シロガネ山の頂上に亡霊がいるのだという噂がある。それは彼――レッドがチャンピオンの座を勝ち取った直後に行方をくらませてから間もない頃から囁かれ始めた。トキワジムのジムリーダーに就任してから漸くそれを姉づてに聞いたグリーンはジムリーダーを承ったのは失敗だったか、と執務をこなしながら扉の外に見える雪をかぶった山を見つめた。噂の真意を確かめたいという欲求と生活能力の薄い彼の現状を考えながら積まれた紙をめくり、また溜息を吐く。
 ちらりと目に入った紙の上に視線を滑らせると、噂は聞いたか、事実はどうなのだという、同じくレッドの安否を心配したジムリーダーたちから寄せられる手紙のようだった。
 ――公私混同しやがって、俺が知りたいくらいだよ。
 ひどく疲れた気がして目元を押さえて再度溜息を吐いた。そもそも、自分は噂に惑わせられることは嫌いなのだ。それなのにもかかわらず、どうしてその亡霊の外見的要素の話を耳にすると思わず詳しい話を、と求めてしまう。
 その亡霊が持たないのは表情だけではないらしい。ぴくりとも表情を変えないのは凍りついている所為ではないかと言われているのと同時に、亡霊は唇を一度も動かしたことはないのだという。身体の線は細く、男か女かも定かではないと言われているが、服装からして男らしいとも言われているようだ。遭った人間もちらほらいるようだが、自分から遭ったのだと声高らかに言う人間はおらず、みな、一様に口を閉ざしている。グリーンもしばしば人の話に耳を傾けるが、未だにその亡霊を見た、遭ったという人間の話を聞いたことはない。
『グリーンは会いに行ってみないのか』
 タケシのかたい筆跡でそう書かれている。無責任なことを、と思いながらもそうやって誰かに背中を押してもらえるのを待っていた自分もいることを自覚しているグリーンはそれすらも見透かした上での文章であろうタケシからの手紙を恨みがましく見つめた。
「ねえグリーン、美味しい紅茶をいただいたんだけど、少しお茶しない?」
「姉さん」
「なに、どうしたの。そんな怖い顔して」
「ちょっとだけジムを空ける。すぐ帰ってくるけど、出掛けてくるよ」
 なんというタイミングのよさか、部屋の扉を音を立てて開いたナナミにそう告げると、驚きもせずにあら、やっと重い腰を上げたの、と返ってきた言葉が耳に入ってくる。そんなに自分はわかりやすいだろうか、とほんの少し思ったがそれは無視することにして、グリーンはジャケットを着込み、自身のモンスターボールを腰に装着した。
「気をつけてね」
「うん」
「レッドくん、いるといいわね」
「――行ってくる」
「ちょっと待って」
 階段を下り終え、家の扉を開けようとしたところでナナミに服をつかまれ、少し待っていろとジェスチャーで示される。逆らうと怖いと姉のことは十分に知っているので、グリーンは大人しくナナミが戻ってくるのを文句ひとつ言わない。
「はい、これ、さっき言っていた紅茶よ」
「ああ……ありがとう」
「温かいうちに二人で飲みなさいな」
「わかった」
 暗に早く帰っておいで、と言われた気がして、グリーンは素直に頷いた。

 吹き荒れる吹雪に顔を顰めながら、グリーンはリザードンの背に乗り、シロガネ山の頂上を目指す。彼をどこまでも突き動かすのは唯一無二のライバルの存在であったし、シロガネ山のふもとにいた山男の話でもあった。
「亡霊は確かにいるぞ。ただ、とてつもなく強いから、やめとけ。俺は一瞬でやられちまったからなあ」
 がはは、と気持ちよさそうに笑うその男は、確かに頂上には噂の“亡霊”が存在し、バトルまでしたと言う。詳しい話を問いただそうとグリーンが口を開いたところでその男は首を横に振った。
「だめだぜ、兄ちゃん。これは人には言えねえ。なんていうか、なんで皆がそろって口を閉ざすのか分かっちまった」
 覚悟があるなら、自分で確かめるのも手だが、と言葉を続けた山男はグリーンの表情を見て鼻を鳴らして笑った。
「すまねえな、心配無用だったか」
 気をつけろよ、と言ったその山男はグリーンにあなぬけのヒモを投げてよこし、いざとなったら使えよ、とそのまま背を向けて消える。グリーンはたまらない気分だった。チャンピオンとジムリーダーだ。バトルをしたくても近頃では大騒ぎになってしまう所為で、なかなか機会に恵まれず嘆いたところでもあったのである。シロガネ山の頂上に確かに亡霊――レッドはいる。眩暈を起こすほどの高揚感に耐えながら、グリーンは笑った。
「待ってろよ、レッド」
 そして吹雪の中をリザードンとともに駆けるが、なんせ風が強い。一寸先は闇、ではなく雪だ。リザードンの体力も随分消耗してしまったところで、風の向きが変わったのを肌で感じたグリーンはリザードンの背中を撫で、行こう、と口を動かした。
 嵐の前の静けさ、という言葉を思い出す。目の前に大きくそびえたっていたシロガネ山の上空に出ると同時に雪と風が止んだのだ。ぞくりと、肌が粟立つ。もうすぐだ、すぐそこにいる。

「久し振りだな」
 緩慢な動作で自分がよく知っている幼馴染であり、ライバルであるレッドが振り向くのをグリーンは見つめていた。距離を置いて対峙するだけでわかる強さはこの冷たい空気の中で更に研ぎ澄まされたようだ、とグリーンは思う。相変わらず感情を表情に表すことが少ないレッドは確かにそこにいた。
「グリーン?」
「なんだ、喋れるじゃねえか。巷じゃ有名だぜ、にこりともしない喋りもしない“亡霊”がシロガネ山にいるって」
「なに、それ」
「バカ野郎、お前のことだよ」
 こうして穏やかに会話をしながらも、本当はお互いの胸中が穏やかでないことは分かっているのだ。気分が高揚している所為でグリーンは更に饒舌になるし、レッドとて表情や言葉には出さないが、手の中にモンスターボールを転がしているという動作から、同じ心持でいることくらいは分かっていた。
「大体お前――」
「グリーン、話はあとにしよう」
「へっ!堪え性のない奴だな」
「お互いさまだろ?」
「違いねえ」
 そして視線が、雰囲気が鋭く変化する。二人とも、初めの一匹目は決めているようだった。手の中のモンスターボールを強く握りしめてグリーンは心底楽しくてたまらないといったように笑う。青い空は見えないものの、風は未だ穏やかだ。
「勝負は六対六のフルバトル。ルールはいつも通り、手持ちが残っている方が勝ちだ。……準備はいいか?」
「いつでも」
 お互いの目にはお互いしか映っていない。いつもならば違う感じ方をして、照れて笑ってしまうのにそんな感情は今は置き去りのまま、会いたかった、心配した、元気そうでよかった、そんな言葉は高揚感の中に霧散していく。
「行くぜ、レッド!」
 ――さあ、バトルを始めようか。





Fin.



ムグラ>>無限ヘルツ

グリレフェス、開催おめでとうございます!お粗末さまでした^^*





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