海賊 | ナノ

ガラスの底に見えるもの




キャスケットという硝子に包まれた。
世界は見えるのに、手を伸ばしても阻まれる。触れれば暖かいのにこんなにも私を世界から拒絶する。

「ただいま」

硝子を割ることは出来ないから。
私は、硝子という囲いの中で生きる。







左手は拘束具をつけられ、それはベッドへ括り付けられている。
部屋の中はある程度動けるように余裕が持たれており、この部屋の中ならば基本的に自由に暮らせた。

ただ、扉から向こうに足を踏み出すことはない。手は届いても足は届かず。
私は世界と拒絶したまま。


「おかえりなさい」

ちゅ、と頬に唇を落とされる。私もそれに返してキャスケットの頬へ唇を押し付けた。

「今日もなんともなかった?」
「平気だよ」
「そっか、よかった」

部屋を出て戻ってきてはこの行為を繰り返す。キャスケットに抱きしめられ、存在を確認される。そのたび私もキャスケットに見捨てられていないのだと、存在を確認するように抱きついた。


「船長がチェックしろって」
「わかった」
「俺がシャワー行ってる間にできる?」
「うん。大丈夫」
「少しゆっくりしてくるな」


夜、時折こうして船長から仕事を預かって帰ってくる。決して多くはない量だからキャスケットがシャワーに行く間に大抵は出来る。出来なければ翌日のお昼までに仕上げれば何も言われない。
ほとんどが書類や物品状態の確認などで、私はここを出れないため指示をするだけ。


「(今日も特になし、か)」

海賊船との衝突もなし、大きな怪我人もないため物品の変化は見当たらないはず。

「(…ん?付箋がある)」

付箋は足りないものや物品破損などがあった場合に貼られて来るものだ。ファイルのページを開き、印されているところは手術物品の欄だ。


【手術物品が一部、数が合わない。
滅菌保管してあるところをもう一度数え直してみる。
  バン】


怪我人の治療はしたかもしれないが、ここ最近、手術はなかったはずだ。だから数が合わないなんてことはないはず。
手術物品の破損届があったかは定かではない。バンには滅菌保管所を任せて、他の場所へ保管されていないかと破損・廃棄届の確認をしなくては。
そうと決まればまずは破損・廃棄届の確認をすべくファイルを漁るのが第一、とここに囲われてからたまったファイルの山から取りだそうとしたときだ。
キャスケットがシャワーから上がってきた。


「あ、おかえり…」
「おう。何かあった?」
「う、ん。ちょっとね」

ファイルの山から手を退け、シャワーから上がったキャスケットの頭をわしゃわしゃする。乾かしていないので水滴がついたまま。風邪を引くからと、最近では私がキャスケットの髪を拭いている。
いつもなら頭を此方に傾け、おまけに屈んでくれるのだが、今日はそれがない。身長差があるから正直、拭きづらいのだけど。
どうしたの、と口を開けようと頭から手を離せばキャスケットは不敵に笑う。何故かそれに、ゾクリと悪寒のようなものを感じた。


「もしかしてさ、…コレ?」

背から伸びたキャスケットの手には、一般にメスと呼ばれるものが握られていて。
何をされるんだろうかと言葉が出ない。身体も動かない。逃げられない。

「ど、…して」
「バレないように滅菌室から一セット借りてきた」

チラチラと照明に輝くのは自分も見たことがある。船長が手術の度に必要とするものだ。


「何に使ったか分からないハサミなんかより、よっぽどいいじゃん」


その言葉から、自分が次に何をされるかが分かってしまった。わかって、しまった。皮膚、皮下を切る目的のそれを手にするキャスケット。
逃げようと震える足を動かすが、左手からこの部屋に繋がれているため叶わない。扉を叩けば外の誰かが気づいてくれるだろうか?でも扉まではギリギリ行けるかどうかで、余裕はない。
後退りをする。室内での追いかけっこならばどうにか出来ないだろうか。
そう思って身体を動かし、方向転換をした時だ。

「ッあ…!」

自分と部屋とを繋ぐ拘束具に足を絡ませ、体勢を崩した。
床に這いずる形になった私を、キャスケットはそっと見下ろす。私を仰向けにさせ、傍らに跪く。ここまで近付かれたならば逃げられない。


「震えて、可愛い」
「…!」
「…泣いちゃって。俺は泣いてるティナーも綺麗で好きだけど」

溢れ出る涙は抑えられない。次々に流れ出し、視界をふにゃりと歪ませていく。キャスケットが指で涙を拭うが意味もない。
涙は止まらないと理解したのかキャスケットは苦笑する。拘束具のついていない右手を取られ、慰めるかのように掌へと唇を押しつけられた。
そして持っていた刃物を人差し指の腹へと宛てがい、スッと引いた。
ピリッとした痛みを感じると共にだんだんと熱を帯びる。


「ティナーの肌は白いから、赤い血がよく映えるな。黒い髪も輝く涙も、全部全部…甘くて、俺を酔わせる」

ぷつり、指の腹から顔を出した赤い血。細く掌に流れ、肌を汚していく。
再び指に滴を作り出した赤。この身を流れる血は止まることなく。



「今流してる涙も、髪一本、血一滴に至るまで、俺のだ。誰にも渡さない」















『髪、以前より傷んでないか』

『擦り傷でも切り傷でも、自分の身体でもちゃんと処置しろ』


はっ と、つい最近の会話が頭を過ぎった。
私の身体を抱きしめ首元に顔を埋めるキャスケットの背に手を回しながら思い出す。
最近だ。最近のペンギンと船長との会話だ。




――――――――
―――――
――



「髪、以前より傷んでないか」


食事を取りに来たペンギンに指摘され初めて気にした。これまでと同じ手入れをしていたから、傷み始めたなんか思いもしてない。

「わ、本当。枝毛がある」
「手入れはしてるのか」
「うん。変わらないけど」
「そう、か」
「ちょっと生活が変わったからかな。自分では感じてないけど、なにか刺激が足りなくて影響してるんだと思う」

それを一般的にストレスと括るのだが、あえてその言葉は口にしなかった。自分ではストレスなんて思わないし、ストレスと言う言葉は悪い印象の方が強いだろうから。

「慣れれば大丈夫だよ。気にしないで」
「…ああ。でも気にするなら言えよ」
「うん、ありがとう」


ペンギンは苦い笑顔を残したまま、部屋から去った。私は扉が閉まるまでその姿を見送る。
私は大丈夫だよ、という意味を込めて。






「これ、追加資料だ。目ェ通しとけ」

そう言って資料を部屋まで持って来た船長は面倒くさそうな表情。まあ確かに、以前なら私が取りに行くようなことを船長がしてると思うと面倒だろう。

「ありがとうございます」

眉をひそめる船長は私の様子を伺っているのか、上から下までじっくりと観察する。
動く場所は限られているし、船内の仕事もしていないので筋肉が落ちただろうか。

「指、切り傷か?」
「えっ」

言葉のまま自身の手を見ると左手の中指に赤い線が走っている。
先ほど資料の紙で擦ったことを思い出した。意外にも赤が滲んでおり、意識するとその部分がピリピリと痛み出す。

「あ、紙で切っただけですよ」
「擦り傷でも切り傷でも、自分の身体でもちゃんと処置しろ」
「でも」
「でも、じゃねェ。菌が入って化膿したらどうすんだ。気を付けろ」
「わかりました」

乱暴に、しかし私を思ってか、額をごつんとつつかれる。そのまま扉を閉めた船長。しばらくその場に止まり、少し溢れた涙をふき取った。




――――――――
―――――
――


きっと、キャスケットは見たのではないだろうか。聞いたのではないだろうか。
だからこんなにも私を求めるのではないだろうか。私をつなぎ止めたいのではないだろうか。


髪一本、血一滴に至るまで


ガラスに映った私は、どこまでも私で。その全てがキャスケットのもので。私は逃げられなくて。


「ティナー、ずっと、……」


ずっと、私は世界と拒絶したまま。




ガラスの底に見えるもの



それは彼の欲望に満ちた愛。








暖かく感じるのは何故?
硝子の向こうから此方に向けられる手にそれを重ねる。でも触れることなく、体温を微かに感じるだけ。

後ろから抱き締められた。キャスケットが、私を優しく抱き締める。私の視界を手で塞ぎ、見なくていいのだと囁く。

硝子から離れた手は温もりを忘れ、縛られたまま世界を傍観する。


嗚呼、私は――――






  ガ ラ ス の底に
   な ら く
        ちて往く


(果たして底は楽園なのだろうか)



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監…禁……?
監禁、監禁ですよ。監禁!ね!依存とか独占欲とか丸出しです。
大好きです。
タイトル→HENCEさま

12.07.23.
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