その日、暗殺チームの面々はアジトに集結していた。数日前、リーダーであるリゾットから『新しい仲間を連れて来る』と各自メールで伝えられたためである。
だが、そのリゾットは現在不在であり、その後の連絡は何もなかった。こちらから連絡をしようにも携帯電話の電源が切られていて、新しい仲間が一体どんな男なのか、いつ到着するのか、確認する事も出来ない。集合したものの、リーダー不在で連絡も取れないのでは、呼び出された側は堪ったものではない。
「おいおいおい、まだリゾットから連絡は来ないのか? もう集合してから30分経つぜ」
先に痺れを切らしたのはイルーゾォだった。苛立ちを隠せないのか、組んでいる脚を小刻みに揺すっている。それをきっかけに、他のメンバーも不満を溢し始めた。
「俺は予定をキャンセルしてまで来たんだぜ? それなのに呼び出した方が遅刻するとか、あり得ないだろ。せめてメールぐらい寄越せよなァ」
と、言ったのはメローネだ。気だるそうにパソコンを弄るその隣で、ギアッチョが青筋を立ててテーブルを拳で叩く。
「大体よォ〜、リーダーが遅刻ってどういう事だよ、クソッ! まさか新入りのせいじゃあねーだろうなァ〜! だったら、ただじゃあおかね〜!」
「おいコラ、コーヒーが零れたじゃあねぇか! しょうがねーなァ〜! おいペッシ、拭いてくれねーか?」
「でもよぉ、遅刻なんてリーダーらしくねーよ。途中でトラブルでも起こったんじゃあねーかな?」
ホルマジオに指示されたペッシが、不安げな表情をしながら、まるで新米ウェイターのような不慣れな手付きでテーブルを拭いた。
それを見たプロシュートは堪り兼ねて、ソファに座ったまま大きく脚を蹴り上げた。するとテーブルが大きな音を立てて横転し、全員が一斉に口を噤んだ。
「うるせー黙ってろッ!」
ドスの利いた怒声が飛ぶと、軽口は嘘のように止んだ。『触らぬ神に祟りなし』とばかりに黙々とテーブルを片付け始めたので、プロシュートは舌打ちをして仲間から顔を背けた。
長らくリゾットの下にいるが、私事や怠慢で物事を疎かにした事はない。通話不能の状態も、何か理由があるからそうしているのだ。リゾットは決して意味のない事はしない。
プロシュートが苛立っているのは、仲間の軽口や、弟分のみっともない姿にムカッ腹が立っただけが原因ではない。ペッシの言う『トラブルに巻き込まれているかもしれない』という緊張感からだ。トラブルを突破できないほど柔な男でもないが、相手が『組織』であれば話は別である。
思い当たる節はあった。数ヶ月前にこのチームを襲った惨劇だ。2人の仲間が、組織のボスに処刑≠ウれたのだ。現場となったのは、このアジトである。そして、惨劇を目の当たりにしたのは、この場にいる全員だ。
リゾットには『忘れろ』と言われたものの、簡単に忘れられるものではなかった。おそらくリゾットが新しい仲間を連れて来る理由も、この件に関係しているだろう。1人でも多く組織に対抗出来る仲間がいた方がいいし、仲間を失った事に一番憤っていたのはリゾット自身だ。
──こいつら、マジで忘れたんじゃあねーだろうな。
プロシュートは大騒ぎする仲間を睨み付けて、気晴らしに部屋を眺めた。殺風景で、狭小で、陰鬱としたアジト。まるでネズミが住まうような部屋だ──と、ここへ来る度に思う。しかし、このチームには『縄張り』がないため、仲間が集って気兼ねなく居座れる空間は、ここしかない。
それもこれも全て組織が原因だ。陰鬱な景観のおかげでイヌコロ≠ノ成り下がってしまった屈辱を思い出して、余計に腹が立って来た。
「すまん、遅くなった…何をしている?」
静まり返っていた室内で、抑揚のない低音が言った。それは待ち兼ねたリゾットのもので、すでにリビングの入口まで入って来ていた。いつもながら感情の読めない表情だったが、床掃除をしている仲間の様子に眉を顰めた。
「やっとご到着かよ」
「遅いぜ、今までどこで何してたんだ?」
と、仲間は皮肉っぽく言っただけで、必要以上に責めなかった。いざリゾットの無感情で威風漂う容貌を前にすると、本音を言い難いのだ。実際に、冗談や洒落が通じるような軽い性格ではない。
「悪かった、新入りの件でポルポの所に行っていた」
「それでも連絡くらい寄越せよ。何で電源切ってんだよ」
「取り込み中だった。邪魔を入れたくなかったのだ」
と、リゾットは質問に淡々と答えると、後ろに向かって目で合図を送った。
すると、少し間を置いてリゾットの背後から若い女の顔がこちらを覗いて来た。女は自分を取り囲むギャング達にビクついた様子だったが、プロシュート達も新入りが女≠ニいう衝撃の事実に絶句した。それも、まだあどけなさの残る少女だ。おそらく10代半ばだろう。
「ここがお前の居場所になるんだ。前に出て挨拶くらいしろ」
そう言って、リゾットが少女の腕を引いて前に突き出すと、少女は益々挙動不審になって、全員の視線を避けるように深々と頭を下げて来た。
「は、初めまして…オリガと言います。これからお世話になります」
丁寧な挨拶をする姿から、ギャングとしての覚悟は微塵も感じなかった。服装も地味な柄のスカートに、ブラウスとカーディガン姿で、まるでどこかの道端で拾って来た物売りの少女のようだ。あのメローネでさえ予想外の事態に呆然としている。
今まで沈黙を貫いていたプロシュートも思わず声を荒らげた。
「これが新しい仲間だと? まだガキじゃあねーか! お前マジに言ってんのか?」
「俺は本気だ。確かに歳は若いが、この娘はスタンド使い≠セ。ポルポの試験で手に入れた能力じゃあない、元々持っている能力だ。入団試験にも受かっている。正式に組織の一員だ」
あの過酷な入団試験に受かったとはとても信じられなかったが、少女の胸元には確かに組織の金バッジが煌いている。
しかし、どんなスタンド能力であろうと、未だにリゾットの傍から離れようとしないようでは、とても使い物になるとは思えなかった。あまりにもビクついているため、怒号を放った事に罪悪感を覚えるくらいだ。そんな少女を引き離す素振りも見せないリゾットに苛立ちながら、さらに問い詰める。
「いくらスタンド使いで試験に受かったっつってもだな、このチームの任務は『暗殺』なんだぜ? 女には向かねー」
「そう思うのは、お前がこの娘の能力を知らないからだ。俺はこの目で見ているからわかる…彼女の能力は暗殺向き≠セ。ここにいる誰よりもな…だからスカウトした」
「随分と高く買っているじゃあねーか。で、いつどこでスカウトしたんだ?」
「1週間前、俺がヴェネツィアで仕事≠ノ就いた事があっただろう。その時に見掛けて連れて来たのだ」
──本当に拾って来たのか。
仕事というのは、もちろん『暗殺任務』の事だ。確か『人身売買をやっているギャングがいる』とかで幹部から指令が来たのだ。それは余所のギャングだったが、長年組織の目を欺いて悪事を重ねている手だれの一派だったため、確実に暗殺出来るリゾットが任務に就いたのだ。その甲斐あって、任務はわずか2日で終了した。
『暗殺のプロ』でもあるリゾットが認めたのだから、相当な能力の持ち主なのだろうが、外見があまりに普通過ぎるせいで納得がいかなかった。能力が優秀でも、性格が戦闘向きでなければ危険な仕事は務まらない。
「じゃあよ、その暗殺向き≠フ能力ってヤツを見せてくれよ。入団試験にも受かった能力をよォ〜」
「そうだよなァ〜、俺達の仲間になるなら教えてくれよ。見て納得したら仲間として認めてやるぜ」
と、喧嘩腰に言ったのは、ホルマジオとイルーゾォだった。それに続いて、メローネとギアッチョも「賛成」と声を上げ、ペッシも頷いた。
ここにいる誰もが強い覚悟を持って組織に入団している。それを先天性のスタンドだろうと何だろうと、地味な少女がいとも簡単に入団を許可され、同じチームの一員になる事に抵抗を感じるのは当然だろう。『誰よりも暗殺に向いている』などと賞されてはプライドが傷付く。
すると、リゾットは呆れたように溜め息を吐き、しばらく沈黙した後、新入りの少女──オリガに向かって命令した。
「仕方がない…オリガ、お前のスタンドを見せてやれ」
「いいんですか?」
「構わない。ただし、誰にも触れるなよ」
両者の間で意味深なやり取りがあった後、オリガは数歩前に出て、怯えた表情でこちらを見渡して来た。もったいぶらせる仕草にこめかみが波打ったが、怒鳴って怯えて泣き出されては堪ったものではないので、黙って見守る事にした。しかし、そんなプロシュートの決意をイルーゾォが一瞬で無駄にした。
「おいおい、リーダーのご機嫌取りかよ。もしかして枕営業でもしたんじゃあねーのかァ?」
「相変わらず下らねー事言ってんなァ、おめー」
デリカシーの欠片もない言葉に泣き出すかと思いきや、突然オリガの表情から怯えが消えた。上目遣いで2人を睨み付けると、身体から黒い影が分離した。
ようやくスタンドを出したか──と思ったのも束の間、それを目にした瞬間、言葉を失った。
スタンドの全身は黒く骨張っており、まるで黒い布を糸で縫い付けられたミイラのような、おぞましい容姿をしていた。頭部と腰部にだけ装飾があり、表情は舞踏会の仮面のように白く美しかったが、両目からは黒い液体が涙の如く流れていて、一段と不気味さを増している。
もしこの世に『怨霊』とか『死神』が実際にいるとして、目の前に現れたとすれば、このような存在なのかもしれない。少女がスタンドを出すのを躊躇った理由がわかる気がする。こちらとしても、見たくないものを見てしまった気分だった。
少女のスタンドは、黒く干乾びた腕をゆっくりと伸ばして来た。その狙いはイルーゾォだった。侮辱した相手を敵と見なしたのだ。
「おい何だ、やる気かァ?」
イルーゾォはすかさず自身の『マン・イン・ザ・ミラー』を出して身構えた。
彼の性格上、少女相手にスタンド能力は使わない。戯れ程度に正面から攻撃を受け止めるだろう。この程度で怯んではギャングとは言えないが、この時ばかりは無謀な行為に見えた。相手の動きはスローだったが、動きに合わせて周囲の空気が黒く淀んでいく。
回避しないとマズイ──理由はわからないが、危険だという事だけははっきりわかった。
「おい! 何かヤバいぞ…ッ!」
「止めろ! 仲間に手を出す事は俺が許さない…」
同時に制止の声を上げたのはリゾットだった。地を這うような低音と鋭い眼光に、両者のスタンドはピタリと動きを止めた。特にオリガはパニックになり、慌ててスタンドを戻して平謝りをし始めた。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃあなかったんです! つい感情的になってしまって…」
「いや、今のはイルーゾォの問題だ。行動が軽率だぞ…早死にしたいのか?」
「何だよ、俺はコイツの能力を試してやろうとしただけだぜ? 先輩に能力を見せるのが礼儀だろ」
「あいにく試せるような能力じゃあない。彼女の能力は『触れた者を即死させる能力』だ。オリガのスタンドに触れた者は、一瞬で死ぬ。ほんの少し指先に触れられただけで、抵抗する間もなく命を奪われるのだ。途中で解除する事も出来ない。回避する方法はスタンドに触らない事≠セけだ」
能力を聞いたイルーゾォは顔面蒼白になり、プロシュートは思わずオリガの顔をまじまじと見てしまった。
スタンドは『生命エネルギーのヴィジョン』だと聞いた事がある。謂わば精神を具現化した分身≠セ。だとすると、オリガの内面にはとてつもなく凶悪な一面が秘めているのではないだろうか。
しかし、見た目は人畜無害な少女であり、凶暴な顔を隠しているようには見えない──いや、それが狙い≠ゥもしれない。本人の意志とは無関係であっても、だ。
そうなると、確かに『暗殺向き』のスタンドだ。スタンドが見える者でも、能力を知らなければ触れてしまうし、スタンドが見えない者であれば、回避する事はほぼ不可能になる。冷徹無慈悲な死を送る存在──さながら死神≠フようだった。
すると、オリガは急に顔を赤らめて目を逸らした。あんなおぞましいスタンドを見た後に、少女らしい仕草をされても、『初心な女だ』なんて呑気な事は、これっぽっちも思わなかった。
「これで納得しただろう。予定通り、オリガを俺達のチームに加入させる…いいな?」
リゾットの問い掛けに、誰も異論を返さなかった。下手をすれば仲間にも危害を与えかねない『ヤバいスタンド』だが、暗殺に優れた能力であるのは認めざるを得ない。
「異論はないようだな。ではプロシュート、しばらくお前がオリガの面倒を見てやれ。入団したばかりで、まだこのチームの事をよく知らない」
「はぁ?」
唐突に耳を疑う命令が飛んで来て、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「ちょっと待て、何で俺が新入りの面倒を見なくちゃあならねーんだ? 拾って来たおめーが世話すりゃあいいじゃあねーか」
「俺に人の世話は向かない。その点、お前は面倒見が良いし、能力を育てる才能がある。適役だろう」
「冗談じゃあねー! ペッシだけでも手を焼いてるんだぜ〜! 2人も面倒見れるかッ!」
背後から「そりゃないですぜ兄貴ィ」と嘆く声が聞こえたが、気に止める余裕はなかった。この少女の場合、面倒見が良いとか、そんな単純な理由で任せて良いものではない。
『女だから』というのも一理あるが、少女のスタンド能力に一抹の不安があった。感情で能力を発動させたところを見るに、彼女はスタンドを制御出来ていない。つまり、少しでも扱い方を間違えれば、こちらが死ぬ≠ニいう事だ。『触れない』という対処法はあるにはあるが、そんなデリケートで物騒な代物を四六時中扱うなど御免だった。
「確かにプロシュートが適役かもな。女の扱いは俺より上手いだろうし」
さすがのメローネも『触れただけで死ぬ女』とは関わりたくないらしく、どこか厭味ったらしい物言いをしてパソコンに視線を落とした。ふとホルマジオとイルーゾォを睨み付けると、
「あ〜、言っておくけど俺は無理だからな。つーか俺、嫌われたみたいだしよォ」
「まぁ、適当に頑張ってくれや」
と口々に言って、傍から離れて行った。ギアッチョは初めから興味がないといった様子で、リゾットはと言うと、書類を読みながらも、時折『逃げるなよ』と言わんばかりの睨みを利かせて来る。唯一、ペッシだけが困惑した表情で見ていたが、憐れむ眼差しが余計に腹立たしかった。薄情な仲間の態度に、頭の血管が急激に膨張していった。
「おめーら…!」
プロシュートが言い掛けた矢先、不意に少女の顔が目の前に現れた。屈託のない表情でまじまじと見つめられ、激昂するタイミングを逃してしまった。
「…おい何だ、俺の顔に何か付いてんのか?」
「あなたがプロシュートさん…で、いいんですよね? ごめんなさい、まだ皆さんの事をよく知らなくて。不束者ですが、よろしくお願いします!」
オリガは急に声を張って再度挨拶をすると、両手を差し出して握手を求めて来た。
自分が仲間から厄介者扱いされている事に気が付いていないのか──『馬鹿な女だ』と思ったが、呆れるほど純朴な言動に怒る気も失せてしまった。
「ここじゃあ、そういう挨拶はしねー。おめーも組織の人間になったんなら、もっと堂々としてろ。おめーの行動は仲間の体面にも関わるんだからな」
プロシュートは差し出された手を軽く叩き返してアドバイスをすると、「わかりました」と元気の良い返事が返って来た。やさぐれた野郎相手ならやり方は五万とあるが、こういったタイプは扱った事がない。いや、おそらくどのチームにもない経験だろう。
──面倒な事になっちまったな。
それはプロシュートだけでなく、リゾット以外の全員が思った事だった。
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