賈充は実に優れた男であった。若年で父の爵位を継いだだけでなく、冷静かつ聡明な判断力で現状を見定め、常に最良の策を講じる。手段において批評も多くあったが、魏で実権を握る司馬氏の腹心としてその身を貢献する今、この男を知らぬ者はいない。また、知に優れ腕も立つとなれば、まさに知勇兼備の将と言える。
そんな男の元に身を置いていると、学問においても、また人としての魅力においても、自分がいかに凡庸な女なのかと思い知らされる。賈充の前では、学んで来た知識も痴れたものだった。他にも魅力的な女性は沢山いるのに、自分のどこに惹かれて娶ったのか、不思議に思うくらいだ。
魅力では到底敵わない。だからせめて学問だけでもと、紫恋は賈充の書斎から度々書物を借りていた。特に賈充から努力しろと言われた訳ではないのだが、知将の伴侶として何もせずにはいられなかった。
知を磨けば、自分自身も磨かれるはず──。そう思い、最近では難しい論文や馴染みのない兵書まで持ち出し、目を通していた。
そんなある日、鏡台で髪を梳かしていると、背後に男の白い顔が覗いた。鏡越しに目が合い、何かと尋ねる前に男が口を開いた。
「お前は最近、頻繁に書斎から本を持ち出しているようだな」
相変わらず感情の読み取れない表情と声色だった。話の内容から機嫌を損ねていると思い、頭を下げた。
「すみません、勝手に持ち出してしまって…すぐお返しします」
「いや、それは構わぬが、兵書まで持ち出しているだろう。普通の書物では物足りなくなったのか?」
賈充が微笑んで見せたので、紫恋は安堵に胸を撫で下ろした。
「私も少し学問を身に付けて、自分を磨こうと思って。公閭様がお国のために尽力しているのに、私だけ怠ける訳にはいきませんから」
「ほう、それは良い心掛けだな。あいつにも聞かせてやりたいくらいだ」
男はさらに口角を吊り上げ笑うと、机上の書物を眺めて言葉を続けた。
「そういう事ならば、俺が幼少の頃に使っていた学問書を貸してやろう。書斎の戸棚にある、好きに使うといい」
「幼少の頃…ですか?」
紫恋が眉を顰めると、賈充は含み笑いを溢した。
「そう馬鹿にしたものではない。その辺の論文を読むよりは良いはずだ。わからぬ箇所は俺が教えてやる、存分に学べ」
賈充はそう耳元で囁き、部屋を出て行った。思わぬ激励に紫恋は頬を染め、手元の櫛を握り締めた。
*
翌日、紫恋は早速書斎に向かった。机の戸棚を開けると、本棚に並ぶ書物とは違う古めかしい書物が出て来た。中を覗くと、紙一杯に賈充のものと思しき達筆な字が並んでいる。見るからに子供が読むような本ではなく、一体どんな幼少期を過ごしていたのか──と、感心すると同時に少し呆れてしまう。
本の分厚さに気が遠くなったが、先日の激励の言葉が過り、自室に持ち帰った。あまりの文字数に全てを筆写する気にはなれなかったが、賈充が学んだ物で自分も学べるのだと思うと、不思議と意気込みも変わる。そして何より、賈充自らが学問書を薦めてくれた事が嬉しかった。彼の期待に応えるためにも、紫恋は暇さえあれば書物に読み耽った。
だが、学問書は思いの外難解だった。読み進めるにつれて次第に手が止まる回数が増え、時には一日中書物と睨み合う事もあった。この日も紙一枚読み終えるのに夜まで掛かった。
「…子供が読む本じゃないでしょ」
苛立ちから、つい本音が零れた。ふと顔を上げ、自室の壁に視線を送る。壁の向こう側には書斎があり、賈充がいる。教えると言っていたが、趣味で始めた学問で仕事の邪魔をする訳にはいかない。難解な学問書を前に、溜め息と気の抜けた唸り声が漏れた。
「何を唸っている」
唐突に降り掛かった声に身体が飛び跳ねた。振り向くと、いつの間にか賈充が後ろに立っていた。
「こ、公閭様、どうかしましたか?」
咄嗟に散らかった机を手で隠すと、賈充は失笑した。
「一向に聞いて来る気配がないので気になってな。その様子では順調とは言い難いようだが」
「えぇ、その…思うようにいかなくて…」
紫恋は口籠り、小さく項垂れた。自分から学ぶと言い始めたのに、薦められた学問書も解けない。とても『駄目だった』とは言えなかった。その様子に心情を察したようで、賈充は溜め息混じりに返した。
「そう落ち込むな、一度で完璧にできる者などそうはいない」
嘲笑されると思っていたので、意外な言葉に紫恋は呆然としてしまった。
「怒らないんですか?」
「自ら勉学に励む者を叱責する必要があるのか?」
そう言って賈充は紫恋の隣に座り、学問書を手に取った。栞が挟まれた箇所を開き、手早く目を通す。何を言われるかと顔色を伺っていると、ふと男の口元が緩んだ。
「ほう、中々聡明だな。初めてにしては上出来だ。よくやったな」
「本当ですか?」
「俺は世辞を言わぬ男だ」
思わぬ褒詞に紫恋は頬を染めた。すると賈充は栞を抜き取り、学問書を閉じた。
「あっ、まだ途中なのに」
「構わぬ、学問だけが全てではない。自分を磨くと言うのなら、他にも必要な知識があるだろう」
「学問以外にですか?料理とか?」
「知りたいか?」
口元が不気味に弧を描いた。背筋がぞっとする黒い笑みに、聞き返した事を後悔した。
「丁度学ぶ姿勢もできている事だ、俺が直々に教えてやろう」
その直後、腕を掴まれ、一瞬のうちに身体を抱き寄せられてしまった。抵抗する間もなく唇を塞がれ、音を立てながら唇を食み、舌先を這わせて唾液を絡める。
濃厚な接吻に悶える紫恋の姿に、男は不敵な笑みを浮かべ、さらに奥へと舌を押し込み、攻め立てた。乱れた着物から覗いた脚に手を滑らせ、手荒く柔肌を撫で回す。動揺していた紫恋も愛撫に高揚し、執拗に攻める男の舌を咥えて深く口付け、行為に応じた。
愛撫していた手が太腿を掴むと、途端に身体が宙に浮いた。抱き上げられた身体が鏡台に圧し掛かり、櫛や小物入れを蹴散らしていく。わずかに唇が離れた隙を付いて紫恋は声を上げた。
「公閭様っ…他ってこの事ですか?」
「色事も必要だろう、夫婦ならば尚の事だ。まだお前が知らぬ事は山とある」
息を切らす紫恋とは対照的に、賈充は淡々と返した。薄く微笑む表情の裏に何があるのか、依然として読めなかったが、悪い予感がするのは確かである。
「…私との情事に不満でも?」
「不満はない、お前はいつも良い声で鳴く。故に知らぬのは損だと思ってな。知った時にお前がどんな声で鳴くのか…この耳で聞いてみたいのだ」
賈充は不気味な含み笑いを溢し、背後から紫恋の両脚を押し上げた。さらに、露になった秘部を見せ付けるように身体を鏡に向ける。自分のあられもない格好に顔を背けたが、すぐに頬を掴まれ、押し戻された。
「いやっ…何をするつもりですか!?」
「これも勉強だ。自分が乱れていく姿、その目でよく見ておけ」
耳に唇を押し当て、妖艶な声色が囁く。羞恥と欲情が入り交じり、瞬く間に身体が熱くなった。
おもむろに白い手が秘部に向かい、縁をなぞる。指が蕾に触れると甘い吐息が漏れた。蕾を弄ばれ、その強い性感に漏れる声も大きくなり、朱色の口からも蜜が滲み出す。弄ばれる様を直視できず目を瞑ると、耳元で舌打ちが聞こえた。鏡越しに鋭い視線が突き刺さり、自分の淫らな姿を見ているしかなかった。
指先が濡れる部位を撫で上げると、中へ押し込まれた。ゆっくりと指を出し入れし、溢れ出す蜜を絡めていく。愛撫に加え、指を咥える様が欲をそそり、いつも以上に身体が反応した。大きな喘ぎ声が漏れ、肌が汗ばみ、紅潮していく。鏡に映る自分が、見る見るうちに快楽に溺れていくのがわかった。
十分に馴染ませると、奥深くまで指を押し込み、胎内を掻き回し始めた。性感帯を攻められ、紫恋は嬌声を上げて上体を捩らせた。行為を求めるように自ら身体を上下に揺らす。
愛撫に陶酔する中、不意に妙な感覚が全身を襲った。この場から逃げ出したい衝動に駆られ、堪らず賈充の着物を掴む。しかし、悶え喘ぐ紫恋の姿は男を滾らせ、愛撫は一層激しさを増す。
「あぁっ…! いやっ…んっ…やめ……て…!」
「いいぞ…もっと鳴け」
着物から零れた乳房を鷲掴みにする。熱い舌が耳を舐め、唾液の音と低い吐息が紫恋の理性を奪った。何かが奥から込み上げ、一際大きな嬌声と共にそれは溢れ出した。指の合間から飛沫が上がり、鏡面に飛び散った。
絶頂に達し、淫らな光景に放心する紫恋に、賈充は妖艶に笑った。
「淫らな身体だな。お前は俺が思う以上に感度が良いようだ…声もな」
辱めを受けたというのに、かつてない快楽に恍惚感に満たされていた。まだ前戯だというのに、交合にも劣らぬ性感を味わったのは初めてだった。戸惑いは消え去り、より濃密な愛撫に溺れたい気持ちが強くなる。
「このまま繋がるとどうなるか…知りたいだろう?」
意地の悪い問い掛けにも、紫恋は必死に頷いた。すると賈充は紫恋を膝の上に座らせ、衣服の下から一物を取り出した。すでに固く反り返った塊が鏡越しに覗き、急激に鼓動が高鳴った。
後ろから肉塊が秘部をなぞり、先端で蕾を刺激する。口に宛がわれると、中へと侵入していった。愛液でしとど濡れた身体は抵抗もせずにそれを受け入れ、熱いものがずるずると胎内に滑り込んでいく。
突然、腰を突き上げられ、紫恋は悲鳴を上げた。男は膝上で悶える紫恋を開脚させ、交合する様子を鏡に映した。剛直な塊を咥え込み、侵食していく様が視界に映る。
そのあまりに淫靡な光景は、二人を絶頂へと誘った。接合部から混じり合った体液が流れ出し、紫恋は艷容な姿に魅入られた。
想像以上に濃密な交合に、身体は快楽に充溢としていたが、内心は複雑だった。学問にしろ色事にしろ、無知な女だとまざまざと思い知らされた気がした。
「私は…公閭様のために…何を学べばいいのですか…?」
「急に学ぶ気になったと思えば、やはり俺のためか」
繋がったまま、男は喉を鳴らして笑った。小馬鹿にされた気がして、紫恋は声を震わせた。
「…おかしいですか? 私は公閭様に相応しい女になりたいんです。無知な女ではいたくないんです」
「くく、その無垢で健気な姿勢が俺に相応しいのだ。知識の有無など気にするな、わからぬ事は俺が教えてやる。学問でも色事でも、お前が望むならいくらでもな…」
吐息混じりの低音が紫恋の意識を奪っていく。唇が触れ、男の身体が再び艶かしい動きを始めると、表現し難い快感が全身を駆け巡る。
この官能的な瞬間に、紫恋は学問より色を学ぶ事を選んだ。
了
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