大切な話があるから二人で会おう──。
突然、馬超からそんな事を言われて紫恋は動揺した。まだ付き合い始めたばかりだというのに、大切な話とは何なのか。期待と不安が交差する。
馬超は良い意味でも悪い意味でも、一つに集中すると周りが見えなくなる質で、特に馬の事となると話に終わりがない。以前も馬の話だけで一日が終わった事もある。だが、目を輝かせて語る姿は無邪気な子供のようで、そんな純粋な馬超が好きだった。それだけに悪い展開だけは考えたくない。
案の定、待ち合わせ場所は厩舎だったが、珍しく愛馬の姿はなく、馬超一人が佇んでいた。
「紫恋、急に呼び出してすまない」
そう言って振り向いた馬超の表情はどこか冴えない。
「あの…大切な話って何でしょうか?」
「うむ…突然だが、紫恋は俺の事をどう思っている?」
「もちろん好きですよ」
紫恋が何の躊躇いもなく答えると、馬超の表情が綻んだが、すぐに翳った。期待よりも不安要素の方が強い展開に、紫恋は眉を顰めた。
「どうしてそんな事を聞くんですか? 私の事が嫌いになったんですか?」
「いいや、それだけは断じてない! 俺は一日たりとも紫恋の事を忘れた日はないぞ! 今では紫恋を想い過ぎて夜も眠れんのだ。正直、ここまで人を好きになった事はない…自分でも戸惑っているくらいだ」
急に大声で想いを告げられて、紫恋はつい目を伏せた。気持ちは嬉しいが、時や場所を考えずに感情的に思った事を口にするので、時々聞いているこちらが恥ずかしくなる。だが、とりあえず悪い展開ではなかった事に安堵した。
「しかし、こんなにも好きだというのに、俺は紫恋を喜ばせる方法がわからんのだ。馬の話以外にまともな会話も思い付かん始末だ。こんな事では紫恋が愛想を尽かして離れてしまうのではないかと不安なのだ…」
話を聞いた紫恋は、落ち込む馬超の手を取って微笑み返した。
「そんな事、一度も思った事ありません。だって私は、自分に正直で純粋な馬超様が好きなんだもの」
すると馬超の表情は見る見る悦色に満ち、紫恋を力強く抱き締めた。
「やはり俺には紫恋しかいない。もう馬などどうでもいい、お前が一番大切だ。何があっても絶対に離さないぞ」
熱い鼓動から純粋な心が伝わって来る。紫恋はしばらく陶酔したが、次第に抱き締める力が強くなり、息苦しさに思わず声を漏らした。
「馬超様…苦しいです」
「紫恋、俺もお前を想うだけで胸が苦しいぞ」
「いえ、そういう意味じゃなくて…」
ようやく馬超は腕を離し、紫恋の肩に手を当てると喜色満面に言った。
「紫恋、早速だがこれから遠出しないか? 一度、お前と各地を駆けてみたかったのだ」
「えぇっ? これからですか? 私はいいですけど、馬超様はまだ仕事が」
「よし、では馬を連れて来る。少し待っていろ」
ろくに話も聞かずに馬超は厩舎へ入って行った。
『馬などどうでもいい』と言った矢先に『馬を連れて来る』とは、矛盾もいいところである。本当に一つに夢中になると周りが見えなくなる人だと、紫恋は溜め息をつき、ふと微笑んだ。
──何だかんだで、やっぱり馬なのね。
「紫恋! お前のためなら俺はどこまでも駆けるぞ!」
あの落ち込みようは何だったのかと思うほど、馬超は愛馬に跨がり、目を爛々と輝かせた。子供のように無邪気に笑うその姿は、勇猛と謳われる蜀の五虎将軍のものとは程遠い。しかし、これが紫恋が惚れた男の姿だった。
──やっぱり馬超様はこうじゃないとね。
紫恋は無邪気に笑って、差し伸べた馬超の手を取った。
馬超の場合──了
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