ただ、彼のそばで役に立ちたいと思った。
それだけが理由だった。

『父上』
『雪花か。何のようだ』

書物から顔をあげずに父は問いかけた。
その背を見ながら彼女は口を開く。

『なぜわたくしに"花"を?わたくしは皇女であり、官吏ではありません』
『ではなぜ受け取った?』
『………父上からの、贈り物ですから』
『"花"を贈る意味を知っていてなお、そういうのか』

そこでようやく彼は後ろを向いた。
藤色の髪に銀でできた簪を刺した幼い少女。その簪には少々小ぶりではあるものの蘭の花が意匠として施されている。そしてもう一つ、小ぶりではあるものの彼女の服の帯に小さな留め具があった

『…"高貴"、そして誰よりも"美しく"』

ふ、と父の唇が持ち上がる。
彼女は小さく息を吐き出した。

『少なくともお前はほかの公子たちよりは頭が回る。どのような身の振り方をすべきかわかっているはずだ』
『えぇ。わかっているからわたくしはここに来たのです。父上……わたくしは宮廷を出ます。叶うならば、わたくしの後見に霄太師を』
『お前は高望みをするな』

苦笑を漏らす父の顔を見つめてほんの少し彼女は悲しげに微笑んだ。

『わたくしは三師のように武力も知力もございません。ですが、国を思う心、そしていつか玉座につくであろう"彼"への気持ちだけはあなたにも負けるつもりはありません。ですから、わたくしは父上にいただいた花に恥じぬことをすべきのみです』

帯の留め具の花は白く小さな花。
そしてその意味は。




「懐かしい夢を見ましたわ」

小さく蘭華はあくびを漏らした。
寝台の上で軽く伸びをしてからまだ日も登りきらぬうちに身支度を整えていとしい夫のための朝食を作り始める。
家人たちが自分がやると申し出ても、こればかりは譲らなかった。
伴侶となっていく月か経ったころには二人分の朝食を作るのは蘭華の仕事となっていた。

「もう起きていたのか、蘭華」
「珍しいですね、鳳珠。あなたがこの時間に目覚めるなど」
「隣にいとしいものがいなければ目も覚める」

後ろから回ってきた腕と心地の良い声に微笑みながら蘭華はそれでも腕を動かし続けていた。
柔らかな藤色の髪を撫で、その一房に唇を落とせば耳がほんのりと赤く染まることに気付く。
わずかな笑みを浮かべ、そっと解放してやってから自室に戻っていく。
彼女の後見が誰なのか最近知ったばかりだが、彼が後見だというならば行く先も好き好きに決められただろうに、むしろ彼女はことごとく縁談を断り、自分の伴侶となったばかりか、周囲から誹りを受けようとも、"そこ"にいることをやめない。

「なにがお前を突き動かす、蘭華…」

官吏でもなく、かといって后でもない彼女が王のそばにいるその理由は。




『約束いたしますわ、父上。わたくしはただ"王"のためだけに存在すると。男と女ではなく、仕えるものと仕えられるものとして。国でも民でもなく、至高の王のために』
『それがお前の見返りか』
『えぇ』

彼女に先を見通す力があるわけではない。
それでも自分がそこにいるべき存在ではないことを理解していた。
あの日、自分があの場にいかなければ出会わなかったであろうもの。
彼女は首を傾けつつ、穏やかに笑った。

『約束は絶対。あなたからいただいた"花"に誓い、わたくしは皇女を捨て、ただの人になります』



宮廷へ参じ、いつものように政務を行う王の補佐をする。
書簡をもち、各部署へ届けながら、さまざまな思いのこもった視線を受けつつ、蘭華は前を向く。


「精力的ですな、蘭華殿」
「壺をもって走り回る爺に言われたくありませんわ、霄」

執務室に戻りがてら聞こえた声に振り向く。
あきれた顔で蘭華を見つめる霄太師はその瞳にいたずらな色を宿す。

「いつまで隠しきれるかな」
「いつまででも。それが約束ですから」

微笑む蘭華の髪には蘭の簪、腰には月桂樹の花の帯飾り。
"高貴"で"美しく"、そして"心のままに"。
かつて与えられた花々に恥じぬ日々を蘭華は送る。
ただひとつの約束は自分と父しか知らぬ。
彼女が其処に居る理由。



『心のままに、王を支え、王の為に心命尽くしてお仕えいたします』





ただ花の誇りゆえ

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