そんなものは愛じゃない

・(静雄←)臨也(←モブ)。


経験がなかったわけではなかった。これで三度目になる。
世界には男を組み敷くのを好む物好きが居るもので、俺はそのような奴らも含めて人類を愛しているつもりだったけれど、前言撤回、俺に危惧させるような人間はやっぱり嫌いだ。俺も一人の人間なのだ。自らが一番可愛らしい。
こんな風に可笑しな方向に愛されてしまうことの原因が自分にあることは自覚している。尊厳を踏みにじり、イデアを狂わせ、はたまた錯乱に至る絶望を与えたり、恨まれて当然なことを他人にしてきたつもりだ。俺はその予備軍を信者として扱うことを厭ってこなかった。
何が起こってもおかしくない、そういう、火事場の馬鹿力のようなものを、俺は人に求めていたのかもしれない。
人間は三つの欲望で構成されているというが、それらの複合体を見た今、強ち間違いではなさそうだ。俺は、もう一つ『愛』を足して、四つだと思っていたのに。俺が人間を愛するという、この底知れぬ『愛』は、結局は『性』欲から来るものだったのだろうか。辞書を引くと、愛欲と性欲は同じ、とされているが、そうではないと信じていたかったのに。
下世話な話になるが、俺は自慰というものを、あまりしない。では女と寝るかと問われると、それもない、と言わざるを得ない。人並みに経験はあるが、それ以上もそれ以下もなかった。ある種、雄として淡泊であると言える。それなのに、『愛』はやはり『性愛』なのだろうか。
年齢の半分以上の時間を人間愛に割いてきた俺にとって疑問は尽きることがなかった。自らの愛を疑うなんて今まで一度もなかったことだ。
頭の中で、先程の光景が思い出される。数人の男。年齢はバラバラ。共通点は、全て俺の熱狂的な信者だということ。
彼らは、池袋で取引を済ませ帰路に着く俺を廃ビルに引きずり込んで、襲った。気持ち良くなんてない。ただの獣の戯れだった。
痛みより、その時の音が脳裏に響いている。ねちねちとした耳障りな水音を背景に、愛してる、と囁く信者たち。彼らの本気の告白。妻子を持つ者も居るだろうに、これが俺に溺れた結果なのだと、俺は身を持って知らされた。
彼らの『愛』とは、如何なる『愛』だったのだろうか。

「入りなよ」

聞き慣れた声に、すっ、と現実に引き戻される。考え込む内に、新羅のマンションのエントランスまで来てしまったようだった。同時に、腰に嫌な痛覚を覚えた。
ロックが解除されて自動ドアが開く。胎内に残る白濁を抱えたまま動く足取りは重い。
エレベーターに乗り、上階で降りて、インターホンを押すと、すぐに友人が顔を出した。

「丁度ミルクを切らしたんだ」
「何もしなくていい」

コーヒーを飲む暇があったら風呂に入りたかった。ましてや、ここでシャワーを浴びさせてくれるとは思えない。
玄関先で、新羅は俺の薄汚い姿を見て言った。

「量を増やしておくよ」

事を察してくれて有り難かった。引っ込む新羅を、遅れて出てきた運び屋が様子を伺っている。
早めに戻ってきた新羅は、ビニール袋に入った処方箋の紙袋を手渡した。闇医者のくせに、形だけは一丁前だ。ずしりと重い。

「死ねないからね」

中身はいつも通り睡眠薬なのだろう。過去二回も同じものを出された。こんな日の晩は、薬が無ければ、とてもじゃないが眠れないからだ。

「お題は今度で良い」

新羅は必要なことだけ伝えると、おやすみ、と付け加えて戸を閉めた。
彼は薬を渡すことを躊躇っている。この睡眠薬を全て飲みきる頃には、俺がケロッとして業務を再開していることを知っているからだ。我ながら懲りない奴だと思う。また気が触れた信者に犯されかねないのに俺が懲りないのを、新羅は心配しているのだ。
エントランスを出る。少し感傷的になるのは何故だろう。


出来るだけ早く、人通りの少ない道から駅へ向かっていた。ここは池袋。あの化け物の領土。身も心も疲れを感じている今、チェイスをする気にはなれない。
しかし、一番星が夜空に紛れたところで、俺の足元に自動販売機が墜落した。忌々しく俺の名を呼ぶのは、人に紛れぬ化け物だった。
どうして彼は第一声に俺を呼ぶのだろう。嫌ならば最初から蟲扱いすれば良いものを、まるで口上のように、君まで付けて、恐ろしい笑みを浮かべて怒鳴り散らす。
彼だって楽しい気分はしないはずなのに、どうして俺を狙うのだろう。互いが互いを無視するなら、こんな拗れた関係も無くなるのに、呼吸を繰り返すが如く反応するのは何故なのか。

「なんとか言えよ、ノミ蟲。黙ってるなんて気持ち悪い!言いたいことあんなら、いつもみたいにベラベラ喋りやがれ!」

ああ、そうか。分かった気がする。
俺の『愛』に付けるべき説明を。
整合性のない、ある種の御都合主義に、彼は乗っ取ってくれるのだろうか。内に潜む、心から染み出すものを『愛』と呼ぶのなら、彼は、その規範を守ってくれるだろうか。
君が吐き出した悪態こそが、愛なのだろうか。

「殺して」

俺が全て言い切る前に、彼は間を詰めた。
捻切られた標識が、頭上に振り下ろされた。


2012.12.06

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