畳んであって、ちゃんとスーツを掛けるようにハンガーも外に出ていた。何とも気の利く奥さん(予定)だと関心をする。と同時にほっこり温かい気持ちになる。
一人で家事をずっとさせるのもあれなので早々に着替えて手伝いに。っとと、その前にちゃんと手を洗ってうがいをして。そうしてキッチンに向かう。

先程と同じく料理をしている恋人。スリッパをはいてパタパタ音を立てて歩きながら、エプロンをしてキッチンに立って。主菜を作っているのか空腹に刺激のあるいい香りが鼻を掠める。俺のために食事を作っているその姿に堪らず後ろから抱きしめた。


「ぎゅっ」
「……お皿出して」
「もうちょっとこのアングルから堪能させて」
「一生拝めないようにしてやろうか」
「スミマセン」

帰ってきて名前を呼ばれた時と同じく、冷たい声で言われる。いや本当、構わず続けていたら口をきいてくれなくなるどころか料理を中途半端にしたままで出て行きかねない。もしかしたら数日顔も見せてくれないかもしれない。
そんなことが起こってもらっても困るので渋々抱きしめていた身体を開放する。…けれどさっきのあれはないんじゃないか。まあ本気で言っているわけでもなく、冷たいけれど「危ないから今は大人しくしてて」という意味が含まれているのは理解しているつもりだ。が、恋人同士のスキンシップくらいもうちょっとやんわりした断り方をしてもいいのに。

「なんだよ…やっと同棲してさー可愛い恋人が待つ自分の家なんだしさー」
「はいはい、冷たくてごめんなさいね」

主菜を乗せる大きめの皿を棚から出して手渡す。俺の方を見ずに皿を受け取った香代は何事もなかったかのように調理を続けていく。うん、何か期待をした俺が悪かった、悪かったよ。
料理中にそっけないのも気を散らせると大事になりかねないから、という気遣いであることは知っている。大人しく出来上がっているサラダと箸休めの副菜を言われる前にダイニングテーブルへと運び、箸や小皿などを並べようと俺も自主的に動き出した。


「…俺、超嬉しいんだよね」


箸をきちんと並べながらいう俺に、少しコンロから視線を上げた。変な顔をする恋人は絶対違う意味でとらえている。いや違うよ、冷たくされるのが嬉しいんじゃなくてな?!と一言置いてから口を開く。

「仕事から疲れて帰ってくると真っ暗な部屋。飯もなんも用意されてないから自分でやるか買ってこなきゃだし。付き合ってても帰ってくるところは一人だし。デートの後とか一緒にいた分、一人が余計にダメージデカいわけ」


学生の頃なんかは実家に帰って温かい家族のぬくもりを感じられていた。一人暮らしになってからは滅多に味わえないそれに、仕事疲れは追い打ちをかけるようにして寂しさを募らせる。料理は出来る方だが、男一人の生活であえてきっちりとした食事をするのも虚しく簡単なもので済ませることも多い。
時折、休日にお家デートしたり、外に出かけて夕飯は家で、なんていうときくらいは香代が食事を作ってくれていたけれど、やはりそれはその時だけで。楽しいし嬉しいし、いい事のはずなのに。香代の帰りを送って部屋に戻るといつも通り一人の部屋。泊まっていく日もあるが、帰る家は変わらずに暗く寂しく、一人の生活。恋人がいて充実していることに感謝しなければならないのに、一緒にいた時間を思い出すと余計に寂しさが増す日々。


「それがさ、今だと疲れて帰ってきても大抵香代がご飯作って待ってて、部屋が明るいし暖かい。なにより香代のいいにおいがする。デートの後も一緒に帰るし、…一人じゃないってすごい嬉しい。香代待ってる家に帰るって、すっげー幸せ」

こうやってちょっと食事の支度を手伝って、料理をする香代の姿を見て椅子に座りながら待ち、緩む頬をそのままに幸せを感じる。ああ、一人じゃないんだなあ、と実感する。溢れ出す幸福に胸の奥が熱くなって、俺もう死んでもいいかもしれないと思う程。
そう思いながら語る俺の話にしっかり耳を傾けながらも調理する手を止めない香代。出来上がった主菜を更に盛り付けるのを見ていると、短くも深いため息が聞こえた。


「由孝…それ口説いてんの?」
「はあ!?ちょ、俺は真剣に今この嬉しさを伝えて」
「あー、あのさ。変に偏った知識でナンパするよりも自然に接してたらモテてたんじゃないの、普通に」

はい、と主菜のお皿を前に出し、視線が受け取れと言っていたので大人しく受け取りテーブルに置いた。
香代は使用したフライパンを洗いながら、背中越しに会話が進んでいく。

「ま、そんな残念な由孝だったから売れ残り見つけられたんだけど」
「ねえ…売れ残りってひどい…」
「うそうそ。私の最良物件〜」
「物件て!!」


残念って、売れ残りって、物件て…いくらなんでも酷すぎる。しかし楽しそうに話してくるあたりは俺のことを好きでいてくれるからだとは思うけど。…でも悲しいだろ、恋人にそんな扱いされて。由孝泣いちゃうぞ。自分で言ってて本当に悲しくなったので肘をつき、組んだ手を額に当てて沈んだ格好をしてみる。先ほどの香代の言葉がますます深くに突き刺さってくるようで、本気で泣きそうになったので止めた。
全てが終わり、漸く香代が俺の前の席に腰を下ろせばニヤリと何かたくらんだ笑みを向けられる。



「だって私の帰る家も、由孝の待つ家だからね」


いっただきまーす、と一人勝手に手を合わせて挨拶をし食事に箸をつけていく。俺は何を言われたのか理解するのに数秒要した。
ちょっと、俺の思考を置いていくなよ。ちゃんと説明してよ。ねえ!



きみの待つ家



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よしたかと同じ家に住みたい…
14.12.09.
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