『虚偽の文・後編』

 新野での敗戦は咎められなかったものの、惨敗を喫して逃げ帰って来た不名誉を簡単に拭い去る事は出来ず、李典は悄然として宮内を出た。城内郭には小柄な男が一人立っていて、李典を見るなり拱手で出迎えた。

 「これは李典殿、ご無事で何よりです」
 「何だ、楽進も来てたのか」

 挙兵当初から数多の戦場を共にして来た旧友の出迎えに表情も緩んだが、三万の兵を率いて意気盛んに出陣しておいて惨めに敗走して来た事を思うと気恥ずかしいものがある。しかし、生真面目な旧友は惨敗という醜態を非難する素振りは全く見せず、神妙な面持ちで李典の身を案じた。

 「殿は何と仰っていたのですか?」
 「心配すんな、『勝敗は兵家の常』だと言ってくれたよ。俺も曹仁殿も責任は問われなかった」
 「おぉ、さすが寛大なお方ですね。中には『打ち首だ』と囁く者もいたものですから、それを聞いて安心しました」

 おそらく囁いていたのは文官だろう。戦に出た事のない連中は剣が使えない分、口だけは達者である。面と向かっては皮肉も言えないが、陰では好き勝手な憶測を立てて他人の失態を嘲笑う。李典も若年の頃は学問一辺倒の役人であったため、連中が武将の批評を語らう姿をありありと思い浮かべて苦笑した。
 未だ内郭に残る文官の目を嫌って、李典は楽進と共に城外に向かって歩き出した。

 「先ほどお話を伺いましたが、此度の戦では劉備側に軍師がいたようですね」
 「まぁな。おかげで一瞬、万里の先が見えた気がしたぜ。でもまぁ、稀に見る賢人の采配を見たな」
 「その劉備の軍師というのは、どのような人物なのですか?」
 「徐庶という男だ。潁川の出身で司馬徽の門下だって話だ。八門金鎖が敗れるのも当然だな」
 「あぁ、潁川ですか」

 楽進はなぜか郡の名に反応して頷いた。

 「お前もそいつの事を知ってるのか?」
 「いえ、先ほど潁川から来たという女性と会ったものですから、時間も経たない内にまた耳にするとは思いませんでした。危うく兵が手を掛ける寸前で肝を冷やしましたが、道を教えて差し上げると何とかお許し頂けました」

 急に見当違いな事を言い出したので、李典は露骨に怪訝な顔をした。生真面目さ故か突拍子もない事を言い出す男だが、楽進も数多の戦地を渡って来た猛将。何か思う節があったのだろうと、簡単に咀嚼して話を戻す。

 「で、殿は早速その軍師に関心を持って程イク殿が一計に移ったぜ。全く好きだよな」
 「その一計とは?」
 「殿が興味を持ったと言えばわかるだろ。引き抜き≠セよ」

 小声で諭すと、「いつものあれですね」と楽進は素直すぎる返答をして納得した。
 程イクの策は一部の武将にだけ伝えられ、曹仁と李典はその場で詳細を耳にした。樊城で徐庶の策略に感服した李典は、『徐庶の才があれば心強い』と曹操の考えに同意した一方、独り身となった母を利用する策に抵抗を感じた。保護すると言えば聞えは良いが、部下に迎え入れるために恩義を悪用する形には違いない。李典は再度、程イクの謀を思い返して、ふと胸が痞える不快な感覚を覚えた。

 「確かにあれだけの才覚があれば、俺達も安泰かもしれないけどよ。何だか嫌な予感がするんだよなぁ」
 「それは、程イク殿の策が失敗するという意味ですか?」
 「いや、程イク殿の策は俺の予感以上に的確だから必ず成功するさ。そういう感じじゃなくてよ、何て言うか…とにかく嫌な感じなんだよ」

 自分でも上手く説明出来ない予感に苛立ち、李典は癖の強い髪を掻き毟った。
 人一倍鋭い第六感も、明確なものから曖昧なものまで様々ある。中でも質が悪いのは、誰の身に起こるか知れない不透明な悪い予感=B相手に進言するにも説明の仕様がなく、過ぎった予感の善悪の程度がどれほどのものか、本人にしかわからないため余計にもどかしい。

 「李典殿の予感は当たりますからね、何事もなければ良いのですが…」

 楽進は何ら疑う事もなく、李典の悪い直感を危惧した。かつて李典の予感で戦地の危機を回避し、新野においても力を発揮したのだから疑う余地はない。
 両者閉口していると、背後から「李典将軍」と錆びのある声が呼んだ。振り向くと噂の策士・程イクが二人を見下ろしていた。老年の偉丈夫は将軍である二人より長身で、気難しい面持ちと老年者ならではの貫禄は間近で見ると大抵の者は屈服する。
 話を聞かれていたのでは──二人に不安が過ぎったが、「これは程イク殿、いかがなさいましたか」と平然と拱手した。親子ほど歳の離れた老年の策士は、表情一つ変えず簡単な拱手をして、早々と口を開く。

 「実は先の謀ですが、李典将軍にも少しばかり助力して頂きたいのです」
 「えっ、俺ですか? 楽進ではなく?」
 「左様。将軍はいち早く徐庶に一目置き、素性を突き止めたのですから、その手腕を見込んで頼みがあるのです。この策が成れば新野の敗戦の名誉挽回にもなります故、ぜひともご助力下さい」

 姦計の助成を申し込まれて、さすがに李典も動揺した。敗戦の話を持ち出されては反論も出来ない。事情を聞いたばかりの楽進も、『もしやこれが悪い予感では』と丸くした目で訴え掛ける。姦計の関与は李典にとって良からぬ事態ではあったが、心中には未だ言いようのない悪い予感≠ェ燻っているから、この助成が直接的な原因ではないと判断した。
 浮かない顔をする李典に、程イクは目を細めて笑うような仕草をした。

 「将軍も多忙の身、手を煩わせるような無理は言いません。物資と人員の調達をして頂くだけで結構です。人望ある李典将軍ならば容易かと思いましてな」
 「はぁ、そうですか。まぁ、その程度ならばどうにか…」

 歯切れの悪い返答をすると、程イクは「頼みますぞ」と竹簡を差し出して去って行った。竹簡には調達する物資が書かれており、物騒な文面こそなく安堵したが、物資の調達だけでも立派な関与だ。
 確かに徐庶には完膚なきまでに叩かれた。敗走して恥辱を受け、処断されるか否かの瀬戸際にも立たされた。しかし、敗戦した恨みを晴らしたいとは思わない。恨むも何も、鮮やかな采配に感心すらしたのだから。
 李典は樊城にいた顔も知らぬ軍師を思い返して、苦い顔で姦計の書簡を眺めた。

 *

 新野の戦以降、荊州はしばらく忙しなかったが、劉備とその臣下の手腕、そして新野の民の協力もあって、戦で疲弊した土地は二月ほどで完全に復興した。樊城を治めた事で襄陽の守備は固まり、また『劉備軍圧勝』の一報は兵の志願者を増やし、新野と劉備軍はより意気盛んなものとなった。
 新野に屋敷を構えた徐庶は、一先ず軍師としての役目を終えて、屋敷で読書に勤しんでいた。無論、各地の動向に探りを入れ、兵の調練こそ欠かさなかったが、城にいる時間は以前に比べれば断然に少なくなっていた。
 軍師の任を勤めている間は邪念を持つ暇もなかったが、いざ平穏な日常に戻ると忽ち恋人を思い浮かべてしまう。誓い通り、神流を想わない日は一度もなく、恋しさは日増しに強くなっていた。暇が出来てからは朝から晩まで恋人を想い、細かい仕草から酷い時には夜の情事まで鮮明に思い返してしまう始末。自分でも異常性を感じるほどだったが、それほど神流の存在が必要不可欠である証拠だと解釈して、欲は読書と鍛練で押し殺した。
 劉備から賜った屋敷は一人住まいには広すぎた。襄陽を発つ際にあらかた整理してしまったため、必要最低限の物しかなく、部屋はどこも殺風景。だだっ広い室内は、恋人が傍にいない寂しさと孤独に拍車を掛けた。戦利品として受け取った品はあっても、まだ使用人がいない男一人の状態では、それらの品物は使い様がない。

 ──こんな時に神流がいてくれればな。

 部屋の一室に固めて置いた品を見る度に、徐庶は胸の端で恋人に甘えてしまう自分に苦笑する。戦略を立てる時はさほど思考を凝らさずに済むというのに、日常の生活に戻るとさっぱり頭が回らない。彼女がどう整頓していたかを考えて、再び恋人を恋しがる自分に赤面した。

 「これがいいかな」

 徐庶は反物を一つを手に取って包みに入れた。書簡を出す際に神流への贈物として送るのだ。無理を言って見知らぬ土地に移住させた自分の責務であり、軍師の任を果たしている証≠ニして送っているところもある。
 しかし、こんな回りくどい交流も時機に終わる。劉備軍の軍師となり、新野を守り、軍師の身に恥ずかしくない戦果を上げる事も出来た。誓いを果たした今、神流を迎えに行くに相応しい男になっているはず──いや、なっている≠ニ徐庶は自ら確信していた。仕官と戦を経て、様変わりした己の環境と同様に心境も確実に変化していた。
 現に、戦の直後に再会した石韜も目を剥いた。仕官後も寝癖と無精髭も健在で、身形こそ書生時代と変わらないが、瞳の奥には戦乱を生きる者の揺るぎない覚悟と気迫があると、彼は第一声にそう言った。古い友人が変化に気が付くのだから、長年傍らに寄り添っていた神流ならば一目で感付く。

 ──今であれば、神流を迎えに行ける。

 書斎の机上に広げた白紙の竹簡を眺める。書く内容はすでに決まっている。神流から届いた返書で『再会を待ち望んでいる』と知った時、徐庶は覚悟を決めた。紙面を走る筆先に迷いはなく、忽ち一筆書き終えて書簡を反物の包みに入れた。
 丁度その時、玄関から戸を叩く音がした。間の悪い来客者に徐庶は眉を顰めたが、北に放っていた斥候かもしれないと、一変して神妙な面持ちで玄関に走り寄った。

 「どちら様でしょう」
 「私だ、石韜だ」

 聞き慣れた男の声が答えるなり、徐庶は仏頂面に戻った。戸を開ければ、手元の小包を見せ付ける石韜の姿。空気の読めない友人の笑顔に腹が立ち、そのまま戸を閉めてしまおうかと思ったが、わざわざ襄陽から駆け付けた足労を考えて、素っ気なくも訪問を受け入れた。

 「一体何の用だい?」
 「何だ、用もなく訪ねてはいけないのか?」
 「そんな事はないけど…」

 いつも頃合が悪いんだよ君は──と、内心で愚痴を溢す。声に出さなかったのは、友人の訪問に安堵しているからだ。
 劉備軍の臣下は温情ある者ばかりでも、まだ腹を割って話せる相手とは言えない。軍師の身分も立場も考えず平等に話せる相手となれば、やはり旧友の石韜くらいだった。相変わらず我が物顔で部屋に上がり込んで行ったが、竹馬の友ならば不快感もない。

 「ところで、返書はもう書いたのか?」

 石韜は手土産の酒瓶を見せ付けて、おどけた笑みで尋ねて来た。
 仕官して以降、何かと屋敷に顔を出しては神流の話題を持ち出して来る。彼なりに二人の関係を気に掛けているとわかっていても、訪問の度に恋人とのやり取りを聞かれるとさすがに鬱陶しい。こちらで聞かずとも、汝南にいる孟建からある程度の事情は聞いているのだ。
 意地の悪い問いに徐庶は不機嫌さを露にして反論した。

 「ついさっき書いたばかりだよ。丁度、書簡を届けに行くところだったんだ」
 「それは邪魔したな。『迎えに行く』と書いたのか?」

 いつもは苛立つだけの質問も、今回は石韜の指摘通りの内容であったため、徐庶は羞恥に目を伏せて頷いた。
 石韜が急き立てるのも無理はなかった。劉備の軍師となって早半年、『時機に迎えに行く』と神流に報告して四ヵ月近くが経つ。この間、徐庶も焦燥しなかった訳ではないが、煮え切らない友を見ているのはさぞ歯痒いものだったに違いない。
 己の不甲斐なさに苦笑したが、石韜は「よくやった」と大いに喜んで、持参した杯に酒を注いで勧めた。

 「そうか、お前もついに婚姻か」
 「まだ気が早いよ。書簡も送っていなければ、神流の返事も聞いていないんだ」
 「返事など聞くまでもないだろう。今では元直も劉備殿の軍師だ、誰も文句は言うまい」

 未だ遠慮がちな徐庶の姿勢に、石韜は一笑した。遊学中の書生と劉備軍の軍師では、その地位は比べ物にならないが、軍師は戦場で策を練るだけの存在であって、恋人との婚姻には何の意味も成さない。軍議から一歩外に出れば一人の冴えない男であり、神流の前では『徐庶元直』という恋人でしかないのだ。

 「神流を迎えに行く時は、普段の姿で会いに行くよ。神流とは軍師としてではなく、恋人として会いたいんだ」
 「その方が彼女も喜ぶ。自信を持って会いに行くといい」

 徐庶の真剣な面持ちを見た石韜は、満足気に微笑むと席を立ってしまった。反論したものの邪険に扱ったつもりはなく、徐庶は慌てて腰を上げて後を追った。

 「もういいのかい? せっかく襄陽から出て来たんだろう?」
 「元直の覚悟を聞いて満足したからな。その様子ならば、もう私が顔を出す必要もないだろう」

 その一言で石韜が幾度となく訪問した本意を知り、徐庶は友の恩情に胸を熱くした。書生から軍師となった重圧と不安、そして婚姻に臆する心境を悟って口喧しくも激励していたのだろう。心の通った友である前に名の知れた儒学者であり、冷静に相手の心情を汲み取るなど彼にとっては朝飯前なのだ。

 ──君も一緒に仕官してくれると嬉しいんだけどな。

 前を歩く友人の背に、胸の内で本心をぶつける。同じ帷幕に入れば心強い策士となるが、『推挙する』と言っても石韜は決して承諾しない。世間には戦を嫌い、あくまで歴史の傍観者として身を置かんとする賢者が多くいるが、彼もそういった類の人間だ。それに『才があるから仕官しろ』と乱世に連れ出すのはあまりに乱暴過ぎる。

 「では、婚儀の際は年長の私を真っ先に呼ぶのだぞ」

 石韜は玄関先でも減らない冗談を言って、玄関戸に手を掛けた。その刹那、徐庶は扉の奥から別の気配を察し、咄嗟に開扉を制した。「何事か」と石韜が驚愕した直後、玄関戸が何者かによって叩かれた。ただ四度戸を叩いただけで、名乗る様子も戸を開ける様子もない。石韜も不審がって眉を顰めた。

 「元直の間者か?」
 「いや、様子が違うみたいだな」

 間者であれば主の名を呼ぶ。白昼堂々と正面門から訪ねて来る訪問者ならば危険はない──はずなのだが、扉の向こう側に何やら不穏なものを感じて、徐庶は戸棚に隠してあった剣を後ろ手に構えて、扉越しに「どちら様でしょうか」と尋ねた。

 「こちらは徐庶様というお方のお屋敷でございましょうか?」

 返って来たのは若い男の声で、ぎこちない敬語は緊張に上擦っている。

 「確かに自分が徐庶ですが、何のご用件でしょうか?」
 「貴方様の母君から書簡を預かって参りまして、伺った次第です」
 「…母上が?」

 途端に徐庶の顔色が変じた。依然として得体の知れぬ訪問者だというのに、母から書簡を預かったと聞くなり躊躇いもなく戸を開けた。
 手前に立っていたのは質素な身形の男で、声と同様に表情にも緊張の色が濃く、今この時も事情を飲み込めていないといった風である。男から恐る恐る差し出された書簡には、目にするのも懐かしい字体で宛名が書かれてあった。それは紛れもなく潁川に住む母のものであり、徐庶は剣を捨てて書簡を食い入るように眺めた。
 仇討ちの罪で豫州を離れて十余年が経ち、その間は学問に打ち込むため故郷には一度も帰っていない。徐庶は情けない姿を見せる訳にはいかないと母を避け、また母も子の志を妨げんと交流を避けていた。だのに、その母から書簡が届いたとなっては動揺も隠せない。中身を読む前から目頭が熱くなり、使者に問い質す事も忘れてしまった。
 石韜は一目で徐庶の心情を察して、代わって使いの男を尋問する。

 「して、そちらはその母君の使いか? わざわざ豫州からこの新野まで一人で参ったのか?」
 「いいえ、自分は南陽の者でございます。雇われた身故、詳しい事は何も存じません」

 威圧的な質問に怯える男の目は嘘を言っていない。積荷を運ぶよう人伝に言われただけであり、その積荷が本物である事も徐庶の反応を見て明らかだ。石韜は目配せをして徐庶の了解を貰い、使いの男を帰した。

 「母上に何かあったのかな」

 ようやく口を利いた徐庶は、今にも泣き出しそうなほど顔を歪めていたが、次の瞬間には紐を解いて書簡に目を通していた。視線が文字を追うにつれて表情は一層憂いに沈んで、読み終えた頃には瞳は濡れていた。

 「…広元、悪いけど少しだけ手を貸してくれないか。一生の頼みだ」

 ふと、徐庶は書簡に目を落としたままぽつりと呟いた。その声は震えていたが、顔を上げた時には涙の影はなかった。徐庶の思い詰めた表情に、石韜はまだ見ぬ書簡に最悪の事態を想定した。

 「それは構わんが、私は何をすればいい?」
 「俺はこれから劉備殿の元に向かう。広元は孔明に会いに行ってくれ」

 石韜はその要求が何を意味しているのか即座に感付いたが、友の窮地を知った以上、断る理由も止める術もなかった。
 徐庶の母親思いは友人であれば誰もが知るところであり、母の身に何か起こったとなれば全てを投げ打ってでも駆け付ける。親子の仲睦まじい様を間近で見ていた石韜にとっても決して他人事ではなく、胸中はかつてないほど悲憤していた。それは徐庶の母だけではなく、もう一人の女性にも向けられた感情であった。

 ──なぜこのような大切な日に。

 徐庶が神流との再会を誓った書簡がある書斎に目を向けて、石韜は歯噛みしながら屋敷を後にした。

 *

 程イクの策は実に詳らかであった。曹操幕下において荀イク、郭嘉に並ぶ腹心の参謀だけあり、完成した策を見た諸将は揃って舌を巻いたが、その策が恩義を利用した姦計≠ナあるため、一部の臣下の心中は穏やかではなかった。
 李典はもちろん、詐計を好まない荀イクもまた悲痛な心中であったが、才覚ある者が帷幕に加わると思えば気も紛れた。いや、そう考えようとしていた。
 城郭から都を眺める荀イクの表情には懺悔の色が浮かんでいた。策は決行されたが、まだ目標が姿を現した訳ではない。しかし、此度の策は必ず成る≠ニ見ていた。仁君に仕えた軍師に相応しい賢母をその目で見て直感したのだ。

 「これも乱世の常なのでしょうか…」

 己に言い聞かせるように呟いた声は、孟秋の風に紛れて消えた。
 この時、一通の書簡によって二つの運命が大きく変わろうとしていた事は、まだ誰も知らない──。

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