『意識・後編』

 落成式当日、リナは休暇を貰って一時自宅マンションに帰宅した。休暇は、どうやらウェスカーがバーキンに事情を説明したようで難なく取れた。と言っても、バーキンは「この忙しい時に迷惑な話だ」と不服そうではあったが。
 久し振りにラクーンシティに帰省すると、街道に『アンブレラ新工場開設』というポップな看板が出ていた。その新工場はラクーン郊外の工場地区にあり、外観はごく普通の工場なのだが、最深部はラクーンシティ地下研究所への入口になっている。他にも研究所入口はラクーン市街地に点在し、抜け道のように地下に張り巡らされている。いつになく用意周到で、上層部の金遣いと悪知恵には感服してしまう。
 リナはその式典に出席する訳ではなく、一人の市民として参加する。リナとの面会を求めている幹部セルゲイとは、落成式を終えた後に会う形になる。ウェスカーも面会の立会人として同行するだけだ。

 正午、約束の時計塔前でウェスカーと落ち合った。その姿は2年前の会食と同様、黒の外車と黒尽くめのスーツ、そしてお決まりの黒いサングラス姿で、リナの顔を見るなり「乗れ」という仕草も変わっていなかった。唯一変わっていたのは、ウェスカーの横顔を見つめるリナの眼差しが畏敬の念を超えている点だけだ。

 「お久し振りですね、お元気そうで何よりです」
 「あぁ、君も変わりないようで何よりだ」

 ウェスカーはハンドルから視線を逸らす事なく返すと、挨拶もそこそこに一枚のCD-ROMを差し出した。

 「それはラクーンシティ地下研究所で今後始動する全計画の詳細資料だ。後に配布される資料原本のコピーになるが、君には先に渡しておく」
 「そんな重要なものを無断で持ち出して大丈夫なのですか?」
 「資料に目を通すのが早いか遅いかの違いだろう。君には私の代わりに『G計画』と『タイラント計画』の開発に励んで貰わねばならんからな。その中には別研究所のデータも入っている。役立ててくれ」

 再会して早々、職権濫用で入手したデータを渡して来るとは、心強いような恐ろしいような何とも複雑な気分である。自ら『幹部は狡猾』と言ったが、自分もその内の一人だという事に気付いているのだろうか──。内心そんな事を思いながらも、リナは微笑みながらデータを受け取った。期待されるほどにウェスカーの関心を引けるのだから、どんな仕事も喜んで受け入れられる。

 「今の所、私が入手出来る情報はその程度だ。依然として上層部には近付けん。スペンサーにもな」
 「今回の式典に総帥が出席する予定はないのですか?」
 「スペンサー自ら立ち会うような式ではない。代わりにセルゲイ大佐が出席する。その男は誰よりもアンブレラに忠誠を誓う幹部だ。警戒しておけ」
 「わかりました」

 あの後、リナは幹部セルゲイ・ウラジミールについて調べてみたが、2年前のソビエト連邦崩壊後に幹部に就任した事以外はわからなかった。
 大抵、幹部の人間の素性は明らかにされていない。ウェスカーやバーキンも同様である。ただ、幹部になるには相応の功績が必要になるが、セルゲイはすぐにアンブレラ幹部に就任しているため、そこが気掛かりだった。
 車が落成式会場前に到着すると、賑やかな音楽が流れていた。工場には垂れ幕が掛かり、赤を基調とした舞台が出来上がっている。民衆の声援に囲まれて、壇上にある幹部らしき人影がテープカットを行ない、応えるように手を振っていた。
 全く想像した通りの光景にリナは唖然とした。ウェスカーもまた、車内から場景を見て「はっ」とあからさまに鼻で嘲笑った。

 「全く呑気なものだな。愚かにも程がある」
 「それはアンブレラが、ですか?」
 「両方≠セ」

 と、ウェスカーは一言吐き捨てて車を降りたので、リナも呆れながら後に続いた。
ウェスカーに先導されて、SPに固められた会場の脇から舞台袖に入ると、数人の幹部らしき男が数人立っていた。
 賑々しい会場の傍ら厳格で重苦しい気配を纏い、本来のアンブレラ幹部の顔を見せ付けている。見るからに高価なスーツと貴金属で身を固めた中に、一人だけ軍事司令官のような風体の男がいる。銀髪で頑強な体躯──確認せずとも、それがセルゲイであると確信した。

 「大佐、約束通り連れて来たぞ」

 ウェスカーが声を掛けると、銀髪の男は横顔をこちらに向けた。一瞬、突き刺すような眼光が伺えたが、ウェスカーとリナの両者を確認すると、一転して柔和な笑みを満面に浮かべて歩み寄って来た。

 「あぁウェスカー、よく来てくれたな。そしてミス・オーレン、お会い出来て光栄だ。私がセルゲイ・ウラジミールだ。皆は大佐≠ニ呼んでいるが、好きに呼んでくれていい」

 セルゲイは一礼してリナに手を差し伸べて来た。魁偉な風貌に似合わない気さくな対応に、リナは困惑しながらも相手と握手を交わした。動揺で視線が泳ぐ中、ふとウェスカーを見ると呆れ顔で片眉を吊り上げていた。
 「こちらこそ光栄です」とリナが返すなり、セルゲイは間髪置かずに言葉を続けた。

 「ウェスカーから話は聞いていると思うが、貴女の研究実績に関心があってね。何でも『G』の発見の現場にまで立ち会っているそうじゃないか。今では『G計画』と『タイラント計画』の両方に貢献していると聞く。貴女のような優秀な部下がいるとは、ウェスカーやバーキンが羨ましい限りだ」
 「いいえ、私など大した事はしていませんから…」

 初対面の幹部から立て続けの賞賛を浴びせられて、リナはどう対処すべきか困り果てた。想像していた人物とはあまりにかけ離れているため、警戒心が崩れていく。助けを求めてウェスカーに視線を向けると、終始無表情で肩を竦めただけだった。
 そのやり取りに気付いたセルゲイは、2人を交互に眺めて含み笑いをした。

 「あぁ…もしかして2人はそういう関係≠ネのか。それだと納得がいく」
 「なっ…!? ち、違います!」

 唐突過ぎるセルゲイの発言に、リナは反射的に否定してしまった。そういう関係≠ェどういう関係≠ネのかも明確にしていないというのに、これでは自ら意識していると認めたようなものだ。
 拙い反応だと自覚しているのに、理性とは裏腹に肌は紅潮し、鼓動は高鳴っていく。まるで間違われて嬉しかった≠ニ言わんばかりに。これには沈黙していたウェスカーも眉間に深い皺を刻んで口を開いた。

 「…大佐、貴方はそういった類の冗談が言える人間だったのか?」
 「バーキンのような事例があるだろう。アークレイの主任は、女性を助手として傍らに置くのがしきたり≠ネのかと思ってね」
 「私をバーキンと同類にしないで頂きたい。あいつは特例だ。私は才能者であれば性別問わず起用する、ただそれだけだ」

 冷たく言い放ったウェスカーは、サングラスの奥でその青く冷たい眼光を幹部に突き付けている。その凶器のような眼差しをセルゲイは鼻で笑い飛ばし、リナにはおどけるように肩を竦めて見せた。

 「それは失礼した。写真で見るより美しい女性だったもので、ついね。機嫌を損ねてしまいましたかな?」
 「いいえ、大丈夫です。私の方こそ声を荒らげてしまい申し訳ありませんでした」

 平静を装っても動悸は抑えられず、視線は泳いだままだった。ウェスカーに改めて『才能者』と認められて嬉しくもあり、冗談と否定されて寂しくもあった。こんな時でも恋心はリナを惑わせる。対称的な2人の反応にセルゲイは愉快そうに笑った。

 「冷めた上司を持つと大変だな。ともかく、私も今回研究員としてラクーンシティに配属される事になってね。貴女と同様、私もタイラントに力を入れている。この身を捧げてでも『タイラント計画』を成功させるつもりだ。文字通りこの身を捧げて≠ヒ。同じ目的を持つ者同士、尽力しようではないか」

 セルゲイは意味深に一部の言葉を強調して、リナの肩を軽く叩いた。表情は依然として微笑んだままだったが、瞳の奥には冷徹な光を帯びている。野心とも狂信とも取れる不気味な光──セルゲイから只ならぬものを感じ取ったリナは警戒心を取り戻した。おそらく穏やかな声色は己の素顔をひた隠し、相手の深層に入り込むためだ。
 両者の会話に立ち会っているウェスカーもまた、無表情な顔でセルゲイの言動を注意深く監視している。リナは真っ先にセルゲイが幹部の中で最も危険な男≠ナあると判断した。

 「私の方こそ、その時はよろしくお願いします。セルゲイ大佐」

 リナは態度を崩さずに笑顔で一礼すると、セルゲイは納得したように頷いた。そこへ社員が顔を出し、「大佐、ご挨拶を」と告げて壇上に手を差し向けた。タイミング悪く登場した部下をセルゲイはじろりと睨み付けたが、已む無しといった様子で溜め息を吐いた。

 「多忙な中、呼び出してすまなかった、ミス・オーレン。次に会う日を楽しみにしている。ウェスカー、また後日」

 「あぁ」というウェスカーの気のない返事を聞いたセルゲイは、他の幹部を引き連れて舞台袖の奥へと去って行った。
 少なくとも悟られた様子はない。だが、セルゲイは今後も干渉して来るだろう。それがセルゲイのやり方≠ナあるのならば──。

 「リナ、帰るぞ」

 ウェスカーは厄介事が片付いたとばかりに、素っ気なく顎で指示した。
 ウェスカーが情報を掴めずにいるのは、セルゲイの存在が妨げとなっている所もあるのかもしれない。アンブレラ幹部は皆スペンサー卿を尊崇しているから、真意を探るのは容易ではない。それにしても、厄介な人物に目を付けられたものだと、リナは壇上でアンブレラ代表者として式辞を述べる幹部を眺めてそう思った。
 車内に戻ると、ウェスカーはようやく一文字に噤んでいた口を開いた。

 「セルゲイは君を試しているな。あえて動揺を誘う発言をし、君の人格を見定めようとしている。つまらん冗談まで飛ばすとは、全く悪趣味な男だ」
 「そのようですね。危うく相手の策略に嵌ってしまうところでした」

 とは言ったものの、その『つまらん冗談』にはまんまと嵌ってしまったのだが。上層部の疑念は隠し通しても、特別な感情は隠し切れなかった。狡猾なセルゲイや洞察眼の鋭いウェスカーに悟られたのではないか──ふと隣の横顔に視線を流すと、冷静沈着な上司は唇に手を当て、今ある状況を分析するのに思考を回している。
 不意にサングラスの合間から青い瞳がリナを捉えたので、咄嗟に目を逸らした。

 「まさか、セルゲイの言葉を気にしているのか?」
 「えっ、何をですか?」

 わざとらしく白を切って見せると、ウェスカーは失笑と溜め息と同時に溢した。

 「いや、気にしていなければそれでいい。君が下らん冗談を鵜呑みにするほど間抜けとは思えんしな」

 素っ気なく言うと、ウェスカーは再び考え耽る姿勢に戻った。実際には、リナの心中は冷や冷やものだった。

 ──私ったら、こんな時に何を考えているのよ。

 上層部にこちらの思惑が発覚すれば命の危険もある訳で、恋愛感情に戸惑っている場合ではない。リナは冷静さを取り戻そうと、セルゲイとの会話を脳裏に思い起こす。執拗に告げたこの身を捧げる≠ニいう疑問に辿り着き、自ら話を切り出した。

 「セルゲイ大佐は『タイラントに身を捧げる』と強調していましたけど、何か深い意味があるのですか?」
 「あぁ、あれか。聞かない方が身のためだぞ。誠実で柔順な君には少々過激な内容だ」
 「私に今後の研究に励んで貰いたいのであれば、教えてくれてもいいと思いますが?」

 リナが先刻のウェスカーの台詞を持ち出して問い詰めると、「言ってくれるな」と苦笑した。

 「先ほど君に渡したデータにもある内容だが、今後ラクーンシティ地下研究所で始動する『タイラント計画』の被検体の一部は、『t-ウィルス』適合者のクローンが使われる事になっている。1000万人の一人を探し出すよりも効率が良いからな。ただ、そのクローンというのはセルゲイのものだ」
 「…すると、セルゲイ大佐はタイラント適合者なのですか?」
 「そういう事だ。あの男は自分のクローン10体をアンブレラに提供する代わりに幹部に就いた。もちろん、クローンがセルゲイのものである事までは公開していないがね」

 事情を聞いたリナは呆気に取られると同時に、セルゲイに対する一連の疑問を一瞬にして理解した。
 いくらアンブレラのためとは言え、自分のクローンを被検体として提供してまで研究に貢献するとは常人の精神ではない。本来、被検体の身元は研究に支障が出るため明かさないのだが、この場合は幹部セルゲイの狂態を晒す意味で表には明かせないだろうと思った。
 しばらく口を噤んでいると、ウェスカーは口角を吊り上げて意地悪く問い掛けた。

 「良心が咎めたか、それとも怖気付いたのか?」
 「いいえ、呆れました。しかも婉曲にアピールして来るなんて本当に悪趣味ですね」
 「何ならその被検体を切り刻んでやっても構わんぞ。どうせクローンだ」
 「いくらクローンでもそんな真似は出来ません。でも、本人自らお望みのようですし、タイラントとして活用させて貰いますけど」
 「バーキンの下に就いて少しは甘さが消えたようだな、そうしてやれ。セルゲイのクローンが究極の生命体と呼ばれるのは癪に触るがな」

 よほどセルゲイが気に入らないのか、本音と私怨を仄めかすウェスカーにリナは思わず声を出して笑った。日頃から冷静沈着な男が大人気ない発言をすると一段と滑稽に見える。

 「自宅近くまで送ろう。悪いが、私は仕事を抜けて来ているものでな。これ以上時間を割く事は出来んのだ」
 「お忙しいところ、ありがとうございました。ラクーンシティに移った後も連絡して下さいね」
 「進展があればな」

 ウェスカーは相変わらず愛想なく返して、手際良くハンドルを切って車を出した。
 やはりウェスカーといると心穏やかになる。心から笑うのも1年前の電話以来だった。冷徹な上司と一緒にいて心が和むという事は、自分が抱いた感情に偽りがない証拠だ。

 ──次はいつ会ってくれるかしら?

 素っ気ないウェスカーの事だから、また何年も間が空くに違いない。だが、その方が再会の楽しみも想いも一段と深くなるというものだ。尤も、ウェスカーはそんな自分の行為がリナの恋情を強める策略になっているとは思ってもいないだろう。
 近付く別れの時を惜しみながら、リナは心地良い感情の高揚を楽しんだ。

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