──今日は徐庶様と初めて二人きりで会える日。
紫恋は約束を交わした当初から、ずっとこの日を待ち望んでいた。刻限間近まで髪を梳かして綺麗に結い上げ、着物も新調した。自分でも納得のいく完璧な姿で、待ち合わせの丘の上で一人徐庶を待った。
約束の刻限から少しばかり遅れた頃に徐庶は駆け足でやって来た。そして紫恋の顔を見るなり陳謝した。
「すまない、仕事が長引いて遅れてしまった…怒ったかい?」
「えぇ、怒ってます。約束したのに遅れるなんて酷い」
頬を膨らませて紫恋が返すと、徐庶は眉尻を下げて「ごめん」と力なく俯いた。もちろん本気で怒っている訳ではなく、徐庶の顔を見ると意地悪したい衝動に駆られる。
そろそろいいか──と、紫恋は途端に笑って見せた。
「冗談です。お仕事忙しかったんでしょう? ただ、徐庶様がどんな顔をするか、ちょっと見てみたかっただけ」
「酷いな、本気にしたじゃないか」
意地悪く微笑む紫恋に、徐庶は頭を掻きながら安堵の表情を浮かべた。
この大切な日にも、徐庶は相変わらず寝癖なのか癖毛なのかわからないぼさぼさの髪に、無精髭を生やしている。予想はしていたが、依然として身なりに気遣わない様子に紫恋は少し呆れた。
「徐庶様は、普段からそうなんですか?」
乱れた髪を指差して尋ねると、徐庶はばつが悪そうに視線を逸らした。
「あぁ…すまない。今日は紫恋と会う日だからちゃんとしようと思ったんだけど、今まで気にした事がなかったからどうすればいいかわからなくて…ごめん、また言い訳したね」
「『すまない、ごめん』って謝るのも、もう四回目ですよ」
すると徐庶は再び「ごめん」と言って苦笑いをした。
「それじゃあ、これからは私が徐庶様の身辺管理をしてあげます。早速手直ししますよ、はい座って」
「嬉しいけど、紫恋は手厳しそうだな」
躊躇う徐庶を無理矢理座らせると、紫恋は懐から櫛を取り出して髪を梳かした。癖のある髪は意外とすんなり櫛が通る。自分から言い出した事なのに、髪を撫でる指先が熱くなった。
「何だか恥ずかしいな。女性にこんな事してもらったの初めてだよ。でも…とても気持ち良いよ」
見ると徐庶の顔は赤らんでいた。本当に初な人だと、紫恋は笑った。
「そうですか? じゃあ、毎日梳かしてあげますね。ついでも髭も剃ってあげましょうか?」
「それは嬉しいな。髭剃りもやった事があるのかい?」
「ありません。でも徐庶様のために練習します。協力して下さいね」
「…髭だけは自分でやるよ」
徐庶は苦笑いをし、紫恋は声を出して笑った。
「紫恋、いつも俺を気遣ってくれてありがとう。これからも…一緒にいて欲しいな」
徐庶が恥ずかしそうに呟くと、紫恋は癖のある髪に櫛を滑らせながら微笑み頷いた。
──本当に可愛い人ね。
徐庶の場合──了
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