『出会いは非常識でした』

 最近、『各地で奇妙な現象が多発している』というニュースをよく見聞きする。それは近年の環境破壊による異常気象とかいう類のものとは違い、石頭の老年専門家も閉口するほど不可解な現象だという。局地的な天候と地形変動に、原因不明の事件事故の多発化、中には『恐竜がいた』とか『ドッペルゲンガーを見た人が消えた』とかいう馬鹿げた証言もあったけれど、強ち嘘ではないと思う。というのも、この平和な杜王町でも『死んだはずの人間が戻って来る』という、何とも奇妙な現象が起こっていたからだ。

 『死者が生き返る』など通常ではあり得ない話だけれど、それが事実≠ナある事を杜王町の住人は信じざるを得なかった。その『生き返った人間』というのが、数ヶ月前に杜王町を震撼させた殺人鬼・吉良吉影だったからだ。
 吉良が殺人鬼であった事実は、彼が不慮の事故で死亡した後に発覚したのだけれど、吉良の事件は平和だった杜王町に深い傷跡を残した。そんな記憶に新しい殺人鬼を住人が見間違えるはずもなく、複数の目撃証言から吉良の甦り≠ヘ紛れもない事実となった。
 今現在も、吉良は杜王町のどこかにいると思われたが、それらしき事件や事故は起こっていない。もし吉良が事件を起こしたとしても、警察は吉良が死亡するまで犯行があった事すら知らなかったのだから吉良の犯行≠ニ断定するのは難しい。これほど常軌を逸した事態では、今回も警察は手も足も出せないだろう。これらの一連の現象をテレビやラジオは『世紀末の天変地異だ』と挙って騒ぎ立てた。

 ただ、杜王町の良い所は、どんな異常事態が起ころうとも全く動じないところだ。異常現象や殺人鬼を恐れて街から逃げ出す事など考えもしない。それだけ郷土愛が強くて度胸が据わっているのだろうけれど、悪い言い方をすれば能天気で無関心とも取れる。誰かが殺人鬼をどうにかしてくれるんじゃあないか、一過性のもので時間が経てば全て元通りになっているんじゃあないかと、その程度にしか考えていない。もちろん、それは同じ町民である私──夢子にも言える事なのだけれど。
 気にはなっていたけれど、この時の夢子は自分の事で精一杯だった。今年で入社5年目を迎えた飲食店は日々多忙を極めていたし、プライベートでも別れた元恋人と一悶着あったばかり。報道で見聞きするだけで実際に見た事もない不可解な事件に、いちいち神経を尖らせている暇はなかった。


 この日も、全ての業務を終えて家路に着いたのは午後11時を過ぎた頃だった。職場近くのコンビニで夜食を購入し、自宅アパートに到着した頃には日付が変わる直前で、心身共に疲れ果てていた。

 ──早くシャワーを浴びて寝よう。

 自宅のドアの前まで来ると、夢子は安堵の溜め息を吐きながら鍵を開けた──が、部屋に入った瞬間、心臓が縮み上がった。誰もいないはずの1LDKの薄暗い室内に、蠢く人影があったのだ。

 「だ、誰!? もしかして、タケシ?」

 本来なら叫ぶとか、逃げるとか、警察を呼ぶとかするのだろうけど、夢子は咄嗟にそう呼んだ。『タケシ』とは夢子の元恋人の名で、ここ最近執拗に復縁を迫られていたため、また性懲りもなく押し掛けて来たのだと思った。しかし、暗闇の中から返って来たのは、夢子の質問に対する回答でも、元恋人の声でもなかった。

 「何だ、女の部屋だったのか」

 それはやけに素っ気ない男の声だった。夢子はこの時初めて『空き巣に入られた』と知って全身を粟立てたが、恐怖よりも違和感に首を傾げた。
 帰宅した住人と鉢合わせしたのに、取り乱して襲い掛かる訳でも、逃げる訳でもなく部屋に留まっている。泥棒にしてはあまりに冷静だったので、元恋人が卑怯にも友人を送り込んで来たのかもしれない──とも思ったけれど、『誰だ』という質問に対して『女の部屋だったのか』という回答から、その可能性は却下された。
 間取りから判断するに、侵入者はリビングのソファに座っている。カーテンが風に靡いている事から、男は窓から侵入したらしい。しかし、室内に荒らされた様子はなく、侵入した意図が全くわからない。

 ──何なの、コイツ。一体何しに来たの?

 疲れて帰って来たところに、余裕綽綽とした謎の侵入者──何だかよくわからない状況に夢子は次第に腹が立って来た。

 「早く出て行かないと、警察呼ぶわよ!」

 夢子は声を張り上げて、思い切ってリビングの電気を点けた。すると、そこには西洋人らしき金髪の男がいた。西洋人らしき≠ニいうのは、電気が点くなり男が両腕で顔を覆ったせいで、いまいち判断が付かなかったからだ。予想に反した侵入者の正体に愕然としたが、夢子よりも侵入者の方が驚嘆していた。

 「URYYY!? 貴様ッ、いきなり灯りを点けるなマヌケ!」

 男は顔を覆ったまま妙な奇声を上げて、犯行現場を見られた事よりも、煌々と照らす蛍光灯の灯りに激昂した。確かに暗闇から明るい場所に出れば目が眩むけれど、男の反応はまるで蛍光灯の灯りで皮膚が焼ける≠ニばかりのオーバーリアクションだ。あまりに悶えるものだから、少し気の毒になった夢子は照明を豆電球に切り替えた。

 「…電気消したわよ」

 夢子の声を合図に男は恐る恐る腕を下げて、安全を確認するなり「フン」と戸惑い気味に鼻を鳴らした。
 ようやく視界に現れた男は目が覚めるような美形だったけれど、その服装はかなり風変わりだった。首元にマフラーを巻き、レザーパンツとロングブーツ、そしてシャツの上には今時珍しいサスペンダーをしている。100年前の西洋を舞台にした映画で見るような古めかしい西洋ファッションで、泥棒というより仮装をした青年である。
 格好良いのか悪いのか、何とも言い難い容姿をした侵入者に混乱したけれど、一先ず素朴な疑問を投げ掛けた。

 「…で、あんた誰よ。私の部屋で何してるの?」
 「フン、お前が先に名乗れ。そうすれば説明してやる」

 夢子の質問に、西洋人の男は再び回答にならない言葉を返して来た。高慢な顔付きで睨み上げていたけれど、蛍光灯に悶絶していた事を思い返すと迫力に欠ける。そもそも不法侵入した男に『先に名乗れ』と言われる筋合いはなく、夢子はついに激昂した。

 「何で不法侵入者のあんたに命令されなきゃあいけないのよッ! バッカじゃないの!?」
 「何だと貴様ッ! よくもこのディオを馬鹿呼ばわりしたな! 東洋人のカスの女のくせに!」
 「へぇ、あんた『ディオ』って名前なの?」

 指摘すると、男は『しまった』と言わんばかりの表情で閉口した。激昂の勢いで自ら名前を暴露する──蛍光灯の件といい、『やっぱり馬鹿だ』と夢子は失笑した。

 「フン…俺は名乗ったぞ。お前もさっさと名乗れ」

 ディオは未だ上から目線で命令して来たが、度重なる失態の前では虚勢にしか見えない。失笑ものだったが、おかげで夢子の恐怖も警戒心も全て吹き飛んだ。

 「私は夢子よ。それで、どういう事情で私の部屋に上がり込んだの?」
 「太陽を避けるための臨時の休憩所を探していたのだ。適当な場所を当たっていたら、たまたま無人の部屋を見つけた。それがこの部屋だったという訳だ。こんな狭い部屋に住人がいるとは思わなかったがな」
 「何なの、その理由…っていうか、勝手に人の部屋を休憩所にしないでよ。休むならホテルに行くのが普通でしょ?」
 「持ち合わせがない。何しろ急用で、ついさっきこの街に来たばかりだからな、地理も何も把握していない。言っておくが、盗み目的で入った訳じゃあないぞ。昼間のほんのちょっとの間だけ部屋を借りようと思っていただけだ。別に何の問題もないだろ」
 「いや、十分大問題なんだけど…もういいわ」

 不法侵入を謝罪するどころか開き直る始末で、夢子は呆れて詰問する気にもならなくなった。一般常識は万国共通のはずなのだけれど、この男には常識も罪の意識もないらしい。おそらく逮捕されて牢獄に入っても絶対に反省しない類だろう。そういう人格の持ち主に一般人が罪を問い詰めたところで無意味で、夢子は質問を変える事にした。

 「でも、無一文で地図もない状態で日本に来るなんて、ちょっと無謀じゃない? もしかして、語学留学中にヒッチハイクの旅でもしてるの? それにしては日本語上手いけど」
 「俺は学生でも旅人でもないぞ。この街だって俺の意思で来た訳じゃあないんだ。ジョジョのヤツを追っていたら、なぜか日本に来ていたのだ。言葉も勝手に話せるようになっていた」

 色々と疑問の残る説明の仕方だったけれど、『ジョジョという人物を追って杜王町に来たものの、無計画だったために資金も定住先もない困窮した状況に置かれている』という事だけはわかった。早い話が『杜王町で迷子になった』という事だ。

 ──立派な図体して、何考えてるのよ。

 未だ悠然と構えるディオの姿に溜め息を溢しながらも、夢子は改めてまじまじと男の容姿を眺めた。古めかしい格好をしているけれど、さほど年齢の差はないように見える。しかしながら、せっかく芸術彫刻のように筋骨隆々とした体躯と端整な顔立ちをしているのに、非常識で高慢な性格のおかげで台無しである。その上、状況はどうであれ仮装したまま『迷子になった』となれば失笑も出ない。
 夢子はようやく鞄と買い物袋をテーブルに置いて、ディオと同じリビングに腰を据えた。何かと非常識な男ではあるけれど、質問には全て答えているので、これ以上警戒する必要はないと判断した。

 「何となく事情はわかったけど、無計画過ぎるわよ。その『ジョジョ』とかいう人は諦めて、自分の国に帰った方がいいんじゃあないの?」
 「…帰るにも、帰り方がわからん」
 「自分の故郷くらいわかるでしょ。あんた、どこの出身なの?」
 「ロンドンだ。館はウインドナイツロットという田舎にあるがな」
 「その田舎がどこかは知らないけど、イギリスなら飛行機で帰れるでしょ。状況が状況だし、飛行機代なら貸してあげてもいいわよ?」
 「そんな金は要らん。大体、俺がいたロンドンは飛行機なんぞで帰れるような場所じゃあないんだ。『光のヒビ』とかいうヤツで次元を超えて来たから、そもそも時代が違う。そのヒビが忽然と消えてしまったから帰れんのだ」
 「…どういう事?」
 「俺のいたロンドンは1888年だが、ここは1999年の日本なんだろう? 111年も違うじゃあないか」

 そう言って、ディオは室内カレンダーを指差して来たので、夢子はつい呆気に取られてしまった。

 ──馬鹿じゃなくて痛いヤツ≠セったのね。

 『帰り方がわからない』というのは外人だから≠ナ大目に見れるけれど、『時代が違う』と言い出したとなれば、もはや常識がない以前の問題だ。支離滅裂な言動から記憶喪失や意識混濁、妄想癖などの精神障害、もしくは服装から19世紀の人間に成り切っている可能性≠熏lえられる。だとすると相当痛い男≠セし、泥棒より質が悪い。
 夢子が目を点にしたまま閉口していると、ディオは仏頂面に益々不快感を露にした。

 「…貴様、ひょっとして俺の話を信じていないな?」
 「そりゃあ、いきなり『時代が違う』とか言われてもね。当時のお金とか、何か証拠があれば納得するけど」
 「…金はないと言ってるだろうが」
 「じゃあ無理。もし本当だとしても、私にはどうする事も出来ないし」
 「…もういい、他を当たる。女なんぞに説明した俺がマヌケだった」

 ディオは一方的に会話を打ち切ると、開けっ放しにされた窓の前に立った。その声色と後ろ姿が酷く落胆しているように見えて、夢子は居た堪れない気持ちになった。
 本人は何ら違和感もなく、思った事をありのまま話したのだろうけれど、唐突に『19世紀のイギリス人です』と言われても、信じる人間はまずいないと思う。しかしながら、死んだ人間が甦ったり、恐竜とかドッペルゲンガー現象とか、各国で異変が起こっている事を考えると、『タイムスリップした』という話も信じようと思えば信じられなくもない。今の世界は何でもあり≠フ状態なのだから。
 もしディオが本当に19世紀の人間であっても、ただの精神異常者だとしても、行き場のない迷子の青年をこのまま放置するのは気が咎めるし、イケメンなのに色々と残念な男≠ニいう点も何だか不憫に感じた。『他を当たる』と言っても、他の場所でこの説得方法は通用しない。夢子だから会話に付き合っているけれど、他の住人なら部屋で鉢合わせした時点で警察に通報している。

 「…もし困ってるなら、しばらく私の部屋を貸しても構わないわよ? 昼間だけでいいんでしょ?」

 同情からつい声を掛けたものの、何かと傲慢な男のようだから断るかもしれない──と思ったが、ディオは話を聞くなり、振り返って戸惑いの表情を見せた。

 「……いいのか?」
 「だって、帰る場所も方法も何もわからないんでしょ? 他を当たるにしても、今の話を素直に聞き入れる人がいるとは思えないし、どこに行っても馬鹿扱いされるだけよ」
 「貴様ッ…また俺を馬鹿にしたな! 女のくせに図に乗るなよッ!」
 「嫌なら別にいいけど? ずっと1人街を彷徨って、日干しになって干乾びればいいじゃん」
 「ヌゥ…日干し…か…」

 夢子は半ば悪戯半分で脅したつもりだったが、ディオは一転して青ざめて閉口した。よほどの方向音痴でない限り、街中で飢えて干乾びる事はないのだけれど、ディオにとっては懸念すべき出来事だったらしい。犯罪行為より蛍光灯や日干しになる事に動揺する──この男の感覚は人として♂スかずれている。
 ディオはしばらく窓際で佇んだまま5分経っても考え込んでいたので、痺れを切らした夢子は問い詰めた。

 「…私だって暇じゃあないんだから、早くしないさいよ。どうするの? このまま部屋にいるの? それとも出て行くの?」
 「フン…そこまで言うなら、ほんのちょっとだけ世話になってやってもいいぞ。言っておくが、俺は女なんぞに感謝なんかしないからな!」

 決断を迫られたディオは逆切れ気味に返したが、憎まれ口に反して再びソファに座り込んで『居候する意思』を伝えて来た。腹を立てながらも誘いを断らなかったところを見るに、今の状況に相当困っていたらしい。
 『やっぱり頭がおかしい』と思ったけれど、素直じゃない子供染みた態度が夢子の鼓動を擽って、ディオという男の居候をあっさり許してしまった。平和で在り来たりな日常から、奇妙な日常に巻き込まれるとも知らずに。

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