指定されたCAFE13は、警察署から裏手に入って少し離れた場所にある。
レストランと言っても庶民的なもので、企業や学校が立ち並ぶ街の中央部にある事から利用者も多く、客層も幅広い。この日も若いカップルから会社員、親子連れが利用していたが、平日という事もあって席を確保するのは容易かった。
R.P.D.職員が利用する店がある中で、このレストランを選んだのは当然の配慮だろう。部下の好奇の視線も詮索も避けられるし、人目を気にせず画策する事も可能だ。しかし、目的が何であれレストランで2人きりでランチをする≠ニいう好ましい状況には変わりはない。ウェスカーは何気なく誘ったつもりでも、リナはこれを昼間のデート≠ニ受け取って、欣幸として正午が来る時を待った。
コーヒーで時間を潰す事1時間。窓の外を歩く人の波を目で追っていると、ようやく待ち侘びた男の姿を見つけた。街路を行き交う人混みの中でも、サングラスの制服姿の男は一際目立つし、これほど真昼の青空が似合わない男も他にいない。
ウェスカーは店内に入るなりサングラスを外して、ウェイトレスの案内を受けてリナの席に歩み寄って来た。
「待たせたな。もう少し気の利いた店にした方が良かったか?」
「いいえ、ランチに誘われただけで十分嬉しいです」
「この程度の食事で喜ぶとは、欲がないな」
ウェスカーは片眉を口角を吊り上げて正面に座った。
ウェスカーの制服姿は、上下黒尽くめのミステリアスな姿とはまた別の逞しい男性的魅力を感じる。研究員も工作員も隊長の職務までも軽々とこなし、さらに何を着ても様になるから敬慕の念が尽きない。
見惚れているところにウェイトレスが「ご注文は?」と愛想なく尋ねて来たので、リナは苛立ちながらパンケーキを、ウェスカーはスープを注文した。ウェイトレスが去ると、リナは早速会話を切り出した。
「今日初めてS.T.A.R.S.を見ましたけど、思っていたより気さくな方が多いんですね。エリートっていうから、もっと厳格な人達なのかと思っていました」
「その方が扱い易くて良いのだがな。無駄口が多くて困る」
「私は羨ましいですけどね。あの職場には気さくな人がいないから」
「当然だ、適材適所というものがある。粗放な連中に緻密な仕事がこなせると思うか? 事故の元だ」
ウェスカーは終始仏頂面で吐き捨てたが、リナは個性的な隊員の面々を思い浮かべて笑った。論理優先の冷めた男には情味も粗放に見え、談笑も無駄口に聞えるらしい。
そんなウェスカー相手に気楽に会話が出来る隊員は、別の意味でも優秀な逸材だと思う。リナには彼等の陽気さと人情味は心惹かれ、憧れるものがあった。
「悪いが、部下の話で時間を割いている暇はない。休憩は短いのでな、早速用件に移るぞ」
ウェスカーは鋭い眼光でリナを戒めて、一通の封書を差し出して来た。何かと目で訴えると、顎をしゃくって「読め」と指示して来た。言われるまま便箋を開くと、『H.C.F.』という企業名が飛び込んで来た。それはアンブレラ対立企業の一つで、仰々しい文章に目を通していくと、『同社は貴殿を幹部候補として迎えたい意向』とある。つまり、その用件とは対立企業からのスカウトだった。
ウェスカーほどの人物が他社の目に止まらないはずがなく、むしろ喉から手が出るほどの逸材だから、ヘッドハンティングがあっても不思議ではない。ただ、ウェスカーが意味もなく対立企業からのスカウトを報告するとは思えず、リナはしばらく便箋を眺めたまま呆然と考えた。ウェイトレスが愛想なく突き出して来た料理にも気付かなかった。
「これ…スカウトですよね? まさか受けるつもりですか?」
「今回は受ける気はないが、今後は転身も視野に考えていくつもりだ。今のままでは真意を探るどころか、遠ざかる一方だからな。外部から探る方法もなくはない」
「でも、転身ってそんな簡単に出来るものなんですか? 20年近く幹部を務めているのに」
「普通の方法では難しいだろうが、手段を選ばなければいくらでもある」
「未練は…ないですよね」
「当然だ。今の上層部には何の期待もしていない」
動揺するリナを尻目に、ウェスカーは淡々と答えながらスープを口に運んだ。
今現在の待遇への不満もあるのだろうが、そうでなくても目的のためなら躊躇わない男だ。主任研究員の地位もあっさり捨てたのだから。対立企業への転身──この選択も強ち間違っていないのかもしれない。今やアンブレラの勢いは留まるところを知らない。『G計画』も『タイラント計画』も完成間近に迫り、続々と新たなB.O.W.計画が始動している。
以前、セルゲイが考案していた別プランタイラントも、現在は『テイロス計画』という形となって実現していた。『実現は不可能』と意見して1年もしない内に、セルゲイは企画案を上層部に受理されるまでに改善してしまったのである。完成すればアンブレラの地位が確立するものであり、リナは企画に意見した事を少し後悔した。
アンブレラが権力を付ける一方で、総帥スペンサーは次第に姿を見せなくなっていた。今では研究所にも本社にも顔を出さず、一段と目的が遠ざかっていったような気がする。幹部でさえ手の届かない存在が雲隠れしてしまったのだから、転身という手段も考えざるを得ない。
しかし、いくら上層部の真意を探る手段でも、ウェスカーがいないアンブレラなど従う意味も価値もなかった。リナが研究員の職務を全う出来るのは、ウェスカーの存在があってこそなのだ。
「…もしそうなった時、私はどうすればいいんですか?」
「助手を一人残して行ってどうする。その時は俺がお前を引き抜く。優秀な人材は確保しておかねばな」
ウェスカーは間髪置かずに断言したので、リナは安堵した。ただ、『助手』という言い方が若干胸に引っ掛かる。
「良かった。また置いてけぼりにされて『スパイになれ』とでも言うのかと思いました」
「そこまで危険な役目を与えるつもりはない。お前にはまだ尽くして貰いたいのでな、部下としても女としてもな。離れていてはお互いに満足出来ないだろう?」
そう言って、ウェスカーの口元は妖しげに微笑んだ。日中のレストランで見せる微笑でも声でもなく、素顔を晒しているおかげで全てストレートに目や耳に入って来る。恥らいを隠そうと、リナはようやく手元のパンケーキに手を付けて話を逸らした。
「バーキン主任には相談したんですか?」
「いずれその時が来たら話すつもりだ。相談したところでバーキンは残るだろうがな。『G』を手放すとは思えん。強引に連れ出しても駄々を捏ねそうだ」
急にそんな事を真面目に言い出したので、ついその場景を想像して失笑した。バーキンの『G』への執着心は年々過剰になりつつあり、それに持ち前の感情の起伏の激しさを加えると、本当に起こり得る話だ。
「もしバーキン主任の『G』が完成したら、上層部は益々力を付ける訳でしょう? 転身したところで太刀打ち出来るんでしょうか?」
「案外容易いかもしれんぞ。現状を見てみろ、廃棄物の処理にさえ手こずっている有様だ。力を得るにつれて綻び≠ェ見え始めている。いつまで保てるか時間の問題だな」
「その件について、上層部の対応はどうなんですか?」
「管理人の判断に任せているだけだ」
「やっぱり」と、リナは大きく溜め息を吐いた。処理場の被害が拡大すれば、大手企業の尊厳が危ぶまれるばかりか、最悪の事態にもなり兼ねない。それでも上層部は頑なに姿勢を崩そうとしない。これでは本当に自ら破滅の道を歩んでいるように見えて来る。
製薬会社としての違法行為で摘発されるのならば、それを機にウィルス開発も発覚するのだから一向に構わない。だが、もしウィルスが漏洩する事態であったなら──それはもうボロ≠ニいう言葉では済まされない。
「お前も警戒を怠るなよ。事が起こった時、真っ先に被害を受けるのは現場の人間だ。そして、災厄の原因を引き起こすのも現場の人間なのだ。俺にお前の死亡報告書を処理させるような真似だけはするな」
ウェスカーはいつになく峻厳な態度で忠告した。相変わらず上司としての姿勢を崩さない厳しい言葉。しかし、どこか主従関係以上の感情を含んだ台詞に聞えて、鬱々としたリナの胸中は一瞬で晴れた。
「わかっています。アルバートの期待と目的を遂げる前に果てるつもりはありません」
「良い覚悟だ。忘れるなよ」
ウェスカーは直向な忠誠心に満足気に微笑んで、テーブルの領収書に目を通した。気付けばウェスカーの料理は綺麗に片付いているのに対し、リナは半分も進んでいない。慌ててペースを上げると、ウェスカーに「ゆっくり食べろ」と苦笑されて、領収書と紙幣をテーブルに置かれてしまった。
「俺は先に戻る。隊長も多忙の身でな、30分しか休めんのだ。会計はこれで済ませておけ」
「ごめんなさい、急に押し掛けてしまって。その…色々と迷惑だったでしょう? 恋人に誤解されたり…」
リナは機嫌を伺うように上目遣いにウェスカーを見つめた。粛正を計っても一度浮上した疑問は簡単に消えない。今後ウェスカーが弁解に追われる事を考えると、改めて自分の軽率な行動を後悔した。
「連中の無駄口が増える点では迷惑だが、この程度で憤慨するほど底の浅い男ではない。世間一般から見れば恋人にも見えるだろう。もし深く問われれば、そう答えておけばいい」
「い、いいんですか? そんな事言っても…」
「下手に弁解するより認めた方が連中も大人しくなる。余計な詮索もしないだろう。深い関係にあるのは事実だしな、今さら否定するものでもあるまい?」
「…それは恋人って事でいいんでしょうか?」
「女というのは形に拘りたがるから困る。好きに受け取ればいい。異存があるのなら親戚と答えておくぞ」
ウェスカーが呆れ気味に問い返して来たので、リナは小刻みに首を横に振った。
異存などあるはずもない。たとえ弁解や開き直りでも恋人扱いは嬉しいものに違いない。それはリナと恋人関係に見られても良い≠ニいう意味で、ほぼ『恋人』と認められたようなものなのだから。リナの胸は欣喜に打ち震えたが、一方で素直じゃない≠ニ呆れた。
──本当にわかり難いのよね。
この2年間、一歩ずつだが着実に関係が進展している事は薄々感じ取ってはいたが、いつどこで認められたのか皆目見当も付かない。いや、認められた瞬間が訪れても判読するのは不可能だろう。ウェスカーは言葉にも態度にも滅多に感情が篭らないし、自ら甘い言葉で告白する男でもない。
また、リナはウェスカーの助手であり、共謀者であり、男女であり──そういった複数の関係を併せ持っているから、『恋人』と明確にされないのも仕方がなかった。彼にとっては『パートナー』の呼び名の方が相応しいのだろう。
「ただし、幹部の人間に知れると面倒な事にもなり兼ねん。先の計画の件もある、普段はあくまで上司として接する。顔を合わせるのも夜だけだ、いいな」
案の定釘を刺して来たので、リナは「承知しました」と笑って返した。普段は『上司と部下』、夜は『男と女』。そちらの方が全てにおいてウェスカーに貢献出来る特別な関係≠ゥもしれない──リナはそう考えて、大いに納得した。
「まだ話があるのなら今夜聞くとしよう。その方が時間を気にしなくて済む」
「そうします。アルバートも無理しないように」
そう笑顔で見送ると、ウェスカーは口角だけ吊り上げてレストランを出て行った。外に出ると、ウェスカーは早速サングラスを掛けて、厳格なS.T.A.R.S.隊長の姿に戻っていった。
──じゃあ、今夜は『恋人』として会いに行くわね。
リナは遠く離れていくウェスカーの背中を眺めながら静かに笑った。
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