その日、ディオは夜分遅くまで部屋で本を読んでいた。
窓から見える月を眺めながら、静かな時の中、読書に勤しむのもいい。昼間は友人の付き合いもあるし、何よりジョナサンが一番うるさい。
紅茶を足そうとテーブルのティーポットに手を伸ばしたが、気付けば中身は空だった。
時計は深夜二時を指し、使用人達もとうに寝静まっている。
仕方なくベッドから起き上がり部屋を出たディオは、廊下でふと足を止めた。ジョナサンの部屋から話し声が聞こえて来たのだ。
──こんな夜中に、一体誰と話しているんだ?
聞き耳を立てると、ジョナサンの声が聞こえて来た。
「…母さん、こんな僕の事、どう思ってる?」
──母さんだって?
ジョナサンの母親は、彼が赤ん坊の頃に事故で亡くなっている。ただの寝言かと思ったが、その口調ははっきりしている。
「でも僕、母さんや父さんの期待に応えられるかなぁ…」
──まさかあいつ、本当に死んだ母親と話しているのか?
妙な想像をして、うっかり音を立ててしまった。
「誰?誰かいるの?」
ジョナサンの声がドアに近付いて来たため、ディオは動揺した。しかし、ここで逃げ出すのはみっともない。
ドアの合間からジョナサンが顔を出すと、ディオの姿を見て目を丸くした。
「ディ、ディオ?いつからそこにいたの?」
「偶然、通り掛かっただけさ。一体何をしていたんだ?」
そう言いながら室内を覗いたが、そこには誰の姿もない。
──当然だろうな。
よからぬ想像をした自分に対し、ディオは鼻で笑った。
「ジョジョ、こんな夜中に独り言かい?気味が悪いからやめろよ」
「ごめん、僕が起こしてしまったんだね。話…聞いていたのかい?」
「『母さん』とだけ聞こえたよ。しかし、君の母親はとうの昔に亡くなっているだろう?」
「うん、そうだけど…時々想像するんだ。ほら、僕のベッドに母さんの写真があるだろう?どんな人だったのかなぁって。それに、こうして見ていると僕の事を見守ってくれてるような気がして、つい色々と聞いちゃうんだ」
──こいつ、写真に向かって話していたのか。
ディオは呆れて小さな溜め息をついた。
「それで、何か返事は返って来たのかい?」
「声が聞こえる訳ではないけど、何か伝わって来る気がするんだ。母さんが励ましてくれてるようで…心が安らぐんだ」
からかうつもりで聞いたのだが、ジョナサンが真面目に答えたのでディオはさらに呆れた。幼い頃に亡くなった、ろくに知りもしない母親から一体何を感じ取るというのか。そんなもの、ただの思い込みに過ぎない。
相手にするのも馬鹿らしくなり、その場から去ろうとすると、ジョナサンは質問でディオを呼び止めた。
「ねぇ、ディオは両親の事を思い出したりする?母親が恋しくなったり──」
「しないね。君と一緒にしないでくれ」
ディオは素っ気なく返すと、部屋を後にした。
恋しくなるどころか、両親の事など思い出したくもなかった。
あのゴミのような父親のせいで、いい思い出など一つもない。母親の事も、あの男のせいで苦労して死んでしまったから、考えただけで辛くなる。思い返されるのは、どれも辛く惨めな記憶ばかりだ。
死んだ人間の事など考えるだけ無駄である。いくら嘆いても、恋しいと思っても、二度と会う事も話す事もできない。ジョナサンが母親の写真に向かって話している姿を想像すれば、どれだけ虚しい行為かよくわかる。
そんな事で死者と気持ちが通じては、誰も別れを惜しんだりしない。それに、会いたくもない相手とも意志疎通しては堪ったものではない。あんな父親、死んで清々したと思っているのに。
もし、どこかで見守っているとしたら──父親に殴られ、形見のドレスを売りに行く姿を見て、どう思っていただろうか。
──どこかで救いの手を差し伸べてくれてもいいじゃないか。
「──母さん」
ディオは、長らく口にしていなかった言葉をぽつりと呟いた。
もう一度母と会えたなら──。
自分は何を伝えるだろう。
了
※あとがき
やっぱり母親が恋しいんじゃないかなぁ、という勝手な妄想です。
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