真偽不明で異論無し

・来神静雄→←来神臨也。


汚れて使い物にならない下着を無理矢理履いた老人は、頭に蛍光灯を照らし返しながら、一生徒の胸に触れていた。生徒は、情事後の気だるさに、引かない熱をつまみ上げられて思わず、あっ、と声を上げる。老人は強烈な口臭を生徒に吹きかけ、折原くんは可愛いね、と再び愛撫に戻る。校長室の黒革の椅子に寝かされながら、臨也は校長にしがみついた。甘ったるさを残しながら校長の耳毛の生えた耳元に囁く。

「ねぇ、校長先生、明日はバレンタインですね」
「折原くんはワシに何をくれるのかな」

色への期待に染まって、肌を撫でる指をばらばらと暴れさせる老人に、臨也はうっとりとした笑みを浮かべて、先程までの行為には似つかぬ優等生ぶりを発揮する。

「お望みならなんでも差し上げますよ。でもチョコレートはいけませんよね。だって校則違反ですもの」
「確かにいけないねえ、例年貰えない人間もいるというのに……」

この汚い加齢臭がぷんぷん漂う阿呆面の禿頭ならそうかもね、と臨也は同情した。妻にも娘にも背かれ、居ても居なくても関係ないように扱われ、寂しい日々を過ごしつつ飲み屋に通うような、典型的な初老の男。そんな隙だらけの男に臨也は語りかける。心の奥にしまわれた不満を引き出してやる。

「いっそ禁止にしてしまえばどうでしょう。明日の朝、抜き打ちで手荷物検索をすれば良いのです」
「流石、折原くんだ。頭脳明晰で学術優秀、容姿端麗、我が校の誇るべき生徒だよ、君は」
「それほどでもありませんよ。でも先生がそう仰ってくれるなら、嬉しいな」

勿論、そんな相手にも使えるのならば媚びるのを忘れない。
夜が近付く校長室は、廊下から響く部活動を終えた生徒たちの声で満たされる。その中でも校長に体中を弄られ続ける臨也は、一際高く甘い嬌声を放った。廊下に漏れたらしく、一気に、しん、と静まり返る。高校生がSNSの隆盛を担う今日、遅くても明朝には全校生徒が知るようになるだろう。


なあなあ、知ってるか?ウチの校長、昨日生徒に手ぇ出したんだって!
ああ、それか、相手は確か……。
3−Bの折原だろ?あいつ有名だよ、先公誑かすことで。
折原くんって男子だよね?
えっ、そうなの!?男が男と?信じらんない……。
折原って前も2年の先生とヤってたよな?
確かに顔は綺麗だけど、よくあんな人と先生もスる気になるよね。
てかさー、あたしせっかく友チョコ持ってきたのに朝抜き打ち検査されて没収されたんだけど!超ムカつく!
あたしもだよ。毎年こんなことなかったのになんで今年だけ?
集めたチョコどうすんだろ?恵まれない男子に配るの?
先生が食べるんじゃね?
何それ、意味わかんない……。


新羅は、マフラーに手袋といった重装備をしなければ生きていけない、とばかりに体を震わせていた。級友は、そんなに寒いなら屋上に来なきゃいいだろう、と言う。確かに門田の言うことは尤もであるし、この怒りん坊が首を縦に振れば、こんな寒空の下ではなく教室で昼食を食べることが出来たのだ。怒っているからなのか、子供体温だからなのかは知らないが、シャツとブレザーだけという新羅とは対照的な格好で、ジャムパンを頬張る友人は機嫌が悪く、教室が良いと駄々をこねようものなら息の根を止められてしまいそうだった。それでも口に出さずにはいられなかった新羅は、出来るだけ小声で凍えながら悪態を吐く。

「静雄のせいで僕は風邪を引いてしまうよ、セルティがどんなに心配するか」
「うるせえ、嫌なら帰れよ」
「流石にぼっち飯は勘弁してよ」

新羅はあまり人肌恋しいタイプではないが、愛する恋人がせっかく作ってくれた弁当を、他人に見せびらかさずに独りで食すなど申し訳なくてできなかったのだ。だが弁当箱のおかずは曇った自然光のせいで食欲をそそられない。きっと今日も塩と砂糖を間違えているだろう卵焼きをつつく。でもそこがセルティの可愛いところなんだ、と結果的に独り寂しく恋人を想う。
新羅が何だかんだで食していると、屋上の重い鉄の扉が開いた。現れた人物は左隣に座る門田の姿を見つけると、ぱあっと顔を輝かせる。

「ドっタチーン!!」

黒い塊が友人に飛び付いた。早めに食べ終わっていた彼は読みかけの本が突進によってぐしゃりと潰れるのに顔をしかめながらも塊を宥める。その胸にすり寄りながら、プレゼント、とピンク色にラッピングされた袋を渡している。

「あれ、臨也、チョコ没収されなかったの」
「みんな馬鹿だよねえ、馬鹿正直に鞄を見せるから……。ねえ、ドタチン早くチョコ食べて?感想聞きたい」
「今年はトリュフか。うまそうだな」

リボンを解き中身を確認した門田は、一粒摘んで口に入れた。決して形が良いとは言えないが、手作りならではの暖かい甘さに包まれた。表面のカカオ含有率の高いココアと中身のチョコレートのギャップに舌が喜んでいる。

「やっぱり臨也のはうまいな」
「ほんと?嬉しい!」

花でも撒き散らすのではないかという具合に微笑む臨也と、次のトリュフを口に運ぶ門田を見た新羅は、僕の分はないの、と訊く。しょうがないなあ、と渡された同じくピンクの袋から新羅は中身を取り出して食べる。弁当は既に片付いていたので良いデザートになった。

「臨也、絶対中学の時よりチョコ作り上手くなったよね」
「まあね」

新羅は臨也と中学の頃からの同輩であったため、友チョコと称す菓子を貰うのは今年で六年目になる。去年も一昨年も門田にもあげていたのだが、今年は例年とは違うことがあった。
臨也は新羅への返答をそこそこにすると、とっくの昔にジャムパンを食べ終わって、ぼんやりと景色を眺めていた彼に、ピンクの袋を突き出した。

「誰からもチョコを貰えない可哀想なシズちゃんにプレゼントしてあげるよ」

俺、超やっさしい!、とチェシャ猫の様に笑う臨也を見上げた静雄は、眉間に皺を寄せて、その袋をはたき落とした。ぱさっと落ちたラッピングから甘い匂いが漂った。静雄の力がかかった中のトリュフは粉々だろう。

「汚いキノコ近付けんなよ、雌豚」

臨也は、え、と口元を固定したまま、次なる静雄の(珍しく言葉の)弾丸を受け止めた。

「どうせ先公とヤって、チョコ没収させたんだろ?そんな汚いヤツの汚いエサなんて食えるかよ、クソ豚ノミ蟲」

静雄はジャムパンの袋とイチゴミルクのパックを拾って立ち上がる。

「ちょ、ちょっと静雄、待ちなよ」

そのまま立ち尽くす臨也と慌てて引き止める新羅に見向きもせず、すたすたと屋上から出て行ってしまった。鉄扉が閉まる音だけが谺した。
黙っていた門田が、新羅に疑問の目を向ける。どういうことだ。

「臨也は、静雄にチョコを渡すのは自分だけで良いから、他の女の子を何としてでも退けたかったんだよ」

新羅は臨也に聞こえないように小声で門田に伝えたつもりだったが、やはり聞こえてしまったらしい、新羅が言い切らない内に臨也は逃げ出すように屋上を飛び出した。バン、と荒立てて閉められたその扉から、ワンテンポ置いて、ふわりと風が送られてきて、新羅は、なかなか上手くいかないね、と溜息を吐く。


ポケットの中に入れっぱなしになっている自宅の鍵を入れ、ノブを回した静雄は、ゆっくりと自宅の玄関に上がる。古いとも新しいとも言えない、戸建て独特の匂いに出迎えられて、片手の鞄はそのまま、台所に向かう。食器棚から何の変哲もないガラスのコップを取り出して、蛇口を捻り、閉めた。池袋の住宅地とは言えど、都会の、カルキ臭い水道水を一気に煽る。コップを流し台に置いた時、溜まった洗い物が目に入った。ぽたぽたと蛇口から漏れた雫に波紋を作る淀んだ汚水に、安物の粉篩いが浸かっていた。
食器を洗う前に荷物を下ろして部屋着に着替えようと、静雄は台所を出る。階段を上り、自室のドアを開ける。小学生の頃、新羅を此処に招いた時、彼がオレンジジュースのペットボトルを倒してシミを作ったカーペットに鞄を下ろすと、ごろりとベッドに横になった。もう何代目になったか忘れてしまった目覚まし時計の秒針が、嫌に大きく聞こえる。静雄は痛んだ金髪を掻き揚げ、両手で顔を覆った。が、昨日の甘い残り香が鼻腔を突いたので、すぐにやめた。ぱたりと両腕をベッドに落とす。無機質な布団の柔らかさだけが昨日とも去年とも変わらなかった。寝不足の体に優しさがじんわりと染み渡る。
静雄は、まさか、今朝手荷物検査があるとは思わなかった。普段疚しい物を持ち歩いていなかったから警戒を怠っていた。教師の前に鞄を置いてから気付いた。しかしその時にはもう遅く、ブルーの小袋をつまみ出されて、没収、と一言告げられた。
あの時、無理矢理にでも奪い返せば良かったと静雄は後悔する。どうしてあの時、諦めてしまったのだろう。一週間前から材料と器具を揃え、昨晩遅くまで、録画したテレビの料理番組に沿ってチョコレートを手のひらで転がしていたのに。緊張して勢い余って潰してしまうから何度も何度も失敗した。見た目からして美しい想い人だ、形の悪い物はあげられない、と失敗作を生み出し続けて、やっとのことで、まだマシな三粒だけ包むことができたトリュフチョコレートだった。それをどうして取り返さなかったのだろう。ピンクの袋と引き換えに、彼は受け取ってくれたかもしれないのに。
けれども、静雄は信じきれなかった。いがみ合う自分たちで、まさか今日だけ特別と、彼がチョコレートを貰ってくれるとは思えなかったのだ。今朝、通学路で聞いた嫌な噂も静雄の心に拍車を掛けていた。卒業式も近いのに今更、彼に想いを伝えてそれが叶うとは到底思えなかった。ましてや、昨日あの校長とも寝た、と聞いた直後になど。
静雄は、年の割には純粋な少年だった。もし恋人同士に成れたのなら、まずは手を繋ぐことから始めたい化け物だった。捻り潰さずに相手の手を握れること、その相手に握り返されることを互いに幸せだと思いたい人間だった。だから所謂そういうコトは考えていなかったし、誰彼構わず奔放に体を交わすのは穢らわしいことだと認識していた。願わくば、彼もそうであれば良いと願っていた。せめて、裸体を暴くのなら自分が初めてであれと期待していた。それを裏切られた気分になったのだ。
勝手だ、と臨也は笑うだろう。それでも静雄は、想い人からでさえも、その純情を踏みにじられたくなかったのだ。臨也を拒絶したのも、おそらくそういった無意識の自己防衛反応からだろう。
臨也が何のためにチョコレートの持ち込み禁止を訴えたのか静雄には分からないが、程度の差はあれ静雄の信条に侵蝕しようとしたのは事実だ。仕方がなかったのだ、と静雄は思った。
それに、どうせ、俺たちは明日も喧嘩するだろうから。トリュフのように、苦かった関係から甘くなったりはしないのだ。
想いは何時だって十割十分、純真だ。しかしそれが今更、どうやって臨也に伝わるというのだろう。明日もまた、卒業までの時間虚しくを削るだけだ。

「なんかバカみてえ」

静雄は唸って右手で両目を覆う。カカオの、甘いくせに苦々しい匂いが染み付いている。
そういえばあの袋の中身はトリュフではなかったか。
彼はどんな想いでこね回していたのだろう。あいつのことだから毒くらい混ぜていたのだろうか。それとも、本心だったのか……いや、そんな甘い期待はチョコレートの味だけで十分だ。でないと、俺が報われないだろう。
早く匂いが取れれば良いのに、と静雄は恨めしく唇を噛む。


2013.03.03

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