俺は部屋に着くなり荷物を投げ出しベッドに倒れこんだ。柔らかな布団に抱き止められた体は鉛のように重く、溜まった疲れの量が如実に反映されていた。着替えだとか、入浴だとか、そういった動作すらも億劫になるほどに俺の脳内には先程から睡眠の二文字が居座っている。
「先に入っちゃうからね」
 うとうとと瞼を重ね合わせかけた刹那、二文字は後方からの声によって吹き飛んだ。体は起こさず、首だけを曲げて後ろを確認する。既に人の姿はなく、代わりにどこかの扉が閉まった音がした。


 初めて立ち寄った町のポケモンセンターに泊まる際は、他の町と比べて手続きの時間が増す。人が多いときは尚更だ。既に訪れたことのある町であったなら、トレーナーカードを見せるだけで大体は通してもらえるのだが、初めてだと更にそれを正しいものか、本人なのかを照合しなくてはならない。
 この町のポケモンセンターは、今までのどんな町の施設よりも混雑していた。町中をごちゃごちゃ歩く人間の姿を、丁寧に磨かれたガラスごしに見つめる。夕暮れ時の大通りは老若男女で賑わっていた。催し事でもあるのだろうかと普段なら真っ先に飛び出していく。しかし、疲れの鎖は思った以上に頑丈だった。宿泊を取り扱う受付の、長い列に並びながら、俺は大きく伸びをする。
 やっと自分の番が回ってきたときは、立って眠らないようにと必死だった。欠伸を噛み殺す動作も最初のうちは意識していたけれど、カードを預けて待たされている間に、そんな意識は彼方に吹き飛んでしまっていた。
 「あのー」という控えめな女性の声で俺は現実世界に引き戻された。その手にはルームナンバーが刻まれた鍵が乗っている。トリップしている合間に手続きは終えたらしかった。
 ありがとうございます、そう言って鍵を受け取ろうと手を伸ばした俺の視界から、唐突に鍵は消えた。呆然と空になった受付の女性の手のひらを見つめ、それからおもむろに隣に目を動かす。
「どうも」
 鍵を横から奪った泥棒は、平然と帽子を軽く上げただけで、さっさとカウンターを離れていってしまった。赤い後ろ姿を視界に入れれば、ぼやけた頭が嫌でもクリアになっていく。
「今の、泥棒じゃないですか?」
 廊下をすたすた歩んでいく泥棒の背中を見つめながら問い掛ける。カウンターから返ってきた言葉に、俺は絶句した。
「あちらの、レッドさんという方も含めて、二名様での宿泊ですよね?」


 眠気を醒まさせるのはなかなか困難だった。まもなくくっつきそうだという瞼を、俺は安眠を求める脳に鞭打って、上下に戻した。上体を起こすと、流石に覚醒する。
 俺がこの部屋でしなければいけないことは二つ。
 勝手に二人部屋にしやがったアホを取っ捕まえることと、そのアホにふざけんなと怒鳴ってやることだ。
 バスルームから微かに水の音が聞こえる。俺が疲れて微睡んでいるうちに入りやがって。出てきたら只じゃ置かねえからな。
 それから五分後、アホはのそのそと扉から現れた。Tシャツにハーフパンツという、いつもと違った姿を見るのが久しぶりで、違和感を覚える。袖や裾から伸びる弱そうな手足を無意識に追ってしまう。何考えてるんだ、俺は。
 星のない真夜中のように暗い色をした頭は、ぽたぽた滴を落としている。首に巻かれたタオルはただ水分を吸うのみで、それを自ずから拭こうともしない。
 全身を観察し終えて俺は本題を思い出した。怒鳴ってやるのだ、こいつに。泥棒に。
「ようレッドくん」
 何、と返事をしたレッドは俺の座るベッドの向かい側の方に腰掛けた。まるで俺の話がどうでも良いみたいに。
「まだ座っていいなんて言ってないだろ」
「僕の部屋だし」
「俺の部屋だ!」
「……面倒だったんだ、手続き」
「だからって勝手に一緒に泊まることにしてんじゃねえよ」
 レッドは整った眉の間に皺を寄せ、鬱陶しくてたまらないという表情を創造した。普段表情がないだけあって、その威力は絶大だ。俺の神経を上手い具合に刺激する。
 暫く無言で睨み付けていた。レッドも、睨むとまではいかない強い眼差しを俺に向け、やがてうつ伏せでベッドに寝転がった。聞きたくないってか。
 レッドの頭から水滴がぽたりとタオルを避けてシーツに落ちた。一度目は無視した。でも二度三度続けば、口を出さずにはいられなかった。
「ベッドが濡れてるだろ、髪乾かしてから寝ろ」
 「面倒くさい」とレッドは聞く耳を持たず、起き上がろうともしない。
 このままじゃ埒が明かないので放任主義でいくことにする。俺は放っておいたままだった鞄から着替えを出して、風呂に入ることにした。俺が帰ってきたときにまだ乾かしていなかったら、もう知らねえ。
 枕に顎を乗せた状態でポケモン図鑑をいじりだしたレッドに背を向け、バスルームを目指す。
 その時、小さなくしゃみが聞こえた。振り返るとレッドはまたくしゃみをし、鼻をすすった。
 まあ俺には関係ない。そうだ、全然関係なんてない。いくらくしゃみをしても、鼻をすする音がしても。

「――頭を拭けこのバカ!」
 大股で近づいて、俺はレッドの上体を起こす。それから、両肩に架かっているタオルを奪って、頭に被せた。更にバスルームの洗面台から、ドライヤーを持ってきてやった。ぼうっとしているレッドに押し付けるように渡す。
「お前になんかあったらお前の母さんと俺のじいさんと姉ちゃんが煩いんだよ! さっさと乾かせ! 乾かすまで俺、ここで見てるからな!」
 さっきまでいたベッドに戻る。レッドはまだ何が起こったのか分かっていなさそうだった。胡座をかいて様子を見守る。
 タオルとドライヤーをゆっくり手にしたレッドが「グリーン」と俺の名前を呼んだ。なんだ、と返せば、手の中のそれらを差し出してきた。
「乾かしてよ」
 はあ? と思わず顔をしかめてしまった。
「グリーンが、乾かして」
「あっ、おい!」
 返事を待たずにレッドは俺のベッドに上がってきて、背中を向けて腰かけた。どけよ、とぐいぐい押すが、こうなればてこでも動かない。レッドは頑固だった。
 正直言って、とても面倒だ。なんで俺様がこいつの髪を乾かしてやらなきゃならねえんだ。
 レッドが催促するようにちらりとこちらに視線を送ってくる。
「……ああもう」
 じいさんや姉ちゃんから遺伝した世話好きな性格を直したい。
 タオルをかけてがしがしと拭いてやると、もちろん非難された。受け流してやった。拭き終わると、水分は減っていたけれどやっぱりごわごわになっていた。「ハゲろ」レッドが睨め付ける。うっせえ、乾かしてやんないぞ。
 オンにしたドライヤーに持ち変えて、直にレッドの髪に触れた。俺のタオルテクニックのせいで所々縺れている。それでもすぐにほどける黒髪の感触が気持ち良くて、何度も手を通してしまう。
 仕方ない、と思ってからは俺は丁寧だった。熱風で熱い思いをさせないように乾かしてやる。レッドは黙っていた。
 ブローをしていると、白いうなじや、なよっちい肩が嫌でも目に入った。胸中で自分に悪態をつく。しかし、欲望には勝てなかった。
 ――少しだけだ。
 恐る恐る、髪を払うふりをして、そっと指を伸ばした。一瞬ならばれるはずがない。

「グリーンてさ」
 急にレッドが口を開く。意図的に触れたことがばれたのかと慌てて手を離した。
「な、なんだよ」
「…………なんでもない」
 続きを濁され、何とも言えない気持ちになりながら、俺は髪を乾かす作業に戻った。今度は、なるべく変な目で見ないようにしながら。
 「意気地無し」とレッドが呟いた気がした。






紺野様>>閃光

企画運営お疲れさまです!期限内とはいえ、提出が遅くて申し訳あり
ません´`
作品ですが、予想外に長くなってしまいましたすみません…!グリレはこういう
関係が大好物なんです。公開日を心待ちにしています!運営頑張ってください!



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