乾いた風が吹き荒ぶ人気のない夜道を紫恋は一人歩いていた。冷気を避けるように襟巻で顔全体を覆っているが、布で覆い切れない部位は赤く震えている。
だが、紫恋の頭には寒さよりもこの先に待ち構えている賈充の事で頭が一杯だった。この刻限では、賈充も屋敷に帰っている頃だ。
当初は紫恋も、この寒空に長居するつもりは毛頭なく、使用人にも『夕刻には帰る』と伝えていた。ところがすでに夕刻どころか、月が見えるまで夜は更けている。心配しているのはもちろんの事、かなり立腹しているだろう。自分から言い出した約束の刻限をとうに過ぎているのだから。
ただ何の気なしに、この刻限まで外をぶらついていた訳ではない。秋も深まったこの季節、どうしても都まで買い出しに行く必要があった。冬となれば交通も不便になるし、雪が積もる前に冬支度がしたかったのだ。
紫恋が都まで行った一番の目的は、冬物の着物を新調するため質の良い反物を購入する事。無論、賈充のためのものだ。とはいえ、それで約束を破っては元も子もない。賈充が事情を知っても、叱責される可能性の方が遥かに高い。
一刻も早く帰らなければと気持ちは急いだが、両手の荷物が邪魔でろくに走る事もできない。こんな事なら、使用人に馬を引いて貰えば良かったと後悔した。いや、それよりも反省すべき点が他にある。
都での買い物はつい時を忘れてしまう。出店の数も然る事ながら、扱っている品物も多種多様でつい目移りしてしまうほどだ。そうして何を買おうかと迷っている内に、すっかり日が暮れてしまったのである。
当然、そんな事は賈充にとってただの言い訳にしかならない。紫恋は覚悟を決めて、さらに足を速めた。空から雪がちらついて来たが、冬の到来を実感している余裕などなかった。
*
屋敷の前に立った紫恋は、一度深呼吸をしてそっと扉を開けた。幸い、玄関先には人の姿はなかった。そのまま部屋に向かおうとすると、廊下の脇から黒い影が現れ、紫恋の行く手を遮った。
「随分と遅いお帰りだな。買い物は楽しめたか?」
相手の顔を確認する前に、冷淡な声が頭上から降り掛かった。恐る恐る顔を上げると、すでに戦袍から着物に着替えた賈充だった。その表情は不機嫌そのものだ。
「今が夕刻だとは言うまいな。お前の感覚は一体どうなっている」
「…ごめんなさい、すぐ帰るつもりだったんですけど、つい目移りしてしまって…」
「それでこの荷物か。これだから女の買い物は質が悪い」
嫌味に続き素っ気ない言葉を返され、紫恋は力なく項垂れた。自分が悪いのは重々承知しているが、娯楽のために都へ行った訳ではない。紫恋は荷物から購入した反物を取り出し、背を向けた賈充の前に差し出した。
「でも、とても良い反物を見つけたんです。公閭様に似合うと思って」
賈充は一度、反物に視線を落としたが、すぐに紫恋の手を掴み上げて睨み付けた。さらに白い手は紫恋の襟巻を剥ぎ取った。乱暴な手振りと視線に臆していると、賈充は赤く染まった頬と掌をしばらく眺め、一層鋭く紫恋を睨んだ。
「早く風呂に入って来い。これで風邪を引いても同情できぬ」
素っ気なく言い捨てると、賈充は一人寝室に戻ってしまった。
いつもなら小言を延々と聞かされるが、最後には呆れ顔で許してくれる。今回は呆れて言葉もないという事なのか、これほど機嫌の悪い賈充を見るのは初めてだった。紫恋は落胆して静々と荷物を片付け、言われるまま浴室へと向かった。
──たまたま虫の居所が悪かったのよ。
風呂から上がった紫恋は、気を取り直して賈充の待つ寝室に向かった。賈充は先に寝台に横になっていたが、扉が開くと顔を上げた。
「遅いぞ」
相変わらず冷たい言葉に紫恋は暗い表情で男の傍に駆け寄り、片脚を布団にそっと滑り込ませた。冷淡な言動とは違う、心地良い温もりが肌に伝わる。
すると賈充は寝返りを打って紫恋の方へ向き直り、わずかに微笑んで見せた。
「外は寒かっただろう。身体は温まったか?」
急に優しく気遣う言葉を掛けられ、紫恋は思わず頬を緩めて頷いた。
「えぇ、おかげさまで。身体の芯まで温まりました」
「ほう、身体の芯までか。それは良い」
そう言って賈充は不敵な笑みを浮かべた。不穏な気配を漂わせる黒い微笑みに紫恋は警戒したが、気付いた時にはすでに遅く、着物を掴まれ寝台に押し付けられていた。
「それが本当なら、確かめてやろう」
賈充は不気味な含み笑いを溢すと、紫恋の内腿へ手を滑らせ、秘部に指を押し込んだ。馴らす訳でもなく、一度に数本の指を押し込まれ、摩擦から来る痛みと熱に紫恋は顔を歪ませた。
「いやっ…!」
「くく、確かに熱いな。俺はお前のおかげですっかり湯冷めしたというのに」
胎内で指が大きく複雑に動き、肉壁を刺激していく。次第に痛みが快感へと変わり、漏れる呼吸が甘くなる。内部が潤っていく様に眼前の男はほくそ笑んだ。
「…んっ、んっ……公…閭様…っ!」
「良い反応だな。俺を待たせた代償は払ってもらうぞ、たっぷりとな」
親指で蕾を強く押し回され、紫恋は甲高い悲鳴を上げた。内と外からの愛撫に身体は波打ち、堰を切ったように蜜が溢れ出す。
さらに賈充は着物を剥ぎ取り、露になった柔肌を指が食い込むほど強く撫で上げた。そのあまりに手荒い愛撫に紫恋は身体を捩らせたが、白い指がさらに強く肌を掴んで引き戻し、太腿を抉じ開けて執拗に秘部への愛撫を繰り返した。抵抗しようともがくほど、愛撫は苛烈になる。
「俺から逃げられると思うな」
苛立ちの篭った声が聞こえたと思うと両腕を掴み上げられ、着物で寝台の柱に縛り付けられてしまった。全裸で寝台に貼り付けになり、さらに両脚は賈充に固定され秘部は晒されたまま。己のあられもない姿に紫恋は羞恥から堪らず声を上げた。
「やっ…嫌です、公閭様! もうしませんから許して下さい!」
「駄目だ。今宵、お前が犯した罪は重い」
冷たく言い放つと、途端に紫恋の視界が何かによって遮られた。布が顔に巻き付き、紫恋は恐怖から必死に首を振ったが、より複雑に絡まっていく。
「お願い…やめて…っ!」
「お前が買って来た反物だろう。少しは喜べ」
視界を奪ったものが賈充のために購入した反物だと知り、言葉を失った。
──こんなつもりではなかったのに。
紫恋の目元が涙で濡れた。
「いい様だな、紫恋」
暗闇の中で冷笑が聞こえた。表情が見えないため、さらに恐怖と不安が増す。刻限を守れなかっただけで、なぜこれほどの仕打ちを受けなければならないのか──。
抵抗をやめた身体に熱い舌が這った。乳房全体を舐め上げ、頂を舌先で弄び、軽く歯で噛み付ける。愛撫に反応するも身動きが取れず、逃げ場を失った性感が直接、全神経に襲い掛かる。代わりに悲鳴となって口から放たれた。
「んぁっ…やっ……ああぁっ!」
「もっと泣き喚け、踊り狂え。そうすれば許してやらなくもない」
痙攣し、喘ぎ悶える姿に滾った男はさらに性感帯を刺激する。乳房を弄んでいた舌が鎖骨から首筋を伝い、唇に到達すると深く口内に押し込んだ。
男の口から漏れる吐息が、視界を奪われた事でより官能的に耳に響く。戸惑いも恐怖も、この濃厚な性的快楽の中へと飲み込まれていった。
紫恋も行為を求めるように自ら男の身体に脚を絡ませた。熱を帯びた逞しい身体。ふと、一際固く熱いものが脚に触れた。視界に映らずとも、それが今、紫恋が求めているものだとわかる。
何も言わずとも、それは次第に内腿へと滑り込み、焦らすように滴る蜜をなぞりながら紫恋の胎内へ侵入した。肉塊はまるで生き物の如く胎内を突き進み、掻き回し、侵食していく。動く度に肉塊が肉壁を擦り、激しい水音が立った。
肌の触感がいつも以上に強く、濃密に感じられる。冴え渡った聴覚が、普段は聞こえないはずの胎内の音さえも拾い、紫恋の理性を奪う。寝台に貼り付けられた身体が束縛を破らんばかりにのた打ち回り、左右に捩れた。重なる唇の合間から終始喘ぎ声が漏れる。
「この寒夜に一人、屋敷で過ごす時がどれほど寂寥としたものか、お前はわかるか?」
唐突に放たれた低音が紫恋の意識を呼び戻した。怒気を帯びた声色の中に、どこか物悲しさが漂っている。無論、行為に溺れる紫恋に答える余裕などなく、声は続けて言った。
「屋敷にいると思えば姿もなく、俺を待たせた挙句に冷え切った身体で帰って来るなど言語道断だ。二度と同じ事は繰り返さぬと誓え」
紫恋が喘ぎながら何度も頷くと、賈充は許しを受け入れるように再び唇を塞いだ。
──寂しかったのね。
彼は孤独を言動に表すような男ではない。それに気付かなかった自分が悪いのだ。紫恋は恍惚とした意識の中、そう悟った。
一段と激しく舌を絡め、両脚を持ち上げて体重任せに一物を押し込み、より深く互いの身体を繋げる。受け入れた胎内がそれを掴み上げると、最奥へと欲が流れ込んだ。全身が欲求に満たされ、意識が蕩けていった。
*
視界が開けると、ぼんやりと色白な男の顔が浮かんだ。怒っているのか微笑んでいるのか、表情は全く読めない。それでも紫恋は腕を縛り付けていた布が外されたと同時に、目の前の男に抱き付いた。
「ごめんなさい、もう二度と屋敷を留守にはしません。だから怒らないで」
「ここまでされても尚、許しを請うとはな。お前の言い分はないのか? 俺のために都まで行ったのだろう」
穏やかな声色に顔を上げると、賈充は呆れ顔でこちらを見下ろしていた。それは叱責した後に見せるいつもの微笑みで、紫恋は心から安堵した。
「いいんです、私が悪いから。お詫びに公閭様に着物を仕立てますから、待ってて下さい」
「この生地で作るつもりか? 見る度に今宵の情事を思い出しそうだな。まぁ、それも良いか」
そう言って賈充は反物に視線を向け、鼻で笑った。反物は汗と唾液に濡れ、皺だらけでとても使えそうにない。それ以前に、見る度に凶行が過る反物など使いたくもない。
いくら寂しさ故の行動とはいえ、あのような凶行に走るなどあまりに乱暴で大人げない。全く悪びれる様子もなく笑う賈充を紫恋は睨み付けた。
「公閭様があんな事するからです。明日、また買って来ます」
「残念だが、この様子では都へは行けぬな」
言われて窓を覗くと、あの細雪がいつしか景色を白く色付けていた。過激な情事のおかげで気付かなかったが、その光景に紫恋は我に返った。
「どうしましょう、まだ冬の準備も出来ていないのに」
「構わぬ。お前がいれば、俺はそれでいい。もうどこにも行くな」
賈充は反物を奪い取り、紫恋の首筋に顔を埋めた。生温かい唇の感触と吐息が肌に掛かり、身体が火照っていく。一糸纏わぬ姿で冬の到来を目の当たりにしているというのに、寒さなど微塵も感じられない。
──愛しい人が傍にいると、こんなにも温かいのね。
賈充が今宵、狂気に走るほどに自分を欲した理由がようやくわかった。この温もりに勝るものなど、何もない。他に何もいらない──。
細雪が降る寒夜、二人は愛しい者の温もりに陶酔した。
了
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