『悪戯心を擽る』

 紫恋が慌しく書簡の整理をしていると、隣に座っていた徐庶が手で口を押さえた。見えないように隠しているが、紫恋はそれが欠伸だと気付いていた。
 もう何度目の欠伸になるかわからない。今まで見ない振りをして来たが、あまりに頻繁に欠伸ばかりするので、堪らず声を掛けた。

 「…元直様、今、欠伸しましたよね?」
 「あ、いや…してないよ」

 徐庶は慌てて筆を持ち直したが、目には薄らと涙が浮かんでいる。誤魔化すのが下手だと、紫恋はくすくすと笑った。

 「私、ちゃんと見てましたよ。涙出てるし」

 指摘すると、徐庶は目を擦りながら苦笑した。

 「…すまない、最近ちょっと疲れてて、その…ついね」
 「ちゃんと寝てるんですか?」
 「ええと…一応ね」

 曖昧な返事に絶対に寝ていないと確信した。夜分遅くまで自室でも仕事をしているのだろう。紫恋は深い溜め息をついた。

 「もう部屋で休んではどうですか?一日ぐらい早めに切り上げてもいいと思いますけど」
 「大丈夫だよ。それにまだ仕事が残ってるから」

 今にも眠ってしまいそうな目でそう言われても、大丈夫とは思えない。参謀としてやるべき仕事が他にもある事は紫恋も知っている。その分、公務を休めばいいのだが、紫恋に気を使って休もうとしない。休めば紫恋が仕事に追われるとわかっているからだ。
 一日や二日残業したからといって、身体がどうにかなる訳でもないというのに──。恋人を気遣ってくれるのは嬉しいが、無理をされても素直に喜べない。

 「ここは私に任せて、今日はもう休んで下さい」
 「でも、この量は君一人じゃ無理だよ」
 「私の心配より自分の心配をして下さい。無理して倒れたらどうするんですか?」

 強い口調で言うと、徐庶は眉を下げて小さく頷いた。

 「…わかったよ、紫恋がそう言うならもう休むよ。君も無理しちゃいけないよ」

 そう言って徐庶はふらついた足取りで席を立った。最後まで恋人を気遣う徐庶を紫恋は呆れ顔で見送った。

 *

 手持ちの仕事を片付け、掃除を終わらせた頃にはすでに日も沈み、月が覗いていた。
久々の残業で疲れたものの、達成感の方が強い。一人で片付けたと言えば、徐庶はどんな顔をするだろうか。
 徐庶が部屋に戻ってから大分経つ。とうに寝ている頃だと思うが、本当に休んでいるのかどうか気に掛かる。もし起きていたら、部屋に戻らせた意味がない。様子を見るため、紫恋はその足で徐庶の部屋に向かった。

 部屋の前に立ち、安堵の溜め息をついた。幸い部屋の灯りは消えていて、窓から室内を覗くと真っ暗で静まり返っている。扉に手を掛けるとすんなり開いたので、失礼しますと囁いて足を踏み込んだ。
 扉から差し込んだ月明かりで室内が見えた。机には書簡の束と書物が山積みにされ、床にまで及んでいる。燭台に灯りを灯すと、さらに雑然とした光景が広がっていた。よく見ると書物のほとんどは小難しい軍事書や兵法書で、いかにも参謀らしい部屋だと思う一方、ろくに片付けないところはいかにも男性らしい。
 書斎を簡単に整頓してから奥の部屋を覗き込むと、徐庶は寝台で布団に包まっていた。顔を覗くと、寝息を立てて熟睡している。穏やかで、子供のようにあどけない寝顔。その口元はどこか微笑んでいるようにも見える。愛らしい寝姿につい笑みが零れた。

 ──可愛い人ね。

 紫恋はその場に座り込んで、まじまじと徐庶の顔を見つめた。指先で無精髭をなぞり、頬を軽く押してみる。よほど熟睡しているのか微動だにしない。あまりに無防備な姿に、不意に悪戯心が湧いた。

 ──仕事のご褒美って事でいいわよね。

 そっと徐庶の唇に顔を近付ける。すると突然、徐庶の目が開いた。同時に「うわっ」と声が上がり、寝台から飛び起きて目を丸くした。だが、紫恋だとわかると途端に強張っていた表情が解れ、徐庶は再び寝台に寝転がった。

 「何だ…紫恋じゃないか。脅かさないでくれ」
 「ごめんなさい、そんなつもりはなかったんですけど」

 徐庶の反応があまりに面白くて、紫恋は笑顔で返した。ただ、寸前で唇が重ならなかったのが悔しい。悪戯されかけた事も知らずに、徐庶はいつもの優しい声で尋ねた。

 「こんな刻限に部屋に来るなんて、どうかしたのかい? 仕事は終わったのかい?」
 「仕事はついさっき終わりました。元直様が寝てるかどうか気になって」
 「さっきって…もう夜中だよ。一人で大変だっただろう。俺の事はもういいから、紫恋も休んだ方がいいよ」

 寝台に寝そべったまま、とろりとした目で見つめられ、抑圧していた悪戯心に一気に火が付いた。

 「私もそうしようと思ったんですけど、寝ている元直様を見ていたら気が変わりました」
 「それってどういう──」

 言い掛けた口を唇で塞いだ。徐庶の頬に両手を添え、唇を強く押し付けて動かす。最初は戸惑っていた徐庶も、唇を動かして応えた。
 相手が応えた事でさらに気持ちが昂り、紫恋は徐庶の上に飛び乗った。戸惑いの色に満ちた眼差しが紫恋を見つめる。まるで迷子になった子犬のような目だと思った。

 「急にどうしたんだ? 寂しかったのかい?」
 「いいえ、元直様が可愛いかったから、悪戯したくなったんです」

 可愛いという言葉に徐庶は苦笑した。

 「…まさか女性から可愛いなんて言われるとは思わなかったよ」
 「褒めてるんですよ」

 紫恋は微笑み返して、再び唇を重ねた。自ら舌を押し込んで相手の舌に絡ませ、着物の裾から手を滑らせて胸板を撫でる。狼狽していた徐庶も積極的な行為に次第に昂り始め、口の動きも呼吸も荒くなっていく。さらに着物越しに固く滾ったものが太腿に当たった。

 ──まだ接吻しかしていないのに。

 紫恋は薄く笑い、わざと太腿を動かしてそれを刺激した。荒い息遣いの中に甘い吐息が混じり、触れていたものが敏感に反応した。薄らと目を開けて見ると、徐庶は刺激に耐えるように固く目を瞑っていた。その様が一層愛らしく映り、自分の行為で感じていると思うと、さらに欲が湧き立った。
 それを手で直接なぞると、重なった唇の合間から低い呻き声が漏れた。続いて吐息混じりの声が紫恋に問い掛ける。

 「…俺を休ませてくれるんじゃなかったの?」
 「気が変わったって言ったでしょう。誘った元直様が悪いんです」
 「…意地悪だな」

 紫恋を抱き寄せていた徐庶の腕が背中を伝って下部へと向かう。着物の上から膨らみを撫でつつ、さらに下へと滑り込み、秘部に触れた。身体が反応し、大きく波打った。着物越しに仕返しとばかりに指を何度も押し付けられ、繰り返される刺激に堪え切れず唇を離し、嬌声を上げた。
 ふと見ると、徐庶が紫恋を見つめている。その眼差しがどこか意地悪く見えた。手が着物を掻き分けて中に入ると、濡れた箇所を直に撫でた。指に蜜を絡めながら、ゆっくりと中に押し込んでいく。紫恋は喘ぎ声を上げて身体を震わせ、徐庶にしがみ付いた。

 「悪戯したいなんて、今日の紫恋は淫らすぎるよ」

 彼の口から発せられた言葉は酷く冷静だった。余裕のない表情が怒っているように見える。いや、本当に怒っているのかもしれない。紫恋を案じていた時の声色と全く違う。
 次の瞬間、身体が大きく揺れた。気付けば徐庶が上に跨がり、紫恋を見下ろしていた。

 「今度は俺の番だよ」

 言った直後、紫恋の脚を抱えて腰を押し付けた。胎内に剛直な塊が侵入し、最奥まで貫いた。一段と固く滾った一物は瞬く間に胎内を占領し、肉壁を押し広げる。紫恋は激痛に顔を歪め、悲鳴を上げて大きく仰け反った。それでも徐庶は己自身で激しく掻き混ぜる。

 「痛っ…いや…やめて…っ!」
 「君が自分でやったんだよ。ちゃんと受け止めてくれないと困るよ」

 体重を掛けてさらに奥まで押し込み、執拗に攻める。次第に痛みも快感に変わり、拒否していた身体が徐庶を受け入れた。強く締め付け奥へと引き込み、胎内が熱くなる。熱で意識が朦朧とする。
 目の前では紫恋の身体に溺れる男の姿が映っていた。動く度に口から荒い吐息が零れ、表情が歪む。取り憑かれたように頻りに腰を打ち付ける。額に浮かんだ汗が流れ落ち、飛び散った。
 徐庶は何かを振り払うように首を振り、ぽつりと呟いた。

 「すまない…これ以上…我慢できない…」

 身体が大きく波打つと、熱いものが胎内に流れ込んだ。ようやく官能から解放された安堵感から、意識が飛んだ。

 *

 「…紫恋」

 優しい囁き声が耳元で聞こえた。目を開けた先には、心配そうに見つめる徐庶の顔。目が合うなり、その口元は綻んだ。

 「気が付いて良かった、心配したよ。身体は大丈夫かい?」
 「えぇ…大丈夫です」

 しかし、実際は起き上がる力もなく、寝返りを打つだけで精一杯だった。
紫恋の身体は綺麗に拭かれ、なぜか徐庶の着物を着ている。紫恋の着物は枕元に畳んであった。寝ている間に徐庶が代えたのだろう。書斎の窓から覗く空はすでに白んでいた。

 「すまない…やりすぎたよ。可愛いって言われて、つい向きになってしまったんだ」

 徐庶は肩をすぼめて力なく頭を下げた。ふと怒気を帯びた顔を思い出した。今はそんな気色は全くなかったが、紫恋は恐る恐る返した。

 「悪気はなかったんですけど…可愛いって言われたの、そんなに嫌でしたか?」
 「嫌というか、少し複雑だったよ。男としてどうなんだろうって…やっぱり俺ってそんなに駄目なのかな…」
 「私なりに褒めたつもりだったんですけど、傷付いたのならもう言いません。私も変な事ばかり言ってごめんなさい」
 「いや、いいんだよ。それに、その…ええと…」

 徐庶は急に口籠り、照れ臭そうに頭を掻いた。

 「い…嫌じゃなかったよ。紫恋になら、そう言われてもいいかな…」

 寝癖でぼさぼさの髪に寝ぼけ眼の穏やかな顔──。さらに頬を赤らめて俯く姿が愛らしくて、悪戯心が擽られる。

 ──本当に可愛い人。

 紫恋が笑うと、徐庶もはにかんだ。

 「でも、いまいちよくわからないんだ。一体俺のどこが可愛いんだい?」
 「全部ですよ」

 その優しく穏やかな声も、どこか自信のない笑顔も、加減できない不器用さも──。
 私には貴方の全てが可愛く、魅力的に映る。



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