『ほんの少し昔の話ー試験編・後半』

 あまりにも唐突で呆気ない幕切れに、オリガはしばらくライターを片手に呆然と立ち尽くしていた。
 ほんの少しの気の緩みから、ライターの炎をハウスキーパーに消されてしまった。部屋に入ってライターが付けっ放しであるのを見れば誰だって消す。自分だってそうするだろう。
 悪いのはハウスキーパーではなく、ドアノブに入室禁止の札をきちんと掛けなかったオリガの不注意だ。徹夜などするから注意力が散漫になり、判断力も鈍ってしまったのだ。『取り返しの付かないミスをする』と自ら危惧していただけにショックは大きかった。

 「こんな形で終わるなんて…リゾットさんに何て言えばいいのかしら…」

 ギャングが与えてくれた人生の転機。そのために警備員まで殺したというのに、ほんの少しの気の緩みで全てを台無しにしてしまった自分の不甲斐なさに、次第に涙が溢れて来た。試験の失敗は『死』を意味すると言うけれど、オリガにしてみれば唯一の居場所を得られなかった時点で死んだも同然だった。

 「…でも結局、私はこの程度の女って事よね…」

 ライターの火を守り通す事さえ満足に出来ないようでは、ギャングになっても役目を果たす事は出来ないだろう。最初から命を賭けて挑んだ試験であり、ただ素質と実力がなかったというだけの事──そう考えると諦めもついた。
 呆然とライターを眺めていると、蓋の側面にボタンらしき突起物があるのを見つけた。ライターは養父が使うのを見ていたくらいなので、蓋の開閉ボタンか何かかと思い、オリガは何気なく指で軽く押した。すると、蓋が開くと同時に勢い良く炎が上がった。

 「嘘でしょ…なんでまた火が付くのよッ!」

 このライターは、炎が付いているか消えているかを試す<eスト用の物のはずだ。普通のライターのように点火出来たら、テストの意味がない。信頼を示すどころか、イカサマを許す事になってしまう。

 「お客様、どうかなさいましたか?」

 不意に声が聞こえて、オリガは弾かれるように顔を上げた。見れば、先ほど通路にいたハウスキーパーが部屋を覗き込んでいた。ドアを開けっ放しのままだったので、叫び声を聞いて駆けつけたのだろう。
 随分な心配顔だったので、オリガは慌てて笑顔を作って取り繕った。

 「あ、いえ…大丈夫です。ただ、その…このライターの火の勢いが思ったより強かったから驚いて…」

 自分でも意味不明な弁解だと思ったけれど、状況が状況だけに動揺が隠せなかった。その様子にハウスキーパーは「はぁ」と気の抜けた返事をしたが、急につんとした顔をして、

 「お客様、大変失礼なのですが、火事になる恐れがありますので、火遊びはお止めになって頂けませんか? そして出来れば、外出の際もライターの火を消して下さると非常に助かります」

 と忠告して一礼した。丁寧な敬語が厭味っぽく聞えたが、彼女の言い分の方が正しいので「すみません」としか返せなかった。

 ふと、部屋を立ち去ろうとするハウスキーパーの人影が、不自然に伸びたような気がした。思わず目を凝らして見ると、影は徐々に床に広がっていき、拡張した影の中から人の形をした何か≠ェ這い出て来た。

 「何なのッ!?」

 全身に黒い衣装を纏った人の形をした存在──それはブラッケンドとよく似ていたが、形容が違っている事から別の存在≠セと判断した。
 しかし、別物とは言っても、なぜハウスキーパーの影の中から出て来るのか。もしや彼女もオリガと似たような能力を持っているのか──そう疑ったが、影から出た黒い者は彼女の首を掴んで拘束してしまった。

 『お前…『再点火』したな! お前が向かうべき道は2つある。一つは『生きて選ばれる者の道』。もう一つは、さもなくば『死への道』!』

 その黒い者は突然言葉を発して、無機質な表情でハウスキーパーの顔を覗き込んだ。しかし、彼女には黒い者の姿も声も見聞き出来ていないようで、全く見当違いの方向を見ながら苦悶の表情を浮かべていた。
 不思議な事に、オリガの目には女性の姿が2つ見えていて、1つは身体が透けていた。黒い者が掴んでいるのは透けた女性の方で、まるで身体から魂が引きずり出されているようだった。

 どちらにせよ、このままでは彼女は首を絞められて殺されてしまう。オリガは咄嗟に近くにあった電気スタンドを黒い者に向かって投げ付けたが、すり抜けて床に転がった。

 『さぁ、再点火したお前に受けて貰うぞ!』

 黒い者はオリガには目もくれず、大きく開いた口から鋭利な矢を突き出して、女性の魂に向けて発射した。
 矢は女性の顔面を貫いて後頭部にまで及び、頭部は破裂した風船のように無惨に破壊された。途端に女性の生身の身体はぐったりとして、その場で宙吊りになってしまった。

 『この魂は選ばれるべき者ではなかった』

 そう言って、黒い者はぶら下がった女性の身体を床に放り投げた。魂の方の頭部を破壊されたためか、生身の身体に外傷はなかったが、女性は目を見開いたまま絶命していた。

 ──スタンドはスタンド使いにしか見えない。

 ──スタンドは『生命エネルギーのヴィジョン』。わかり易く言えば『超能力を持った自分の分身』だ。

 ふとリゾットの言葉が過ぎり、この黒い者が『スタンド』だと確信した。
 台詞から推測するにライターの再点火≠ェ原因で現れた──つまり、ポルポのスタンド≠セと考えていいだろう。そして、『生きて選ばれるか、死か』の選択を迫られ、選ばれなかった者は殺される──それは、リゾットの『結果は生きるか死ぬか』の忠告と全く同じものだった。

 ──ライターを再点火した時に、本当の試験が始まるんだわ。

 オリガは今になって全てを理解した。だが、なぜハウスキーパーの女性が襲われたのか。ライターを再点火したのはオリガであって、偶然部屋に居合わせた彼女は無関係だ。
 それに、どんな人間でも矢で頭を射抜かれれば死んでしまう。それでは、向かうべき道は『死への道』しかないのではないか──。

 『お前も再点火したな!』

 ポルポのスタンドは、ようやくオリガに矛先を向けた。
 試験の意味を理解しても、この状況を打破する方法は全く思い付かなかった。オリガの『触れた者を即死させる能力』が、スタンド相手に通用するのかわからないし、試すにしても失敗すればハウスキーパーの女性と同じ末路を辿るだけだ。

 オリガは咄嗟に窓に向かって走った。部屋には小さなバルコニーがあり、そこを伝えば部屋から離れる事くらいは出来る。しかし、ポルポのスタンドは一瞬の内にオリガの正面に回り込んで来た。

 ──ヤバい!

 一か八か、オリガはブラッケンドで身を構えたが、ポルポのスタンドは一定の距離を置いたまま近付こうとしなかった。腕を伸ばせば掴めそうな距離にいるにも関わらず、なぜか目の前で立ち往生している。ブラッケンドに警戒したというより近付きたくても近付けない≠ニいった様子だ。

 「一体どうしたっていうの…?」

 その隙に窓を開けてバルコニーに出た。下には飛び込み台のある巨大なプール、そして左側に隣室のバルコニーが見え、さらにその先に非常階段が見えた。隣室のバルコニーまで2メートルほど離れていたが、ブラッケンドの腕を借りれば足りる距離だ。触れれば無差別に殺してしまう能力だけれど、オリガ自身に効果がないのは幸いだった。

 「見つかったら怒られそうだけど、形振り構ってられないわ」

 バルコニーの手摺りに跨って、雨樋に手を伸ばした──その時、オリガの目の前に突如ポルポのスタンドが現れた。
 ついさっきまで窓の近くで立ち往生していたのを見ていたのに、ほんの数秒の間に隣室のバルコニーまで移動している。そして、今にもオリガに掴み掛からんと腕を伸ばしている。不意打ち同然では、ブラッケンドを身構える余裕もなかった。

 ポルポのスタンドが手首を掴んだ刹那、足元から「バキッ」という音が鳴って身体が宙に浮いた。
 音が鳴った先に視線をずらすと、足元にあったはずのバルコニーが粉々に崩れ落ちていて、ポルポのスタンド諸共、空中に放り出されていた。朝日に晒された途端、ポルポのスタンドは突然悲鳴を上げて、空気に溶けるように消滅して行った。

 「な、なんで…!?」

 スタンドの拘束を逃れたオリガは、咄嗟にバルコニーの残骸に腕を伸ばしたが、虚しく空を掴んだだけで、成す術もなく真っ逆さまに落ちて行った。

 人間は事故に遭った時、1秒が何分にも感じられるというけれど、本当だった。見えているもの全てがスローモーションで、こんな状況にも関わらず、自分の身体が床に叩き付けられる映像まで脳裏を過ぎった。
 その最中、オリガの瞳は光が揺らめくスカイブルーの床を捉えた。それがプールの水面だと悟った時には、激しい水飛沫を上げて着水していた。
 全身に強い衝撃が走ったが、思っていたより痛みはなく、すぐに水中で体勢を直して浮上した。

 「ぷはッ…! 落ちたところでプールで助かった…!」

 平日の早朝という事もあって、幸いにもプールサイドに利用客はいなかった。そして、ポルポのスタンドの姿もなかった。
 何が原因でポルポのスタンドは消滅したのか、なぜ鉄製の手摺りが突然崩れ落ちたのか──疑問はあったけれど、一先ず難を逃れた事に胸を撫で下ろした。

 「…やっぱり、リゾットさんに知らせた方がいいよね…」

 オリガの試験だから、オリガだけが標的にされるのは一向に構わない。しかし、無関係のハウスキーパーを巻き添えにした以上、このまま試験を続行する訳にはいかないだろう。他に犠牲者が出る危険もあれば、部屋にあるハウスキーパーの遺体が見つかる危険もある。そうなれば試験どころではない。

 ガラス張りのフロアから、こちらに指を差して騒然とする人だかりが見えたので、オリガは慌ててプールから這い上がって、ホテルの外にある公衆電話まで走った。ずぶ濡れのポケットから小銭とメモを取り出して、辛うじて読める番号を押した。
 ふとライターが手元にない事に気付いて辺りを見渡したが、その間に電話が繋がったので、「オリガです」と叫んだ。

 「あ、あの…朝っぱらからごめんなさい! じ、実はさっき間違ってライターの火を消してしまったんですけど、いきなりスタンドみたいなのが出て来て、ハウスキーパーの女の人が矢に射抜かれて死んじゃったんです! で、でもスタンドと一緒にバルコニーから落ちたら消えちゃって、もう何が何だかわからなくて…!」

 相手が誰かも確認せずに状況を説明したが、動揺し過ぎて自分でも何を言っているのかわからなかった。相手も沈黙していたが、しばらくして聞き覚えのある低音が言った。

 「…つまり、お前はポルポから受け取ったライターを『再点火した』という事だな。そして、出現したスタンドに部外者を殺され、お前自身も攻撃されたが、外に出た事で消えた…という事か?」
 「そ、そういう事です!」

 こんな支離滅裂な説明でも、冷静にオリガが置かれた状況を理解してくれた事に感謝の言葉しかなかった。相変わらず抑揚のない冷淡な声だったが、おかげで全身の緊張が解れていくのを感じた。
 すると、リゾットはオリガが質問するより先に疑問に答えた。

 「お前が見たものは、ポルポのスタンド『ブラックサバス』だ。ライターの再点火をきっかけに発動し、再点火を目撃した者を追跡し、攻撃する。おそらく死んだ清掃員の女は、お前が再点火したところを偶然見かけたのだろう」

 どうやらオリガの解釈は強ち間違いではなかったようだ。ハウスキーパーがオリガを不審に思って部屋を訪ねたのなら、声を掛ける前から部屋の様子を伺っていた可能性はある。『火遊び』と言ったのも、オリガがライターを弄って火を付けたところを見ていたからだろう。

 「でも、あの人は試験とは関係ありませんよ?」
 「ブラックサバスに攻撃対象を見分ける能力はない。『再点火』という条件だけで自動的に発動し、見た者全てを対象に自動的に攻撃を開始する。アレは、そういうタイプのスタンドだ。ポルポの意思は関係ない」
 「つまり無差別って事ですか?」

 それに対して、リゾットは「そうだ」と淡白な回答をした。
 オリガの不注意のせいで部外者が犠牲になってしまったのだけれど、無関係の人間を巻き添えにし兼ねない方法を取ったポルポに一段と強い怒りが湧いた。ただ、その肝心のスタンドは今は完全に消滅している。周囲を見回しても影も形もない。

 「じゃあ、どうして外に出た途端に、ポルポのスタンドは消えたんですか?」
 「ブラックサバスは影の中を移動するスタンド≠セ。影の中では無敵だが、影の外では移動も存在する事も儘成らない。お前がどういった状況でバルコニーから落ちたのかは知らないが、ヤツが消滅したのは影の外に引き摺り出されたからだ」

 思い返してみれば、ポルポのスタンドが現れた場所は全て影の中≠セった。ハウスキーパーの影の中から現れ、窓際で急に立ち往生した時も日の当たらない壁際の影に立っていた。突然バルコニーから現れた時も、オリガが日陰にある雨樋に手を伸ばした直後だった。
 バルコニーが崩れ落ちた原因は不明だが、全て運良く影の外に出ていたおかげで、ポルポの攻撃から間逃れていたのだ。もし客室が日当たりの悪い場所にあれば、外に逃げる間もなく殺されていただろう。考えただけで背筋がぞっとした。

 「それじゃあ、もうスタンドは襲って来ないんですね?」
 「いや、一時的に攻撃を停止しただけだ。ライターを再点火すれば再び現れる。今回は運が良かったが、二度とライターの火を消さないよう注意する事だな」

 と、受話器越しに冷淡な声色で忠告されて、オリガは焦心した。
 その肝心のライターは騒動の最中に紛失して手元にない。バルコニーから落ちる直前まで、ライターは手に持っていたから、プールサイドに落としたか、それとも水の中か──どちらにしろ、非常に分の悪い状況には違いなかった。

 「それが、その…外に出た時にライターをなくしてしまったんです。多分、プールに落ちたから火も消えてると思うんですけど…」

 すると、饒舌だったリゾットの口調が鈍った。

 「それはマズいな…もし誰かがライターを拾って再点火すれば、再びヤツのスタンドが発動する。また部外者が死ぬぞ。早くライターを探せ」

 リゾットの言い分は尤もだった。オリガが派手に転落した事で、現在プールサイドには騒ぎを聞き付けた野次馬が集まっている。傍から見れば高価なライターにしか見えないから、人目に付けば確実に拾われる。ブラックサバスが再点火した者を無差別に襲うのなら非常に危険な状況だ。

 「も、もし再点火でポルポのブラックサバスが出ていたら…ど、どうすればいいんですか?」
 「お前自身のスタンドを使って、ヤツを影の外に引き摺り出せ。スタンドはスタンドでしか攻撃出来ない。ヤツを止める事が出来るのはスタンドだけだ」
 「いや、でも私…スタンドで戦った経験ないんですけど…」
 「戦闘経験があるとかないとか言っている場合じゃあない。次出会ったら確実に殺れ…いいな」

 途端に厳しい口調で命令されて、オリガは反射的に「はい!」と大声で返事をして姿勢を正した。それは親切なギャングではなく、暗殺者を率いるリーダーの声色だった。

 「俺もこれからホテルに向かう。だが、俺が手を貸すのは騒動の収拾だけだ。スタンドはお前が片を付けろ、これはお前の試験なのだからな」

 と、リゾットは最後に強く念を押して一方的に電話を切った。
 ライターを探し出せなければ、ポルポよりもリゾットに始末されてしまいそうな気がして、オリガは必死の思いでホテルまで走った。

 ──どうか拾われていませんように。

 案の定、プールサイドには人だかりが出来ていて、崩れ落ちたバルコニーの残骸の周辺には、ホテルの警備員が近寄らないよう注意を促していた。
 オリガは脇目も振らずプールサイドを回り、さらに服のままプールの中に潜って底まで探したものの、ライターどころかゴミ一つ落ちていなかった。

 「どうして…どうしてないのよ…!」

 理由は明確だった。すでに拾われたのだ。もし宿泊客に拾われていれば、オリガ1人では探しようがない。これも全てライターを守り切れなかった自分のせいだと、オリガは絶望した。

 その時、ホテル内から悲鳴が上がった。部屋の死体が見つかったのかと思ったが、野次馬の視線は屋外プールの隣にあるガーデンラウンジに向けられていた。

 「だ、誰か来て! 彼が突然倒れたの! 息をしていないの!」

 叫ぶ女性の隣で、男性がうつ伏せで倒れていた。さらに隣にある座席の影には、黒ずくめの人影──ブラックサバスが佇んでいた。
 女性にも野次馬にも、その存在は見えていなかったが、オリガの目にははっきりと見えていた。そして、倒れている男性の手に炎の付いたライターが握られている事も。

 ──いい加減にしてよ。

 自分の失態とはいえ、入団試験とは無関係の人間が次々と死んで行く──そんな非情な現状に、オリガの中で激しい憎悪が湧き上がった。こうしている間も、ポルポ本人は監獄の中で醜い巨体を横たわらせて、高級なワインを嗜みながらのうのうと生きている。スタンドに全てを任せて、自分だけ高みの見物をしている──それが余計に憎らしかった。

 すると、ブラックサバスは叫んでいた女性に手を伸ばした。その瞬間、オリガは2人目掛けてまっすぐ駆けていた。そして、女性の魂を引き摺り出すブラックサバスの腕をブラッケンドが掴んだ。

 「これ以上は殺らせない…!」

 憎悪の睥睨を向けながら、さらに強く腕を締め上げると、ブラックサバスの腕はボロボロと崩れ落ちた。その症状は一気に全身にまで及び、ブラックサバスの体躯は悲鳴と共に風化して消えた。同時に、拘束されていた女性は力なく床に崩れ落ちた。

 ──まだ何もしていないのに。

 女性を救えた事よりも、思いがけない結果にオリガは呆然とした。ブラッケンドはただ腕を掴んだだけで、影の外に引き摺り出していない。養父の魂が砂になって消えたように、ブラックサバスも消えた──つまり、オリガの能力はスタンドにも効果があるという事だ。

 ──でも、どうして?

 「そこに君! 2人から離れるんだ!」

 怒声に我に返ると、ホテルマンと警備員がオリガを押し退けて、床に倒れている男女に駆け寄った。男性はすでに息絶えていたが、女性は辛うじて意識を取り戻した。
 それを見たオリガは安堵したが、ふと見ると野次馬の視線が一斉に注がれていた。スタンドは一般人には見えないというから、傍から見ればオリガが女性を襲ったようにしか見えないのだろう。オリガは床に落ちていたライターを回収すると、騒動に紛れて現場を離れた。
 人混みを抜けた先にはリゾットの姿があり、目が合うなり『来い』と1階のホールに向けて顎でしゃくった。

 「事態は収束したようだな。すでにホテルの支配人と話を付けておいた。この件でお前に容疑が掛かる事はない」
 「はい、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

 オリガは安堵から思わず微笑みが零れたが、こちらを見つめるリゾットの表情は訝しげだった。

 「…どうやらお前の能力は、どんなタイプのスタンドにも効果があるようだな。ポルポのスタンドまで一瞬で消すとは想定外だった」
 「もしかして、さっきの見ていたんですか?」
 「偶然だがな…おかげで俄然興味が湧いた。今までこういった方法でポルポの攻撃を回避した者はいない。お前の能力…他にも使い道がありそうだ」

 そう言って、リゾットは観察するような仕草を見せた。以前と同様に、スタンドに対しての『興味』なのだろうけれど、無言で見つめられると心が落ち着かない。
 オリガは妙な羞恥心を覚えて、ずぶ濡れの服を整えながら質問した。

 「で、でも、どうしてポルポのスタンドは、影の外に出す前に消えてしまったんですか?」
 「形容が異なるだけで、スタンドも魂も同じ『生命エネルギー』だ。だから、スタンドにも効果があった…おそらく、そういう事だろう」
 「じゃあ、ポルポは死んだって事ですか?」
 「いや、ポルポは生きている。少しは体力を消耗したかもしれないが、ほとんど無傷だ。本来スタンドが受けたダメージは本体にも影響するが、ヤツの場合は本体にほとんど影響がない。それどころか、ポルポは自分のスタンドが発動した事にさえ気付いていない。しかし、条件さえ満たせば何度でもスタンドは発動する…それがヤツの『遠隔自動操縦タイプのスタンド』の特徴だ。だが、お前の能力なら攻撃を停止させる事が出来る。ヤツは魂を引き摺り出す前に必ず拘束して来る。その時に、お前のスタンドで触ればいいだけだ。仮に再点火しても、ポルポはお前に近付けない…怖気付く必要はないだろう」

 と、リゾットは小難しい説明とアドバイスをしたが、結局のところ再点火しない事≠ナしかポルポの攻撃を回避する方法がなく、まだ試験が終わった訳ではない、という事だ。幸いライターの炎は点火していたけれど、午後3時までライターの炎を守る苦労は変わらない。
 ただ、おかげで刑務所の突破口が開けたのは不幸中の幸いだった。身体検査の後に再点火して、オリガの能力でブラックサバスを一時停止させればいいのだ。何をしてもポルポ本人は気付かないのだから。

 「俺はしばらくここに残るが、お前がこのホテルに留まるのは抵抗があるだろう。時間まで別の宿泊施設に身を隠すといい。その格好でポルポの元に行かせる訳にもいかないしな」

 そう言って、リゾットは表に止まっているタクシーを指差した。『手は貸せない』と厳しく言及しておきながらも、助言をする様はどこか滑稽で、オリガは改めて『不思議な人』と静かに笑った。

 ──でも結局、ポルポは何がしたかったのかしら?

 なぜポルポのスタンドは再点火した者の魂を矢で貫く≠ニいう行為を強行するのか。一見、再点火した『罰』のようにも見えるが、『生きて選ばれる道』と言うからには、何か他の意味があるように思えた。
 考えている間に、リゾットがエレベーターの方を向いたので、オリガは慌てて呼び止めた。

 「あの…ポルポのスタンドが『生きて選ばれる道』って言ってたんですけど、魂を矢で射抜く事と何か関係があるんですか?」
 「ポルポのスタンド能力は『スタンドを引き出す能力』だ。あの矢で射抜かれた人間は眠っているスタンド能力に目覚める。ただし、矢を受けて生きていられるのは素質のある者だけだ。素質のない者は死ぬ…そういう意味だ」
 「じゃあ、ポルポの試験の目的って『スタンド使いを作る事』なんですか?」
 「そうだ。そもそも『パッショーネ』にいるスタンド使いの大半は、あのポルポの矢が原因だ。俺もあの矢に射抜かれてスタンド使いになった」

 事情を聞いたオリガは思わず絶句した。
 ギャングにしてみれば『力』が全てだから、常軌を逸した能力であるスタンドは、組織の権力を維持するには最適な『力』だろう。しかし、そのためにスタンド使いを作る≠ニいう行為は、組織のために殺人兵器を量産しているようなものだ。スタンドで人生を狂わされたオリガには、悪魔の所業に映った。

 「どうしてそんな事をするんですか? 私みたいな人間を探せばいいだけじゃあないですか。わざわざ作るなんて…」
 「質問はそこまでだ。組織に入団したければ、これ以上組織の内情を探らない事だ。好奇心は身を滅ぼすぞ…俺達の組織ではな。この話は忘れろ」

 リゾットは一転して険しい面持ちで忠告すると、オリガを置いて歩き出した。

 強大な権力を持つ組織『パッショーネ』──その背景に何か良からぬ意図が隠されている気がしたけれど、忠告に従って忘れる事にした。
 この試験は『組織への信頼』を示すものだけれど、オリガが信頼する相手はリゾットだけだった。リゾットにはそれだけの恩義があり、今改めて『信頼に値する男』だと確信した。だから、組織の内情など正直どうでも良かった。


 その後、オリガはポルポの入団試験に合格し、リゾットが率いる『暗殺チーム』への加入を無事果たすのだった。

[*prev] [next#]
[back]