※帝光




「もう緑間くんに勉強見てもらうのも終わりだねえ」


季節は冬。年も明けた1月。冬の図書室は暖房が利いているが、窓際の席は少し寒かった。斜め向かいに座っている同級生、緑間真太郎を見ながら香代は呟く。向かい合わせに教科書とノート、問題集と勉強道具を広げている空間に爆弾を落としたかのようにお互いの手は止まっていた。
緑間は推薦により春から進学する高校は既に決まっている。勉強する必要は特にないのであるが、最後の試験、それすらも人事を尽くすのだと受験生と同じように勉強をこなしていた。いつの間にか試験事の時は勉強を見ることになっていた香代の受験勉強の手助けをしながら自身の勉強にもストイックに取り組んでいる。
突然何を言い出すのかと思えば、と眼鏡を指で持ち上げる。そんな緑間に香代は持っていたシャーペンを置いて頬杖をついた。


「だって違う高校に行くから」
「…秀徳を受ければいい」
「私そんな頭ないでしょ」
「俺が見続ければそれなりの成績は出せる」

お前は呑み込みが早くて教える方も楽なのだよ。そんなことをいつの日かの試験勉強中に言われたことを思い出す。あの時は「勉強に付き合わせてごめん」と謝ったので、気にするなという方便だったのだと思っていた。しかしその後も、しょうもない授業の質問でさえも教えて…しかも先生よりもわかりやすく…くれるので、結構面倒見がいいんだなと思った。
私が出来ないところを出来るようになると、ツンとしているが口端が持ち上がってることもあるし、人事を尽くしているからとおしるこを貰ったこともある。私の勉強を見てくれることに乗り気じゃないことはないと遠回しに言ってくれている気がして。
だからこそ受験シーズンになっても変わらず勉強を見てもらっている。でもそれが駄目なことはずっと前から気付いている。このままだとわたしは、


「ずっと緑間くんに勉強見てもらっても、」

私は、甘えたままじゃ駄目だから。


「……同じ大学とか、進路とかになるわけじゃないから」

言わんとすることが分かったのか、緑間は静かに机の上へと手を置いた。その手を見つめて香代は言葉を続ける。きっとわかってるはずだけれど、自分の言葉で言わないと意味がないから。

「理系とか文系とか、学科とか、違うの選択してるのに緑間くんに勉強見てもらえないでしょ。だから早々に緑間くん離れしておくの」

推薦で進学する彼は今以上に高校でバスケットボールと向き合わなければならない。勉強は変わらずするのだろうけど、今よりもバスケットボールに打ち込む中で自分の勉強を見てもらうのは彼の負担がかかる。
それに緑間の得意科目は生物と化学…つまり理系に進学する確率が高い。香代は生物や数学は好きだが決して理系脳ではない。国語もそれなりに得意だし、ぶっちゃければ文系へ進むつもりでいた。
進学系統や選択科目などが違うにも関わらず、今のように緑間に勉強を教えてもらうのには申し訳がないのだ。それが同じ高校へ進学してみればどうだ。近くにこんなにも聞きやすい教師代わりがいるのに、他の人間に聞かなくてはならなくなる。だったらいっそのこと別の高校へ行ってしまえば自然と手段が経たれる。遅かれ早かれ、緑間に教えてもらう“心地よさ”から離れなければならないのだ。ならば手をくれになる前に離れるほかにないだろう。
香代の言葉に緑間は眉を顰め、一瞬…その瞳に影を落とした。


「そんなに俺は頼りないか」
「えっ いやむしろ頼りまくりだから困るんですけど」


まってこいつ分かってなかったのか。分かってたと思ったけど実は分かってなかったのか。…ああ、うん。知ってた。分かってるかもしれない、と思っても実は分かってなかったりとか、今までもあった。そんな成りだから勘違いするけど、分かってもらえてないことがあるのは知ってた。
緑間は、自分の「緑間離れ」を寂しく思ってくれているのだろうか。先の瞳に落ちた影は…そう思ってくれているのだと期待しておく。


「ふふーん。そんなに私に秀徳受けてほしい?」
「別に思ってないのだよ」
「まあ受けないけどね」
「…橙堂」

期待をさせるような言葉で上げて、落とす。
こんなことで、緑間が「受けてほしい」だなんて言ったら明日は槍でも降るかもしれない。そうして香代が「じゃあ受ける」なんて返した日には、緑間はもうきっと香代の勉強をみてくれることはないと何処かで感じていた。言われるままに受験校を変えるなんてこと彼が望むはずがないのだ。本心はそうでなくても彼は何処かで、自分の道は自分で、という意見も持っているはずだから。

…と、ここまで言ってきたものの、緑間と特別な関係ではなく。本当に、臨時でヘルプマネージャーをしたり、試験勉強を一緒にしたりする、ただそれだけの関係だったのだ。それだけの関係だった、はずなのだ。お互いに心地よくて、安心して、安らぐ場所だったのに。その場所に別の感情を持ち込んでしまったのはどっちだろう。


「緑間くんはもっと人間的なものを学んだ方がいいよ」
「何?」
「人間的な…深層心理?違うか。本能的な、直感みたいなやつ」


例えば一緒にいてドキドキするとか、話すのにも目を見るのに緊張するとか、そんな些細なことから始まるような。


「ね、勉強じゃなくて、もっと人間的なものを一緒に学んでみたいな」


例え高校が別々になっても、それならきっと出来る気がするから。
机に置かれた緑間の手に手を重ねるようにして触れる。分かち合うように伝わってくる熱は、きっと同じだと何処かで確信しているから。


アドレッセンス リファイン




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14.11.10.
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