『裏面・後編』

 『S.T.A.R.S.』開設式の2ヵ月後。休暇を得たリナは、久しくウェスカーとプライベートで会う事になった。
 一昼夜地下に閉じ篭り切りの研究員と、夜勤以外は帰宅が許される情報部工作員──現在は警察部隊隊長だが──とでは勤務体制が異なるため、会う約束を取り付けるのは大抵リナが帰省する時に限られる。会うまでの経緯と方法は、リナが帰省休暇を貰った旨をウェスカーに連絡すると、簡単に時間を指定され、その指定時間にウェスカーの自宅マンションに向かう、というものだ。
 この日も、リナは研究所から自宅に帰るなりウェスカーの携帯電話に連絡を入れたが、「午後10時に来い」と、一方的に言われて電話が切れた。

 ──もう少し愛想のある言い方は出来ないのかしら。

 仕事中だから簡潔に済ませるのはわかるが、素っ気ない応対をされると、割り切った関係である事を強調されているようで寂しくなる。しかし、不満に思うのはこの一瞬だけだった。というのも、ウェスカーは帰省の報を聞いても今まで一度たりとも拒否した事がなく、誘った日は必ずリナを求めて来るのである。素っ気ない態度で『主従関係』と断言されても、毎回求められると意外と満更でもないのではと思ってしまう。
 ここまで深く引き寄せておいて、認めないウェスカーの冷徹さには呆れてしまうが、それは益々リナを奮い立たせた。あの頑なに冷え切った感情を動かすのは一見困難に思えるが、最初の夜で変化を見た時、期待に応えれば可能性はある≠ニ確信した。回数を重ねる毎に両者の距離は縮まっているのは事実だった。
 リナは高揚を抑えながら念入りに仕度を整え、手土産に記憶を頼りに作成したセルゲイの企画案とワインを持って、夜遅くに自宅を出た。

 ウェスカーの住む自宅マンションは、リナが住むダウンタウンのすぐ南の区画で、徒歩でも間に合う距離にある。自宅マンションも近ければ、職場も現在は同じラクーン市内。つまり、時間さえあればいつでも会う機会があるという事だ。リナが労働基準を無視した研究員でさえなければ。
 ウェスカーの自宅前のドアに立つと、リナは一度大きく深呼吸をしてインターホンを押した。関係を持ち始めて約1年、今回で夜を共にするのはようやく6回目になる。電話やメールのやり取りは頻繁にあっても会えるのは休日だけで、顔を合わせるこの瞬間は未だに慣れない。

 「リナか、入れ。鍵は開いている」

 と、インターホン越しにウェスカーの声が言った。関係が何度目になろうと、ご丁寧に玄関まで出迎えてくれるほど甘くはない。
 言われるままドアを開け、誰もいない玄関で「お邪魔します」と一声掛けてリビングに向かうと、上半身裸の男が視界に飛び込んで来た。乱雑にすき上げた髪は濡れていて、手にはバスタオル、下は黒のスウェットパンツという明らかに風呂上りといった格好をしている。初めて見るラフな格好に、見てはいけないものを見た気がして、リナは慌てて視線を逸らした。

 「つい先ほど帰って来たばかりでな。まぁ、気にせず座れ」

 恥じるリナをよそにウェスカーは平然と弁解すると、ソファに腰掛けてノートパソコンに向かった。

 ──大層なお出迎えね。

 初めて見る訳ではなくても、出会い頭に風呂上りの上半身裸というのは刺激が強過ぎる。過去5回の逢瀬でも常にワイシャツ姿で、情交直前になるまで脱ぐ事がない。それを初めから肌を曝け出した状態で待機しているとは、昂ぶる期待と高揚を抑え込んでいる今のリナには目の毒でしかなかった。

 「寛いでいたところ邪魔してごめんなさい。着替えの途中なら席を外しますよ?」
 「俺はこのままでも構わんが、お前が嫌だと言うのなら着替えるぞ」
 「いいえ、もう見慣れているから大丈夫です」

 平静を装って傍らに寄り添って見せると、ウェスカーは鼻で笑ってパソコンに視線を戻した。いくら見慣れていると言っても、筋肉で引き締まったウェスカーの身体は何度見ても見惚れてしまう。おまけに風呂上りだけあって一段と色気が増していた。仄かに香って来る甘い香りと、湿り気のある逞しい肌が頻りにリナを誘惑して来る。
 しかし、ウェスカーがどんな姿であろうと、彼がパソコンやファイルを目にしている時は完全に仕事モードに入っているため、いくら期待に胸を躍らせようと無意味である。
今この時も、ウェスカーはリナの熱い視線には目もくれず、手早くキーボードを叩いて報告書を纏めている。一度こうなると、リナが割って入る隙はない──とは言っても、自ら進んで男を誘う勇気など持ち合わせていない。敬語も未だに止められないのだから。

 ──来て早々から酷い仕打ち。

 散々煽る行動をしておきながら、何食わぬ顔で執務をこなすウェスカーの態度は嫌がらせ以外の何物でもない。そんなウェスカーを恨めしく思いながら、リナは少しでも気を惹こうとバッグのワインボトルを取り出した。

 「今日はアルバートに差し入れを持って来たんですよ。せっかくだし、お風呂上りにどうです?」
 「気が利くな。頂こう」

 ウェスカーは一瞬だけリナに目を向けて、グラスのあるダイニングキッチンを顎で示した。不満があっても、名前を呼ぶと違和感なく反応するウェスカーに満足してしまうから、自分でもつくづく柔順だと思う。
 グラスとワインオープナーを持って席に戻ると、リビングの脇に見慣れない濃紺のシャツが掛かっていた。袖にはS.T.A.R.S.の記章があり、他にもホルスターやカードケースなど以前は見なかった品が置かれている。それらの品を見ると、ウェスカーが本当にS.T.A.R.S.隊長に就任したのだと、ようやく実感が沸いた。

 「そういえば、今度異動した先のS.T.A.R.S.ってどうですか? 隊長になって2ヶ月経ちましたけど」
 「…お前はまた俺をからかうつもりか? よほど扱かれたいようだな」

 何気なく尋ねたつもりが、途端にウェスカーの鋭い視線が突き刺さった。まだ先日の件を忘れていないようで、この反応を見るにアイアンズの部下という立場がよほど気に入らないらしい。
 この男を本気で怒らせると扱きどころか拷問になる──リナは必死に弁解した。

 「そうじゃなくて、アルバートから見てS.T.A.R.S.部隊はどうなのかっていう意味ですよ。話に聞くと、色んな軍隊からエリートばかりスカウトして構成した部隊なんでしょう?」
 「この程度でエリートなら誰も苦労しない。ただの軍人の寄せ集めだ」

 ウェスカーはそう吐き捨てて、リナに書類の束を押し付けて来た。それはS.T.A.R.S.の隊員リストで、顔写真付きで過去の経歴から現在のポジション、さらには出生や身体的特徴などの個人情報まで事細かく書かれている。内容からアンブレラ工作員として入手した情報だろう。今や極秘書類の一読を勧められるのは当たり前だったが、他人の個人情報まで渡されるから気が咎める。

 「まずは助手であるお前の意見を聞いてみたい。同志に相応しい意見を期待する」

 どこかの幹部と似た台詞を聞いた気がして、リナは苦笑した。ウェスカーもセルゲイも、その性根はアンブレラ幹部特有のものだ。人の気も知らないで淡々と意見を求めて来る。
 書類によると、S.T.A.R.S.隊員は現在11名。各々の経歴には狙撃やヘリ操縦などの専門スキルや実戦成績はもちろんの事、薬品と化学の知識や資格まであり、技術のみならず知識にも長けた人物ばかりが目に付く。これがエリートでなければ何なのか──という疑問はウェスカーには通用しない。アンブレラ幹部のスキルや功績は一般的水準では到底計り知れないところにあり、彼から見れば他愛ない経歴にしか見えないのだろう。
 その中に唯一、女性隊員の姿があった。経歴は陸軍特殊部隊の訓練生で、爆発物処理技術を取得。しかし、写真に写る容姿はとても特殊部隊隊員とは思えないほど華奢で端整なものだった。

 「ジル・バレンタイン…この女性もS.T.A.R.S.の隊員なんですか?」
 「さすが目の付け所が良いな。彼女はスキルだけでなく、人格も隊員の中では優秀だ。冷静沈着で思慮深く、任務を全うする。期待出来る人材だな」

 ただ単に女性隊員がいる事が珍しくて聞いたのだが、ウェスカーが満足したので「そうなんですね」と賛同しておいた。常に部下を従えて来たウェスカーには容易くても、一度も人の上に立った事のないリナには書類のみで人物を判断するのは難しい。

 「もう一人出来る人材がいる。この男だ」

 そう言って、ウェスカーは片手でワインを注ぎながらリナの手元で書類を捲って一人の隊員を指した。名は『クリス・レッドフィールド』とあり、経歴は元空軍パイロット、書面にはあらゆる軍事スキルが記載されている。添付の写真では、軍人らしい精悍な顔立ちをしていた。

 「このクリス・レッドフィールド隊員は、どんな人物なんですか?」
 「実直で正義感と信念の強い男だ。何かと自分の意思を貫き通そうとする点は厄介だが、それ以外は優秀だ。部下として申し分ない」

 滅多に人を認めないウェスカーが注目するくらいだから、『ジル・バレンタイン』と『クリス・レッドフィールド』の2名は相当優秀な人物なのだろう。言われて見れば、確かに他の隊員に比べると印象が異なる。
 わずか2ヶ月の間で隊員の性格を冷静に分析するところを見ると、ウェスカーが有能な上司である事がよくわかる。これまで多くの部下を従えて来た男だからこそ可能であって、ウェスカーが隊長に任命された理由もこの才能を高く評されたからだろう。リナがウェスカーに惹かれたのも、その類稀な指揮能力と洞察力によるところが大きい。それに加えて容姿も良いのだから、惹かれないはずがない。
 グラスを弄びながらワインを嗜む男の優艶な横顔に、リナは視線を釘付けにしてさらに尋ねた。

 「他の隊員はどうなんですか?」
 「そこそこ出来る奴もいれば、全く役に立たん奴もいる。が、俺が隊長になったからには徹底的に扱いてやるつもりだ。アンブレラの私兵ではなく、俺の私兵に相応しい部隊にする」
 「それはお気の毒に」

 リナは苦笑して、隊員リストに同情の眼差しを送った。有能な上司には違いないが、同時に冷酷な野心家で加減を知らない上司でもある。今後の彼等が、ウェスカーの助手を務めて来たリナと同じ環境に置かれると思うと少し不憫だった。
 それに彼等は、S.T.A.R.S.設立の本当の理由を知らない。警察署内で真相を知るのはウェスカーとアイアンズくらいなもので、隊員は市民同様にS.T.A.R.S.が善良な治安部隊だと信じ切っている──そう考えると尚更胸が痛んだ。

 ──何事もなければいいけど。

 アンブレラの私設部隊とは関連がないにしろ、アンブレラ絡みとなれば不安は拭えない。上層部の連中は野望や証拠隠滅のためなら民間人や研究員、幹部でさえも利用して平然と闇に葬り去る。S.T.A.R.S.が彼等に利用されないという保証はどこにもない。

 「本当にS.T.A.R.S.がアンブレラの事故に介入する事はないんですよね?」
 「S.T.A.R.S.はあくまでラクーン市の治安部隊だ。あったとしても上層部が拒むだろう。そういった後始末はU.B.C.S.が行なう。そのためにセルゲイが創設した部隊なのだ、奴にやらせておけばいい」

 ウェスカーの言う『U.B.C.S.』は、B.O.W.やウィルスによる事故現場に真っ先に投入される私設部隊だ。しかし、危険な任務であるため隊員のほとんどは戦犯者で構成され、アンブレラ関連の証拠隠滅目的に都合良く使われる捨て駒部隊と言っていい。上層部のためなら部隊も軽々しく扱うセルゲイは、ウェスカーより非情かもしれない。

 「そのセルゲイ大佐ですけど、別プランのタイラント計画を考えているそうですよ。こないだ企画案を見せて貰いました。タイラントをベースに新たなB.O.W.を作るんですって」
 「別プランのタイラントだと? 聞いた事がないな」
 「まだ上層部にも報告していないようですよ。これは記憶を頼りに纏めた企画内容です」

 リナは思い立ったように用意したファイルを渡した。ウェスカーはしばらく怪訝な顔でファイルを眺めて、一読すると一段と眉間に深い皺を寄せた。

 「大佐らしい企画だが…本当にこの内容をお前に見せたのか?」
 「えぇ、意見が聞きたいと言われて。私も困惑したんですけど、断れないですし」

 弁解すると、ウェスカーは「なるほど」と呟いて、鋭い猜疑の眼差しでファイルとリナを交互に眺めた。リナにもセルゲイの厚意は奇怪で理解し難いのだから、ウェスカーが疑うのも無理はない。

 「それで、お前は何と答えた?」
 「今のタイラントでは不可能だと答えました。事実ですから」
 「違いない。よく言ってやったな、さすが俺が見込んだだけの事はある」

 と、ウェスカーは声を上げて一笑したが、すぐに厳しい面持ちでリナを見つめ返した。

 「セルゲイには近付き過ぎるなよ。紳士ぶっているが、幹部の中では最も悪質な男だ。アンブレラにとって害だとわかれば、女でも容赦せんぞ」
 「わかってます。でも、向こうから近付いて来るから仕方ないでしょう。どうして私なのかしら…」
 「それだけお前が親しみやすい女なのだろう。その辺は俺も否定しない」

 そう言うなり、ウェスカーはリナの顎を掴み上げて、その顔面に視線を這わせた。口元は不敵に微笑んでいたが、見つめる瞳は熱を帯びている。
 思考も感情も読めない男は、豹変するタイミングも読めないから対応に困る。特に無感情だった上司が自分を欲する男に変わりゆく瞬間ほど特異で惹き付けられるものはなく、リナは忘れていた身体の高揚を取り戻した。

 「…私って、そんなに柔な女に見えるんでしょうか?」
 「柔なだけでは、そこまで信用するまい。聡明で忠実で純粋で愛嬌がある…まぁ、それだけお前が魅力的な女だという事だ。恥じずにもっと喜ぶといい」

 ウェスカーは妖艶な低音を発しながら徐々に顔を近付けて、指先でリナの唇を撫で上げた。手荒い仕草とは裏腹に愛撫は優しく、またどこか淫らで、高揚を掻き立てるよう仕向けて来る。仕事モードから一転して妖艶な雰囲気が漂い、思考の切り替えが追い付かない。
 動揺に肌を紅潮させると、異変を目にしたウェスカーは一段と口角を吊り上げてほくそ笑んだ。

 「あぁ、もう一つ言い忘れたな。初心なところもお前の魅力だぞ、リナ」

 そう一言付け足して、ウェスカーは己の唇を押し付けた。触れるなり、リナの唇の質感を堪能しながら巧みに愛撫していく。どこで身に付けたのかと思うほど甘美な口付けは、ワインの甘味を含んでより官能的なものに変わっていた。まるで悪い薬でも与えられたかのように心と身体が惹き寄せられていく──が、身を委ねようにも、仕事の書類が散乱し、煌々と灯りの付いたリビングでは完全に理性を捨て切れなかった。
 その間にもスカートから伸びる脚に手が滑り、内腿へと突き進んでいく。リナは艶かしい感触に肌を震わせながら、羞恥に耐え兼ねて愛撫の手を脚に挟んで制止した。

 「ま、待って! 今ここでするつもりですか?」
 「夜を過ごすのは何もベッドの上だけとは限らん。たまには場所を変えてみるのも一興だ」
 「でも、この場所はちょっと…」

 ちらりと照明に目を向けたが、顎を掴んでいた手によってすぐさま正面に引き戻された。

 「これがお前の嫌がるやり方なら、ぜひやらせて貰おうか。こないだの借りを返したいのでな」
 「あの件ならいいじゃないですか。もう2ヶ月も前の話でしょう?」
 「俺は一度計画した内容は実行せねば気が済まない質でな。それに、お前の恥らう姿は見ていて楽しい」

 悪意のある冷笑を見せると、ウェスカーは制止を振り切って白い内腿に武骨な手を潜り込ませた。

 ──貴方も十分悪質じゃない。

 内心で毒吐きながらも、身体は官能を擽る愛撫に溺れていった。指が肌を這う度にぞくりとした感覚が全身を駆け巡る。恍惚感に洗脳された身体が抵抗力を失うと、リナは忽ちソファの上に仰向けにされて、ウェスカーの胴体に跨る体勢になった。

 「嫌がっていた割には感度が良いようだが?」

 意地悪な問いと不敵な笑み──狡猾で悪質と言うのなら、ウェスカーも負けていないと思う。この色気の強い屈強な肉体に触れて、一度肌を交わせば身も心も魅せられてしまうし、夜限定≠ニいう割り切った関係で認めない割にはいつもリナを求めて来る。好きな男に激しく求められる事ほど嬉しいものはなく、そんな心理を巧みに突いて来るのだから、どんな幹部よりも狡猾で、また罪深い男だった。
 リナが欲するより先に、逞しい身体が倒れ込んで来ると、端整な顔が目と鼻の先で停止した。

 「俺はともかく、他の幹部の前では言動を慎め。今ここでお前を失うのは痛い。お前にはもっと尽くして貰わねば困るからな」

 部下を忠告するには凡そ適さない体勢だったが、吐息混じりの甘い低音に魅了されてリナは素直に頷いた。『飴と鞭』の使い方も巧みで、それに簡単に惑わされる自分もまた愚かだと思う。

 「…アルバートが認めてくれるなら、いくらでも尽くします。でも、痛いのは嫌です…」
 「ふっ、いいだろう。今夜はその純粋さに免じて加減してやろう」

 妖しい含み笑いが漏れると、再び唇が塞がれた。唇特有の湿り気のある質感と、重なった体温に意識が捕らわれて、リナは静かに瞳を閉じて男に陶酔した。

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