僅かな月明かりを頼りに、編み棒をひたすら黙々と動かしながら、名前は白い息を吐く。灯りをいつまでも灯している訳にもいかず、月明かりを頼ろうと窓側に寄ったはいいが、窓のそばは余計に冷える。毛布だの上着だのをあるだけ重ねて包まって、それでも悴む指先をさすりながら編み物をしているのは、いよいよ明日に控えたクリスマス・イヴのためだった。
貧民街の冬はひどく冷える。夜ならば尚更。毎年何人がこの寒さに凍え、飢え、争い、死んでゆくかわからない。だからこそ、この街で寒さに抗う術は生命線と言っても過言ではなかった。
──先月初め頃だったろうか。
11月に入り、日増しに冷たさを増す風に肩を竦めながら、せめて日が暮れる前にと帰途を急いでいた名前は、見慣れた背中に足を止めた。凍てつく鈍色の空の下でも輝きを失わない金髪は、間違うはずもなくディオのものだった。
声をかけようとしたところで、ふと違和感を覚える…マフラーをしていないのだ。
この寒さだ、さすがの名前もマフラーくらいしているし、ディオだって4日前会った時にはしていた筈だ。あの深紅のマフラーは、確かディオのお母さんが昔買ってくれた大事なマフラーで、ディオは口では「ボロいが無いよりはマシだからな」などと言いつつ、毎年大切に巻いていた。忘れたとか失くしたとか、そんな筈はない。
──まさか、もしそうなら、今のディオに声を掛けるのはかなり危険かもしれないわ。
それでも彼の怒りの中に空っぽ≠ェあるのを知っている。いつだって、その空っぽ≠ノされた悔しさや寂しさが、彼を激しく怒らせているのに名前は本能のようなもので気が付いていた。
「…ディオ!」
普段通りの仏頂面で振り向いた彼に少しホッとしたものの、ディオは口ごもる名前に眉をひそめた。
「何だよ、いつもペラペラよく喋る口が今日は随分静かじゃあないか。用が無いならいちいち声掛けるなよなァ」
「その…寒いわね。今日も。ディオ、首元寒くないの?」
ピクリ、とディオの眉が動いた。精一杯遠回しに言葉を選んだつもりだったけれど、やはり失敗したろうか。名前が怖々と目を上げるとディオはもうこちらに背を向けて歩き去っていくところだった。
「あっ! 待ってよ、ディオ。マフラーはッ」
「捨てた」
「嘘、あんなに大事にしてたじゃあないの」
「さあな、だとしてもお前に関係ない」
鋭く切られた言葉にもうこれ以上なにも言うことはできなかった。けれど、やはり予想は十中八九当たりだろうということは分かった。
ディオの金髪によく似合ったあのマフラーは、きっと最低なあの父親の酒代に変えられてしまったのだろう。怒りに声を震わせたディオが八つ当たりもせず立ち去った。それだけ頭にきているのだ。それだけ、ディオはまた空っぽ≠ノされてしまった。
悔しい。ダリオの理不尽はいつもの事だけれど、寒そうなディオの首筋と、背中越しの震わせた声が何故か張り付いて離れなくて、まるで自分まで何処か空っぽ≠ノされたようで、なかなか寝付けないままその夜は更けていった。
*
翌々日、冬支度をするため町に買い出しに出てきた名前は、首を傾げていた。
普段の雑貨屋とはどこか違う煌びやかなレイアウト、会計の前には色とりどりの毛糸玉が積まれた値引きカゴがたくさん、それから赤やら金やらのリボンに、模様入りの包装紙──そこまで眺めてようやく合点がいった。
──なるほど、もうすぐクリスマスだものね。
店内をぐるりと見回すと、深紅の毛糸玉に目が止まる。…が、もしこれで同じ色のマフラーなど渡そうものなら替わりのつもりか、と幼馴染の逆鱗に触れかねない。もっと傷付けてしまう。…深紅はいけない。
──ああ、でも、どうせならディオの髪に似合う色がいい。…どうしようかしら。
すっかり選ぶ気満々で毛糸玉を見比べるうち、濡れたような滑らかな手触りのダークグレーの毛糸玉を見つけた。冬の夜空のような色合いに、触れるとじんわり滲むぬくもり。星の煌めきを呼んでいる。ディオに、きっと似合う。
思い出すその背中に、そっとこの色を重ねてみた。
………ああとっても、綺麗。
数分後には5玉で4ペンスもする上等な毛糸と、それを編む為の棒針とをしっかり買い込んで名前は店を出ていた。
「…今日買いに来た他の何より値が張ったわ」
口で嘆いてみせたものの、今から頬は緩んでしまうし、紙袋をしっかりと抱きかかえた名前の足取りは軽い。
目に見えて喜んでくれるような相手ではない事はよく知っているけれど、それでもこれを頑張って編めば、ディオはこの冬、寒い思いをもうしなくて済む。何だかんだ言いつついつも世話を掛けているディオに、ちょっとでも何かを返せるのは、嬉しさとも誇らしさともつかぬ、奇妙なしあわせがあった。
とはいえ、名前の計画は色々な意味で容易ではなかった。
ひとつ、知識はあるものの、編み物が初めてであること。
ふたつ、労働時間とまた別に編む時間を取り分けなくてはならないこと。
みっつ、クリスマスまでに間に合わせること。
よっつ、聡いディオに作っているのを勘付かれないようにすること。
この4つめが最後にして最大の難関かも知れない。そう思ったが故にこの1ヶ月弱、ずっと編むのは夜のこの時間帯だけにして、眠りを削って編んでいるのだ。急いで帰れば家の者はもちろんディオに怪しまれてしまう。睡眠時間を削って編むのはなかなかに骨が折れたが、それも今日でやっと終わる。完成間近のマフラーに、名前は感嘆の息を溢した。
「ホント、よくここまで頑張ったものだわ。途中間違えて半分近く解かなきゃあならなかった時はもうダメかと思ったけど……後はもう、ディオに捨てられないことを願うばかりね」
十分あり得る可能性だ。ここまでくるとそれが一番恐ろしい。でも同時に、ちょっとでも、ほんの少しでもディオが嬉しそうな顔を(しないでしょうけど)したり、一度でもこれを使ってくれたなら、どんなに嬉しいだろう。その僅かな期待が、今日まで名前の手を動かし続けてきたのだ。
「…よし、これでいいわね」
仕上げに毛糸の先をきつく結んで断ち切ると、若干網目のばらつきはあるものの、それなりにきちんとしたマフラーが出来上がった。少し光沢のある薄茶の包装紙に包んで、リボンまでは買えなかったが、せめて、と紙紐で蝶結びに結って仕上げた。
──翌日、ゴミ拾いの仕事にプレゼントを持っていくわけにもいかず、仕事をいつもより一時間早く切り上げて帰宅した名前は、包みを持って再びディオを探しに出掛けた。
「……変ね、この時間ならきっと酒場に居ると思ったのに」
賭けチェスの輪の中にディオの姿は無い。あちこち歩き回って、それでも見つからない幼馴染の姿に、仕方なく一番可能性が低いだろうと最初に排除したディオの家に向かった。ダリオに顔を合わせるのはなんとなく嫌な気がして、ディオの自室の窓めがけて小石を放る。
カツン、
──カツン!
────バチッ!
…しまった、強く投げすぎた!と思った時は、不機嫌極まりない顔の幼馴染が窓から顔を出したのと同時だった。
「………お前は他人の部屋の窓を割る気か?マヌケ」
「ご、ごめんなさい!でも、ディオが出てこないんですもの。聞こえないのかと思って」
「無視してたんだよ、気付けよなァ。…で、何の用だ?」
ムッとしないでもなかったが、窓を割りかけてしまった罪悪感とディオを怒らせてしまう恐怖のほうが勝って、名前はすまなさそうに声をひそめた。
「ディオに渡したいものがあるのよ。ちょっとだけ降りてきてくれる?」
訝しげに片眉を跳ね上げたディオが、小さく鼻を鳴らして部屋に引っ込んでから数分。もしかしてアレは「オレは行かんぞ」という意味なのでは、と不安になり始めた頃、ようやくドアが開いた。
「ディオ………………………それ、どこで切ったの」
渋々といった様子で出てきたディオの首には大きな切り傷があって。もう瘡蓋になってはいるものの、痛々しい見た目に名前は息を呑んだ。
──喧嘩か、もしくは父親か、どちらにせよディオが今日出掛けなかったのは、この目立つ傷が理由だろうと思った。
「チッ、…酒瓶が後ろで割れたんでな、カケラが飛んできて切れた。それよりさっさとしろよ。ゴミじゃあないだろうな?」
忌々しく吐き捨てられた言葉を聞いて、ナイフで切られたわけではないと分かって安堵した。それを誤魔化すように急いで包みを押し付ける。
「これ、ディオに。クリスマスプレゼントよ」
「…ふーん、そんな物買う金があるなら現金のまま渡せよなァ」
嬉しいんだか嬉しくないんだか、イヤミな笑顔でそんなことを言いつつ、もう包装紙の端に手を掛けている。さすがに目の前で開けられるのは気恥ずかしいというか、居た堪れない。
「丁度いいじゃない、その、隠すのに使ったらいいわよ! いらなかったら捨ててもいいからッ! じゃあねディオ、お大事に!」
「あっ、…おい名前!」
後ろで何か呼ばれた気もするけれど、名前は振り向くことなく、そのまま自分の家に逃げるように帰ってきてしまった。慌てて何を言ったのかもよく思い出せないけれど、少なくとも捨ててもいい≠ヘ大嘘だ。
「ああ〜〜もう! こんな渡し方するつもりじゃあなかったのに………ホント、マヌケだわ…」
自室で頭を抱えて猛省する名前はまだ知らない。明日からずっと、ディオがあのマフラーを巻くことを。
「隠すためなら使えなくもない」それを、捨てずに毎年巻くことも。
その先に、彼の「捨てない理由」を知ることも。
※サイト5周年記念という事で、瑠璃香様より当サイトのディオと主人公で小説を書いて頂きました!心温まる素敵な小説ありがとうございます(^o^)
拙宅のディオと主人公をここまで愛して下さるとは、感謝に堪えません・・・!
本当にありがとうございました!
※7/22追記…タイトルをご希望の「夜色を編む」に変更致しました。ご報告ありがとうございました!
20170717
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