あのお方が恋しくて堪らない──。
目を瞑ると、目蓋に焼き付いた一人の男の姿が浮かぶ。蝋のように白い肌に艶かしい漆黒の髪。非の打ち所のない端整な顔立ち。心を見透かすような紺青の瞳。無慈悲に囁く低音。色彩に欠けた風貌にも関わらず、妖艶な色気を持つ男──賈充。残忍な影を帯びた容姿も、紫恋には全てが艶容に映る。
一刻も早く会いたい──。
その一心で紫恋は執務室に向かう。だが、ひと度賈充と顔を合わせると全身が火照り、公務に集中できない。
その髪や肌に触れてみたい──。
そんなよからぬ思いばかりが脳裏を過る。
当初は賈充の期待に応えるため仕事に励み、ただ純粋に恋い慕っていたものが、今では抱いていた恋情があらぬ方向へと昂ぶり始めていた。自分でも正気の沙汰ではないと思う。だが、もはや賈充の魅力に抗う力はなかった。
この日も仕事中に賈充を目で追っている内に、敷居に躓いて転んでしまった。持っていた竹簡がけたたましい音を立てて床に散乱する。
「何をやっている」
賈充の刺々しい声に、紫恋は慌てて竹簡を拾い集めた。そこに賈充が立ちはだかり、そっと手を差し伸べる──訳もなく、新たに書簡の束を机に置いた。
「これも片付けておけ」
ただ目の前に立っただけなのに、賈充の視線が気になり竹簡を拾う手が震える。何とか平静を装おうとしたが、この異変を賈充が見過ごすはずがなかった。
賈充はその様子をしばらく無言で眺めていたが、おもむろに紫恋の隣に立ち、机の端を指で叩いた。驚き顔を上げると、賈充は訝しげに紫恋を見下ろし、無言で顎をしゃくり上げ、表に出るように指示した。
執務室を出た途端、賈充は叱責した。
「どうも最近、お前は公務に集中できぬようだな。呆けた顔で一体何を考えている」
貴方の事です──などと言える訳もなく、紫恋は深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、少し寝不足気味でして…」
すると賈充は眉を顰めて軽く舌打ちをした。
「ならば部屋に戻って休め。そのまま続けられては迷惑だ」
冷たく言い放つと、賈充は一人室内に戻って行った。後に続いて執務室に入ろうとするとすぐに横目で睨まれ、紫恋は一歩引いて静かに扉を閉めた。
軽率についた言い訳が逆鱗に触れたらしい。ようやく紫恋は目を覚まし、肩を落として執務室を後にした。
*
しばらく寝台に伏して泣いていたものの、落ち着けば再び賈充の事を考えていた。どんなに冷たい言葉を浴びせられても気持ちは変わらず、狂おしい感情は一層強くなる。だが、今日の一件で愛想を尽かされたのは言うまでもない。
──邪な事を考えた罰だ。
紫恋は深い溜め息をついた。
戸を叩く音に紫恋ははっと顔を上げ、涙を拭いながら扉を開けた。目の前に立っていたのは賈充で、思わぬ訪問者に呆然と立ち尽くした。
「か、賈充様…一体どうして?」
「お前の様子がおかしいので、少し気になってな」
そう言って賈充は部屋に上がり込んだ。紫恋は我に返り、慌てて椅子を差し出すと、賈充は無言で椅子に腰掛けた。
──賈充様が私の部屋にいる。
まるで夢のような光景に紫恋の緊張は最高潮に達した。こんな事なら部屋を掃除しておけば良かったと、どうでもいい事しか浮かばない。過去に賈充が訪問して来た事など一度もなく、当然来るはずもないと思っていた。まさか自分を気遣って訪問して来るなど思ってもみなかった。
「泣いていたようだな」
「は、はい?」
突然尋ねられて素っ頓狂な声を出すと、賈充は溜め息を吐いた。
「心ここにあらずと言った様子だな。以前はあれほど真面目で仕事熱心だった者が、何がどうなってそんな阿呆になった。上官として捨て置けぬ」
「それは…」
とても面と向かって言える内容ではなく、紫恋は口を噤んだ。
「俺に仕える事に不満があるのなら、他に回れるように手筈してやっても良い」
「そんな事はありません!」
紫恋が急に感情的になったため、賈充は目を丸くした。
「ならば理由を言え。俺がわざわざ顔を出したのは、お前の才を高く買っているからだ。役立たずならば最初から相手にせぬ」
まっすぐ目を見据えられ、緊張で余計に言葉に詰まった。口籠る紫恋に賈充は苛立ち、舌打ちをした。
「理由が言えぬなら明日にでも他所に回すぞ」
「い、言います。でも…どうか怒らないで下さい」
「どうするかは聞いてから判断する」
ここまで追い詰められては言うしかない。紫恋は玉砕覚悟で胸の内を告白した。
洗い浚い話した後、ふと賈充を見ると無表情で空を見つめていた。何を言われるかと固唾を呑んで見ていると、賈充は急に含み笑いをした。
「なるほど、お前を阿呆にさせたのはこの俺か」
「そう…いえ、これも私が至らないせいです。賈充様は何も悪くありません」
「確かにそうだが、部下の不備は上官の責任だ」
賈充は腰を上げると紫恋の手を取り、自分の頬に宛がった。紫恋は驚いて手を引いたが、手首を強く掴まれ全く動かない。
「ちょっ、賈充様!?」
「俺に触れたいと言ったのはお前だろう」
賈充は赤面する紫恋に構わず指先に口付けをし、さらに唇で咥えて舌で舐めると、そのまま指の股まで唇を這わせた。その瞬間、紫恋の思考回路は壊れた。
顔を真っ赤にして硬直する紫恋を賈充は鼻で笑った。
「くく…紫恋、これでどうだ。満足か?」
指先から手の甲まで舌先で舐め上げて、ようやく手を離した。安堵したのも束の間、突然賈充に突き飛ばされ、紫恋は寝台に倒れ込んだ。すぐに上から賈充が跨がり、身体を押さえ込む。
「しかし、邪欲で公務を疎かにしたのなら仕置きが必要だな」
賈充の顔から笑みが消え、着物の上から胸を鷲掴みにした。紫恋は逃げようと身を翻したが、背後から押さえ込まれた。
「逃げるな。お前が最初に望んだ事だろう」
耳元で囁くと、唇で耳朶を食んだ。その間にも手は着物の中を這い、秘部を刺激する。蕾を指で弄ばれ、堪え切れず声が漏れた。
「実際はお前の幼稚な妄想とは訳が違うぞ。俺が教えてやる」
そう嘲笑うと紫恋を仰向けにし、両脚を押し広げて露になった秘部に顔を埋めた。舌を挿入され、生温かく濡れた感触に、恥も忘れて甲高い喘ぎ声を上げ、身体を仰け反らせた。
紫恋自身が熱望した事なのに、何か違う気がしてならない。そう思うのは、想像以上に賈充の愛撫が苛烈なせいかもしれない。自分が抱いた色情など、たかが痴れたものだと思い知らされた。
賈充は秘部から滴る蜜を舐め取ると、今度は指で内部を掻き回した。ある部分に触れたと同時に紫恋は声を上げ、賈充はほくそ笑んだ。
「ほう、紫恋…ここが良いのか?」
一ヶ所を執拗に指で弄られ、堪らず声を上げた。
「あぁっ…! もう…嫌です…早くっ…!」
「早く、何だ? 欲しいのか? 俺のはこんなに優しくはないぞ」
紫恋が必死に首を振ると、賈充は衣服を脱ぎ捨てた。すでにいきり立った一物を前に思わず息を呑んだ。
「受け入れる覚悟はできているだろうな。今さら逃げようなどと思うなよ」
尋ねておいて、賈充は返事も待たずに一気に内部に押し込んだ。剛直なそれは先ほど指で刺激した箇所を幾度も攻め立て、突き上げる度に質量が増し、胎内を満たしていく。
苛烈な攻めに意識を失うのに、そう時間は掛からなかった。
紫恋が目を覚ますと、寝台に腰掛ける賈充の後ろ姿が見えた。すでに衣服を着て、上着を羽織るところだった。
「…賈充様」
「ようやく目を覚ましたか」
振り返った賈充は何事もなかったように平然としている。ぐったりとする紫恋に冷たい視線を向けた。
「これで下らぬ妄想から目が覚めただろう。俺の部下に阿呆は要らぬ。仕事ができないと言うなら他所に回す」
「待って下さい、これでも本気なんです! 私は絶対諦めません!」
「俺は阿呆は好かぬ」
「では、今まで以上に頑張ります。だからせめて貴方のお傍に置いて下さい!」
紫恋が懇願すると、賈充は溜め息をついた。
「全く…懲りない女だ。まぁいい、お前が仕置きの途中で失神したおかげで教え損なったからな。続きは後でゆっくり教えてやる」
賈充は不敵な笑みを浮かべ、部屋を出て行った。
とりあえず進展はあったらしい。何だかんだと言いながら、実は相思相愛だったようにも思える。だが、素直に喜んでいいのかわからない。
「凄い性癖ね…とても敵わないわ」
今後待ち受けている事を想像すると、何とも複雑な気分だった。
了
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