このところ紫恋と賈充の関係にすれ違いが生じていた。
遠征や公務の激化で賈充が多忙の身になった事がそもそもの原因だが、会えない間せめて文だけでもと遠征先や自室に送っても、多忙を理由に返書も返さない始末だ。たとえ久しく顔を合わせても公務中は私語が許されないため、軽く挨拶を交わす程度しかない。
賈充の性格上、公然の場で恋人と抱擁を交わすような男ではないし、仕事に私事を持ち込む事もしない。ましてや恋文を好んだり、女性の耳元で愛を囁くような男でもない。それでも以前は文の返書は必ず送られて来たし、賈充の方から部屋に誘う事もあった。
仕事だから仕方がないと納得しようとしたが、あまりにつれない態度に紫恋は不満を募らせていた。国のためだと言われれば文句は言えない。賈充が今、国政を担う重要な立場にある事も知っている。女一人のために仕事を疎かにする訳にもいかないのだろう。
しかし、互いに交流を持たないまま三ヵ月が経とうとしている。
──まさか心が離れてしまったのでは。
不満は次第に不安へと変わっていった。
*
不安に耐え兼ね、気付けば紫恋は賈充の部屋に足を運んでいた。
状況を察して訪問も控えていたので、部屋の前に立つのは三ヵ月振りになる。胸の内を伝えようと来たものの、いざとなると戸を叩くのを躊躇う。長らく訪問していなかった事もあるが、夜分に連絡もなく突然訪問しては、機嫌を損ねてしまうかもしれない。
様子を伺うため窓を覗くと、書簡の山と向き合う賈充の姿があった。額に手を当てて書簡に目を通すその姿は疲労の色が濃い。自室でも仕事に追われる姿を見ては、とても話を切り出す気にはなれなかった。
直後、不意に顔を上げた賈充と目が合い、紫恋はその場で硬直した。目を細めてこちらを伺う姿に、一体何を言われるかとまごついていると、賈充は席も立たずに言った。
「どうした紫恋、用があるなら入れ」
「は、はい」
相変わらずの冷淡な口振りに紫恋は緊張した面持ちで返事をし、部屋に入った。机の前で一礼したが、賈充は無言のまま書簡に視線を落としている。気まずい雰囲気に項垂れていると、賈充は顔も上げずに口を開いた。
「お前と二人きりになるのも久しいな、何ヵ月振りになる」
「三ヵ月です」
愛想なく返すと、賈充はくつくつと笑った。
「不満気な顔だな。長い間放置されて我慢の限界といったところか」
意外にも穏やかな口調で返したので、紫恋が抱いていた不安と緊張はすぐに解れた。
「わざと知らない顔をしていたのですか?本当に意地の悪いお方、私の気も知らずに」
戯れのつもりで頬を膨らませたのだが、賈充の顔から笑みが消えた。
「わざと、とは心外だな。お前も国の情勢を知っているだろう。まさか現状もわからぬ阿呆だとは言わぬだろうな」
言われるだろうと覚悟はしていたが、実際に本人の口から聞くと耳が痛い。賈充は国の事となると途端に言動が厳しくなる。
「それは…わかっています」
「ならば察せ。俺とてわざと断っている訳ではない。仕事柄、私情は邪魔になるのだ」
「ではせめて一言でも、一行だけの文でも構いません。言葉を下さってもいいではありませんか。いくら仕事とはいえ、何もないのは辛すぎます」
「俺に『愛している』とでも言って欲しいのか? いちいち言葉に示さぬと不安で堪らぬか。全く子供でもあるまいに、俺がどういう男か知っているだろう。お前はもう少し賢い女だと思っていたのだがな」
吐き捨てるような言葉に、紫恋は口を噤んで俯いた。涙で視界が滲む。仕事で張り詰めているところに不満を溢せば、賈充とて苛立つだろう。言葉が冷たいのはいつもの事だが、今の紫恋には冷たすぎる。
仕事が大切なのはわかる。無理に返書を求めるつもりもない。それでも一言、愛情の感じる言葉を聞かせて欲しかった。
床の軋む音に視線を上げると、いつしか賈充は椅子から腰を上げ、紫恋の前に立ちはだかっていた。
「とはいえ、せっかくの機会を無下にする訳にはいかぬか。欲求不満で泣かれても困る」
言った直後、唇が重なった。冷淡な言動とは裏腹に、賈充は紫恋の唇を貪り、執拗に舌先を絡ませた。突然の激しい接吻に戸惑ったが、久し振りに感じた唇の感触に陶酔した。
賈充は紫恋を抱き上げ、寝台の上に押し倒した。熱い接吻を交わしながら着物を剥ぎ、胸元に顔を埋めて乳房を唇で愛撫されると、耐え切れず甘い声を漏らした。
甘美な瞬間に抱いていた不安は消え去った。熱い呼吸と抱き寄せる腕から伝わって来る温もりに、感情が抑え切れない。賈充の頭部を強く抱き締め愛撫を受け入れると、胸元から忍び笑いが漏れた。
「ようやく素直になったな。一言『繋がりたい』と言えばいいものを言葉が欲しいなど戯言を」
腕の力を緩めて胸元を見ると、上目遣いにこちらを睨み付ける賈充の顔があった。欲で滾っているためか、疲労のせいかはわからないが、一層残忍な顔付きに見える。
「愛だ何だと薄っぺらな言葉など不要だ。肌を重ねるより勝るものはないからな。お前もわかっているものと思っていたが、これでもまだ言葉が欲しいか」
「どうしても会えない時はどうすればいいのですか? また何ヵ月も会えなかったら?」
尋ねた後に不安が甦り、声が震えた。その様を賈充は鼻で笑った。
「お前の事だ、俺の気が変わらないかと不安なのだろう。案ずるな、そんな気は毛頭ない。寂しさに耐え切れず、こうして俺に会いに来た…それだけで十分愛くるしい女よ。会えなければ後でいくらでも清算してやる。今宵も三ヵ月分抱いてやる。俺も飢えているのでな、覚悟しておけ」
賈充は紫恋の胸から首筋までを舌先でなぞり、唇に到達すると口全体で吸い上げ、舌を押し込んだ。手は下部へと向かい、すでに濡れそぼつ箇所を指先で弄ぶと、紫恋は快楽に身体を仰け反らせた。身体は腕と両脚で押さえ付けられ、口は接吻で塞がれ声を上げる事も顔を背ける事もできない。
賈充は愛撫される度に自分の腕の中で悶える紫恋の反応を楽しむように過剰な行為を繰り返した。あまりに執拗な愛撫に意識が遠退く。
賈充はようやく唇を離し、朦朧とする紫恋を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。
「まだいくには早いぞ。俺と繋がりたいのだろう?」
両脚を掴み上げ、上に覆い被さったと同時に一物が内部に挿入された。焦らすようにゆるゆると異物が滑り込んでいく感覚に、紫恋は悲鳴にも似た喘ぎ声を上げた。脚を高く押し上げた事で結合部が露になり、さらに見せ付けるように動かした。顔を背けるとすぐに掴み戻され、目を逸らす事さえ許そうとしない。
行為も身体への愛撫も普段より一段と苛烈になっていた。逢瀬を断った事で賈充の性欲も異常性を増しているように思える。だが、紫恋もまた愛しい男と結合した事で全身色欲に支配され、羞恥をかなぐり捨てて声を上げた。
欲に溺れていく様を見て、賈充は妖艶な吐息を溢しながらほくそ笑んだ。
「可愛い奴だ…だからお前は手放せぬ」
耳元で囁かれた吐息混じりの声は、瞬く間に紫恋の意識を溶かしていった。
*
目を覚ました頃には窓から日が差し込んでいた。外からは号令が聞こえる。
紫恋は慌てて身体を起こしたが、絶頂を繰り返した身体は鉛のように重い。気だるい身体を動かし、未だに眠っている賈充の身体を揺すった。
「公閭様、もう朝です。そろそろ起きないと仕事に遅れます」
「…今日は休め、俺が許可する。とても仕事をする気にはなれぬ…」
賈充は目を瞑ったまま気だるそうに答えた。紫恋と同様に昨夜の情交で疲れ切っているようだ。『三ヵ月分抱く』と言って一夜に何度も行為に及べば当然だろう。
「いいのですか? まだ仕事が残っているのでは?」
「それを理由に三ヵ月もお前を放ったのだ…一日ぐらい構わぬ。また不安だと泣かれても困る」
目も開けず呟く賈充に紫恋は小さく溜め息をついた。
時折覗かせる穏やかさと優しさは反則だ。これまでの冷徹な言動も全て許してしまう。
これも彼なりの愛情表現なのだろうが、つくづく歪んだ表現だと思う。最初から素直に本心を告げていれば事を荒立てずに済むというのに──。
──本当に不器用な人。
でも、そんな人だから余計に愛おしい。紫恋はくすりと微笑み、賈充の胸元に倒れ込んで抱き付いた。
「それじゃあ、今日は公閭様に沢山甘えます。私の分も三ヵ月分、きちんと清算してもらいますから」
「…いいだろう、好きにしろ…」
無邪気に甘えて見せる紫恋を鼻で笑い、賈充は眠りに落ちた。静かな寝息を立てて眠る姿に軽く口付けすると、紫恋も共に穏やかな眠りに就いた。
了
[*prev] [next#]
[back]