この日、リナは休暇を前にして上機嫌だった。元々、研究員の帰省休暇は数ヶ月に一度取れるか取れないかという過酷な状況だから、休暇を得た時は決まって気分が良い。しかし今回は、本来予定になかった休暇を貰った事で、前回の帰省から1ヶ月という短期間で再度帰省許可を貰ったため、気分は最高に良かった。
──またアルバートと会えるなんて。
休暇が決まって真っ先に考えたのは、言うまでもなくウェスカーと過ごす時間であった。ウェスカーと特殊な関係を持ってから、リナの脳内は休暇と言えば逢瀬≠ニいう単純な答えしか出来なくなってしまった。
関係を持って約2年、未だに夜以外の関係は上司と部下であり、正式に『恋人』と認められた形跡はない。それでも変わらず夜の関係≠ヘ続いているし、良好な関係を保っているから不満はなかった。ウェスカーが多忙な身なのは知っているから、デートがしたいとか、ディナーに誘って欲しいとか、そういった事柄を要求する気にはならない。そもそも世俗的な事は好まない気がするし、あの風貌で遊園地デートなど似合わない。
一通りの仕事を片付けて、地下研究所から地上工場内の宿舎に戻ると、真っ先にウェスカーのパソコンにメールを送った。送った時刻が深夜という事もあり、返信が来たのは翌朝だった。その内容は、
『会議があるため深夜0時以降になるが、それでも構わないのであれば俺のマンションで待っていろ』
というものだった。つまりは、多忙ではあるが夜であれば会っても良い、という事だ。
「じゃあ、遠慮なく会いに行くわね」
メールを読んだリナは思わず笑った。素っ気ない内容でも、スケジュールに必ず約束を取り付ける。何だかんだ言いながら、ウェスカーもリナとの関係を楽しんでいるようで、正式に認められる日もそう遠くはない気がする。
メールボックスには、他に十数件ものメールが届いていた。大抵のメールは仕事関係で、開いてみると案の定、休暇の気分を失墜させるものばかりだった。情報部からの報告書の要求、被検体の輸送報告書、さらには産業廃棄物処理場からの連絡事項まである。
去年辺りから廃棄物処理場の使用注意事項のメールは頻繁に届く。汚染廃棄物が蓄積されているというのだ。各研究所でB.O.W.開発が拡大している以上、それ相応の廃棄物が出るのは当然の事で、制御するにも研究員の一存でどうにかなるものではない。それを理由に研究をやめて欲しいと言うのなら喜んで聞き入れるが、上層部がそんな判断を下す訳がない。
──施設を拡大し過ぎるからよ。
勢い付く上層部に苛立ちながら、リナはパソコンの電源を落して早々と宿舎を出た。
地下研究所から一歩地上に出ればラクーン市内に入るため、この時点でほぼ帰省したも同然だった。さらに工場地帯からタクシーを拾って中央道を抜ければ、10分程度で自宅マンションに到着する。おかげでアークレイにいた頃に比べると休暇で過ごす時間は断然増えた訳だが、夜に約束を控えている者にとっては長い待ち時間になる。
急いで宿舎を出たものの、ラクーン市街地に着いた頃にはまだ午前10時を回ったところで、約束の時間まで12時間も残っていた。会う約束が夜限定となると、それまで時間を潰すのも一苦労になる。ブティックやカフェ、映画館で時間を潰しても2、3時間が限度で、その方法も休暇を取る度ではいい加減飽きが来る。
しばらく暇潰しの方法を探しながら街を散策していると、遠方に警察署の屋根と青い旗が見えた。ラクーン市警察署は市内中央の最も広大な敷地内にあり、昔の美術館を改装した趣ある巨大建造物である事から、遠目から見てもその存在感は一際目を引く。『明るいラクーン21計画』で着々と都市整備が進み、真新しい建物が増える中でも、警察署の趣ある外観は変わっていない。
現在、ラクーン市警察署ではウェスカーがS.T.A.R.S.の隊長として職務に就いている。今この時も11名の隊員を率いて、表向きは街の治安部隊として活躍している頃だろう。
写真で一度ウェスカーの制服姿を見た事はあるが、工作員とは思えない完璧な扮装振りだったと記憶している。元々長身で堅強な体格は警官そのもので、拳銃が装着されたホルスターに、記章の入った制服、そしていつものサングラス──そこまで思い返して静かに笑い、そしてふと思った。
──そういえば私、実物を見た事がないわね。
ウェスカーの自宅で制服とカードケース、集合写真や隊員リストは見た事があっても、この目で実物のS.T.A.R.S.部隊やS.T.A.R.S.隊長ウェスカーの姿を見た事は一度もない。情報部に所属していた頃は近くて遠い存在だったが、今では地元のラクーン市警察署の治安部隊という市民にとって身近な場所に彼はいる。
「…少しだけ見に行ってみようかな」
もちろん一般市民がS.T.A.R.S.の部署に立ち入れるとは思っていない。しかし、一度はこの目でウェスカーの職場を見ておきたいし、運が良ければ遠目から姿を見る事も叶うかもしれない。それに、どうせ夜まで予定もない──そう思い立つと、リナの足は警察署に向かっていた。
改めて門前に立つと、広大で立派な建物だった。正面入口に『R.P.D.』の文字が掲げられ、石造りの堅強な門構えは警察署に似合った威厳を放っていたが、警官や市民が自由に往来する場景は至って開放的で、すんなり中に入る事が出来た。
中に入れば吹き抜けの正面ホールがあり、その広大さにリナは感銘の溜め息を漏らした。女神像や噴水など、美術館だった頃の名残を留めていて、職員の姿がなければ今でも美術館として通用する。清らかで神聖な雰囲気が漂う景観は、地下研究所の異様な陰気臭さとは雲泥の差だった。
一先ず署内の案内表に目を通すと、難なく『S.T.A.R.S.』の文字が目に付いた。指でマップを辿って行くと、S.T.A.R.S.オフィスは署内の廊下をぐるりと回った先の2階の奥にあり、当然ながら一般人が踏み込める場所にはない。
──やっぱり簡単には会えないわよね。
小さく溜め息を吐いた時、背後から「すみません」と声が掛かった。
「失礼ですが、何のご用件でしょうか?」
振り返った先には一人の男性警官が立っていて、怪訝な顔付きで再度そう尋ねて来た。挙動不審に署内をうろつくリナを不審者と判断したのか、全身に視線を巡らせている。警官特有の詮索するような眼差しに妙な後ろめたさを感じて、リナの返答もしどろもどろなものになってしまった。
「あ、あの…こちらにS.T.A.R.S.の本部があると伺ったもので」
「S.T.A.R.S.は特殊作戦部隊になりますが、そちらに何かご用件でも?」
警官は間髪置かずに返した。まるで「相談するにはお門違いですよ」と言わんばかりで、一段と疑り深い目で見つめて来る。用件を問われても、こっそり見に来ただけで元々訪ねる予定はなく、事前に連絡もしていないのだからウェスカーを呼び出す訳にもいかない。返答を躊躇っていると、警官の表情が刻々と険しいものになったので、本当の事を言わざるを得なくなった。
「そのS.T.A.R.S.部隊に知人がいるもので、少し訪ねてみただけなのですが…」
「ほう、知人ですか。その方の名前は?」
「あ…アルバート・ウェスカーです」
「あぁ、ウェスカー隊長ですか。確かにおりますが、知り合いと証明出来るものは? 何か身分を証明出来るものはありますか?」
ウェスカーの名を出した途端、警官は堰を切ったように質問を投げ付けて来た。
どうやら完全に不審者と断定されてしまったらしい。S.T.A.R.S.を安易に訪ねたのが悪かったのか、リナ自体が不審だったのか──どちらにしろ、こんな状況に陥ってはウェスカーから叱責を受けるのは確実だった。
──また扱かれそう。
リナは消沈しながら身分証を差し出たが、不意に脇から伸びて来た別の手が身分所の収受を阻止した。リナと警官が同時に顔を上げると、一人の女性が立っていた。
「どうかしたの?」
その女性は両者の間に手を差し入れたまま、凛々しい顔で交互に視線を向けていた。警官は女性の顔を見るなり溜め息を吐いて、肩を竦めた。
「何だ、ジルか。見ればわかるだろう、職務質問だよ」
警官の口から不意に飛び出した聞き覚えのある名前に、リナは目を丸くした。
──ジルって、まさかあのジル?
はっとして、改めて女性の顔を確認する。目鼻立ちのはっきりした端整な顔立ちは、確かに隊員リストにあった『ジル・バレンタイン』のものだった。彼女が着ている服装もR.P.D.指定ではなく、青を基調とした戦闘服に近い制服で、小脇に挟んだ帽子にはS.T.A.R.S.の記章が付いている。ウェスカーが注目していた隊員と偶然でもこんな形で対面するとは思わず、リナは呆然と眺めてしまった。そんなリナをよそに、ジルは警官に対して冷ややかな口調で皮肉って見せる。
「へぇ、署内の案内表を見ていただけで職務質問? ここってそんなに物騒なのね」
「用心するに越した事はないだろう」
「用心し過ぎると信用を失うわよ。市民を疑うのではなく、市民を守るのが私達の仕事じゃなくって?」
年下の女性警官から厳しい指摘を受けた警官は、忽ち顔面一杯に不満を露にしたが、「あぁわかったよ」と両手を広げて大げさに呆れ返って見せた。
「じゃあ、ここはジルに任せよう。もし何かあった時は君が責任を取るんだぞ」
「えぇ、全然問題ないわ」
ジルは最後まで平然と言い切ったので、警官は今にも憤慨しそうな顔で、わざと踵を踏み鳴らして去って行った。その様子にジルは大きく溜め息を溢すと、向き直って失笑して見せた。
「ごめんなさい、最近物騒な事件が多いからピリピリしているの。彼も悪気はないようだから、許してあげて」
「いいえ、事情も知らずに徘徊していた私が悪いんです。ご親切にありがとうございます」
ジルが見せた笑顔に、リナもようやく安堵の笑顔を見せた。写真では20代前半の華奢な女性という印象しかなかったが、気丈で快活とした女性で、ウェスカーが注目した意味がすぐ理解出来た。
「そういえば、さっきウェスカーがどうとか言っていたけど、もしかして知り合いの方?」
「えぇ、まぁ…そんなところです…」
リナは苦笑しながら言葉を濁した。ここでジルと会ったのは好ましい状況とは言えない。失態である職務質問の現場を救われ、しかもウェスカーの知人である事まで知られてしまった。裏ではアンブレラに従う身で、上司以上恋人未満という関係上、詮索されるのはあらゆる面で危険である。当然、2人の良好な関係にも亀裂が生じ兼ねず、今夜の約束にも響く事態だった。
そんな事情など知る由もないジルは、「へぇ意外ね」と一言溢して、さらに質問を続ける。
「じゃあ、面会に来たのかしら? 本人の許可を得ているのなら問題ないと思うわ」
「いえ、帰省した次いでに寄っただけなんです。連絡もしていませんし、いきなり顔を出しても迷惑になるから、このまま帰ります」
リナが一礼して背を向けると、「あぁ待って」と声が上がった。
「せっかく来たのに、すぐ帰るなんてもったいないわ。ウェスカーなら2階のオフィスにいるし、今日はそんなに忙しくもないから、少しくらいなら構わないんじゃないかしら。案内してあげましょうか?」
ジルから思いがけない提案を受けて、リナは呆気に取られた。初対面でここまで理解を示して親切にしてくれるのはありがたいし、面会が叶う事も素直に嬉しい。ただ、仕事中のオフィスに押し掛けては確実にウェスカーの逆鱗に触れる。
「で、でも今も仕事中ですし、一般人が許可もなくオフィスを訪ねるのは拙いのでは?」
「大丈夫、貴女そんな悪い人には見えないし、ウェスカーの知人には違いないのでしょう? さっき迷惑を掛けたお詫びに私が面会を許可します」
ジルは敬礼して見せると、オフィスに続く扉を開けて手招きをした。
許可があるとかないとか、そういう問題ではない──とぼやいたが、そもそも自分が招いた事態で、もう後には引けない。署内でウェスカーの名を出した時点で、リナが職場を訪ねて来た事は遅かれ早かれ彼の耳に入る。
──もう扱きでも何でも受けてやるわよ。
リナは開き直って、ジルの厚意を受ける事にした。
*
受付で入館名簿の署名だけ済ませると、長い廊下を渡って署内の奥へと進んで行った。途中には会議室や資料室などがあり、廊下ですれ違うのは全て警察職員。一般人が立ち入るような場所ではなく、ジルに連れられて歩くリナには度々職員の視線が向けられた。
2階に上がると、石像が並ぶ廊下に出た。見るからに高価なものだが、女性を象ったものが多い。美術館の名残かと思って眺めていると、ジルは急に溜め息混じりに弁解した。
「その辺にある物は気にしないで。これ全部、アイアンズ署長の趣味なの。どこから買って来るのかわからないけど、本当に趣味が悪いわ」
アイアンズの趣味と聞いた途端、虫唾が走って石像から目を逸らした。いかにも貪欲な小太り男が好みそうな悪趣味な骨董品で、アンブレラとの癒着で得た大金で購入したものだと察しが付いた。警察署内にまで自身の強欲さをアピールするとは、確かに愚鈍だ。ウェスカーでなくても忌み嫌う。
趣味の悪い廊下を出た先で『S.T.A.R.S.』の立札が見えると、リナの心臓は緊張で縮み上がった。
──この先にアルバートがいる。
顔を出した時にウェスカーがどんな反応をするか、今からでも想像が付く。初めて見る職場への期待と顔を合わせる恐怖が入り混じって、鼓動が不自然に高鳴った。
「悪いけど、ここで少し待っていて」
そう言ってジルは一人オフィスに入って行くと、すぐに室内から話し声が聞こえて来た。
「あれ? ジル、さっき休憩に入ったんじゃなかったのか?」
「えぇ、ちょっと用があって。ウェスカーはいる?」
「何だ」
単調で愛想のない聞き慣れた声が聞こえて、リナは無意識にドアに耳をそばだてた。
「ウェスカーに面会を求めている人がいるんだけど、今大丈夫かしら?」
「面会だと? 知らんな。第一、そんな予定は入っていない」
「帰省したばかりで連絡する時間がなかったみたい。ウェスカーの知人だって言うし、遠方から来たのに帰らせるのも悪いから、廊下で待たせているんだけど」
ジルの説明が若干着色されている気がしたが、彼女の目にはそう映ったのだろう。それを聞いたウェスカーの声は溜め息を吐いた。
「ジル、君は規則を守れない人間だったか? 何かあった時はどうするつもりだ」
「大丈夫よ、人の良さそうな女性だったし。ええと、名前は確か名簿に…そう、リナ・オーレン。ウェスカー知ってる?」
名を聞いた途端、「何だと?」という怪訝な声が上がった。今現在のウェスカーの表情と心中は想像するに容易く、リナは今すぐその場から立ち去りたい衝動に駆られた。
不気味な静寂の中、渋みのある声がぽつりと沈黙を破った。
「…ウェスカーに女性の知人とは意外だな…独身じゃなかったか?」
「そりゃあ…隊長にも恋人の1人や2人いたって不思議じゃないだろう」
と、穏やかで野太い声が答える。それに対して「2人いちゃあ拙いだろ」と、若い男が失笑混じりに呟いた。
「俺は隊長の知人なら通しても問題ないと思うけどね。ジル、その女性もサングラスを掛けているのかい?」
続いてひょうきんな声が言うと、途端に複数の笑い声が聞えたが、一斉に鳴り止んだ。ウェスカーが無言の粛正を計ったのだろう、ドア越しに尋常ではない緊迫感が伝わって来る。隊員から恋人と間違われても、ウェスカーの殺気立った気配を感じると全く喜べないし、むしろ『これ以上煽らないで欲しい』とさえ思った。その怒りは全てリナに返って来るのだ。
そこに、緊迫を鎮めるように真面目な声が話す。
「そんな事より、今も廊下で待たせているんだろ? せっかくだから入って貰った方がいいんじゃないか?」
その直後、突然目の前のドアが開いて、リナの前方にS.T.A.R.S.オフィス内の光景が広がった。ドアの手前には長身の若い男が立ち、手前には4人の男性隊員とデスクが並んでいて、デスクを挟んだ先にジルとウェスカーが立っていた。濃紺の制服に袖を通したウェスカーは、写真で見るよりも一段と頼もしく威厳に満ちていて、特殊部隊隊長の肩書きに相応しい完璧な姿だった。
リストを一読していたリナには、他隊員の顔と名前も一目で把握出来た。ソファに並んで座っている年長の隊員はバリー・バートンとケネス・J・サリバン。その傍らでフォレスト・スパイヤーが壁に凭れ掛かり、少し離れたデスクにはジョセフ・フロストが座っている。そして、ドアを開けた若い男はクリス・レッドフィールドであった。しかし、隊員は挙ってリナに好奇の眼差しを向けているし、ウェスカーはと言うと終始無表情で底冷えする気配を放っていて、とても対面を果たした余韻に浸る余裕はなかった。
「なるほど、確かに私の知人だな」
と、ウェスカーは無表情な顔の中で口元だけを動かして淡々と答えた。呆れとも憤りとも取れない抑揚のない声が余計に恐怖を煽る。
「本当にウェスカーの知人なのか? じゃあ、応接室に通した方がいいな」
クリスはリナに向かってオフィスの奥を差したが、ウェスカーは「構わん」と即座に手を翳して制止した。
「私の知人に余計な気遣いは無用だ。許可もなく訪問した者を接待する必要はない。私が直々に応対する」
鋭く言い放つと、リナの元に歩み寄って「出ろ」と廊下を顎で示した。表情は変わらなくても、サングラス越しに覗く瞳は冷たい。
リナは悄然としながらオフィスを出ると、ウェスカーに背中を押される形で廊下の奥へと追い込まれていった。廊下の角を曲がって突き当たりまで追い遣られると、ウェスカーがようやく口を開いた。
「リナ、一体何をしに来た。お前と違って俺は職務中だ。メールでも夜に来いと知らせたはずだが」
「ごめんなさい、近くまで来たから寄ってみただけなんです。邪魔するつもりはなかったんです。でも、警察官の方とジル隊員に用件を聞かれて、こういう事に…」
「お前は仕事では聡明だが、それ以外では呆れる程間抜けになるのだな。もういい、怒る気にもなれん」
事情を聞くなり、ウェスカーは大きく溜め息を吐いて顔を背けた。てっきり威圧されるか厭味を並べられると思っていたリナは拍子抜けした。
「怒らないんですか?」
「今さら叱り付けたところで状況が変わる訳でもあるまい。それに、夜を待ち切れずに会いに来たと思えば意地らしいしな。今回だけは大目に見てやろう」
その口元が弧を描いたので、リナは安堵して頬を染めた──が、ウェスカーは間も置かず耳元に顔を近付けて来た。
「だが、もし怒られたいと言うのなら、今夜その身で味わわせてやってもいいぞ」
口元は笑っていても、目は笑っていなかった。S.T.A.R.S.隊長ウェスカーの知人にあるまじき失態を署内に晒したのだから、簡単に許すはずもなければ、ただで済むはずもない。しかしながら、居丈高な態度で夜の姦淫行為を宣言するとは、治安を守る特殊部隊隊長らしからぬ言動である。外見は様になっていても、内面は冷徹なサディスト≠フまま──リナは内心呆れつつも無抵抗で頷いた。
「遠慮します…と言いたいですけど、今回ばかりはどんな罰でも真摯に受け止めます」
「聞き分けが良いな。その言葉、覚えておこう」
ウェスカーはリナの返事に満足したらしく、にやりと微笑んで顔を離した。
──今夜も荒れそうね。
ふと脳裏に悪夢のような情交が浮かんだが、どんな内容でもウェスカーからの夜の誘いは嬉しいもので、自然とにやけ顔になった。
「まぁこれも良い機会だ、実はお前に報告しておきたい事柄があってな。食事がてら付き合って貰うぞ」
「報告って、例の画策の事ですか?」
「そんなところだ。正午には休憩に入る、お前は先に店で待っていろ。場所はCAFE13だ、いいな」
そう言って、ウェスカーは踵を返してオフィスに戻って行くと、一人残されたリナは両手を握った。
──顔を出しておいて良かった。
偶然で訪れた幸福、まさに天の賜物だと思った。これまでウェスカーとは夜に会うだけで、日中に仕事以外で2人きりになったケースは一度もない。職場の彼の元に顔を出し、その流れでランチに誘われて2人で食事をする──まるで恋人同士のようなシチュエーションに胸が躍った。
オフィス前を通り過ぎる際、ドア越しに声が聞えて来たので、リナは興味本位で耳を澄ました。一度顔を合わせたおかげで声の主が隊員の誰なのか察しが付いた。
「せっかくだから外まで送ってあげれば良かったのに。冷たいわね」
と、ジルの不満気な声が聞えて来た。それに対してクリスの真面目な声がしみじみと答える。
「そうだけど、優しいウェスカーなんて想像付かないな」
「いやぁ、ウェスカーだって意外と女性には優しいかもしれないぞ」
そう答えた渋みのある声はバリーだろう。直後、大きな物音と同時にウェスカーの低音が聞こえた。
「いい加減その無駄口を閉じないと、正午までに昨日の報告書を全て提出して貰うぞ。休憩もなしだ」
すると一斉に「無茶だ」「横暴だ」と野次が飛んだが、「いいからやれ」と無慈悲な声が一喝した。
──意外と打ち解けているじゃない。
仲睦まじいやり取りを聞いたリナは安堵の笑みを浮かべて、少しの憧憬と名残惜しさを抱きながら廊下を後にした。
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