『義兄弟』

 呂布が劉備の元に身を置いてから、どうも落ち着かなかった。
 元々、劉備とは気質が違うので違和感を感じるのも当然なのだが、一番の原因は劉備の“義兄弟”の存在だ。
 呂布には三兄弟の関係がとても滑稽に見えた。全く血の繋がらない者同士が、実の肉親以上に親しい間柄になるというのが不思議でたまらない。自分にも信頼できる者はいるが、それはあくまで部下でしかない。
 陳宮は呂布と志は同じだが軍師という立場上、武に生きる自分とは少し違う。高順は頼りになるが、口煩くて鬱陶しく思う時がある。張遼には特に一目置いており、気の効く男だが真面目過ぎる。
 仲睦まじく談笑する劉備らを眺めながら一人考えていると、そこに張遼が通り掛かった。
 「こんなところで何をしているのですか?」
 いつも決まって現れるのはこの男だな、と思いながら呂布は唐突に尋ねた。
 「お前は“義兄弟”をどう思う?」
 「あぁ、劉備殿の事ですか。よろしいと思いますよ、この荒んだ乱世で共に歩む者がいるというのは心強い事ですからね」
 「それもそうか…だが、他人同士が兄弟になれるのか?性格も全く違うのだぞ?」
 「それは互いの信頼関係が深く志も同じであれば、兄弟のような仲にもなれるでしょう。性格が違えば、互いの欠点も補い合えるでしょうし」
 「性格が違い、志が同じか…」
 呂布は再度確認するように言葉を繰り返した。その様子に張遼は何か嫌な予感がして恐る恐る尋ねた。
 「…それがどうかしましたか?」
 「では聞くが、お前はなぜ俺の下にいる?」
 「それはやはり呂布殿の武に惹かれたからです。武を極めたいという目的も同じですし」
 「そうか、ならお前とは義兄弟になれるな」
 「…はい!?」
 「しかし劉備の義兄弟は二人だな。よし、陳宮を入れるか。俺が長男、陳宮が次男、お前が末っ子でどうだ」
 「どうだと言われましても…陳宮殿に何の知らせもなく決めていいんですか?それに高順殿だっているじゃないですか。彼も我が陣営では優秀な武将の一人ですぞ」
 「高順は堅物な上に口煩いから駄目だ。もし二人選ぶならお前と陳宮の方が釣り合いが取れるだろう。よし、決まりだな」
 強引に話を付けると、呂布は機嫌よくその場を後にした。
 嫌な予感は的中したが、思いの外面倒な展開になった事に張遼は深い溜め息をついた。

 *

 「やれやれ、また妙な事を言い出しましたなぁ」
 話を聞いた陳宮は、竹簡に目を通しながら呆れた様子で言葉を返した。手元を休めないところを見ると、“また始まった”と事態を安易に捉えているらしい。
 「どうしますか?陳宮殿が次男で、私は末っ子だそうです」
 「ほほほ、張遼殿が末っ子。これまた風変わりな兄弟ですなぁ」
 「少しは真剣に考えた方がよろしいかと思いますがね」
 まともに取り合わない陳宮に張遼は苛立ちながら言った。何かと大変なこの時期に、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
 すると陳宮はようやく竹簡を置いて真顔で返した。
 「張遼殿も呂布殿と付き合いが長いのなら、よくお分かりでしょう。殿は一度言い始めたら何を言っても聞かないんです」
 「では、このまま放っておくんですか?」
 「まぁ、いつか飽きるでしょう。それとも張遼殿には、あの呂布殿を止める方法が何かおありで?」
 「……ないです」

 とは言ったものの、どうにか止めさせる方法はないかと思案していると、早々に呂布に呼び出された。
 訪れた屋敷には陳宮の他に高順らの姿もあり、どうやら軍議のようだ。張遼は胸を撫で下ろし席に着いた。
 「今のところは劉備の世話になっているが、俺はまだ諦めた訳ではないからな。いつでも備えをしておけ。陳宮、今後についてお前の考えを聞かせろ」
 先ほどとは打って変わり、真剣な態度で軍議を取り仕切る呂布を見て、陳宮の言う通り自分の取り越し苦労だったと安堵した。普段の会話では突拍子なく無茶を言い出すが、一軍の将としての呂布はやはり頼もしい。
 軍議も終わり、張遼は改めて気を引き締めて席を立つと、突然呂布が声を上げて呼び止めた。
 「おい張遼!誰が帰っていいと言った。この部屋は末っ子のお前が片付けるんだぞ」
 まだ他の将がいる前で“末っ子”と大声で呼ばれ、張遼はその場に硬直した。武将達が首を傾げたり失笑したのは言うまでもなく、慌てて呂布の元に駆け寄った。
 「りょ、呂布殿!何も皆がいる前で言わなくてもいいではありませんか!」
 「何だ、別に隠す必要もないだろう。この前言ったはずだぞ、お前は俺の義兄弟で末っ子なのだ。それが終わったら買い物に行って来い」
 これにはさすがの張遼も我慢できず、ついに怒りが爆発した。
 「それでは私は義兄弟というより、ただの下僕ではありませんか!絶対にやりません!」
 「な、何だと!俺に逆らうつもりか!」
 「この事に関してはいくらでも逆らいます!第一、義兄弟というのは両者が承諾した上で義兄弟の契りを交わすものなのです。一方的に決め付けられても困ります!私も陳宮殿も迷惑しているのですぞ!」
 「ちょ、張遼殿…何も私の名前まで出さずとも…(巻き添えは御免ですぞ…!)」
 「いえ、こればかりは言っておいた方がいいんです。私は呂布殿を尊敬しておりますし、地の果てだろうとお供する覚悟です。しかしいくら呂布殿であろうと礼儀に欠く行為は許せません。この話は辞退させてもらいます!」
 張遼は怒り狂って殴られるのは覚悟の上で断言し、陳宮も呂布がどう出るかと震えながら固唾を呑んだ。だが、呂布は意外にも無言のまま部屋から出て行ってしまった。同時に陳宮は気が抜けたように椅子に座り込んだ。
 「全く…恐ろしい事をしますな。殺されたらどうするおつもりですか?しかも私まで巻き添えに…」
 「申し訳ありませんが、その時はその時です…」

 *

 その後、張遼は呂布と顔を合わす機会がないまま数日が経った。そんなある日、珍しく高順が張遼の屋敷に顔を出した。
 「張遼殿も色々大変でしたな。呂布殿に義兄弟を強要されたとかで」
 「はぁ…あの時はお恥ずかしいところを見せてしまいました」
 「その呂布殿ですが、最近見掛けたりは?」
 「いいえ、全く。いつもどこかで必ず会うんですがね」
 「実はあれから大層落ち込んでましてね、張遼殿に怒鳴られたのがよほど堪えたようです」
 意外な話を聞かされて張遼は目を丸くした。
 思えば、呂布には兄弟などいた試しがないから、それが一体どういうものか知らなかっただけなのだろう。あれでも義兄弟ができて喜んでいたのかもしれない。落ち込んでいる姿を想像すると、少し可哀想になって来た。
 「とりあえず命の危険はないようです。陳宮殿にもそう伝えておきました。毎日恐怖に震えておりましたので」
 「そ、そうですか…私も少し言い過ぎたと反省しております。呂布殿に謝罪せねばなりませんな」
 「いや、それが後日談がありましてね。どうやら最近、劉備殿を屋敷に招待したそうです。それ以降、どういう訳か劉備殿を弟と呼ぶ始末でして…そのおかげで何やら劉備側に不穏な空気が漂っております。そこでどうしたものかと思い、あの呂布殿を言い伏せた張遼殿に相談に参った次第です」
 「全くわかっていないようですな…あのお方は…」
 どうやらここでも一波乱ありそうだな──と、この時張遼は悟った。

※あとがき
呂布に振り回される張遼が好きなんです。

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