透き通るような白い肌。

 同じ男とはまるで思えない美しい肢体に、俺はゴクリと唾を飲んだ。


















アネモネ


















 世の中には性に対する興味の沸かない人種が居るらしい。
 セックスレスという奴だ。





 そんなの嘘だ。





 いや、実際にそういう人に会った事無いから何とも言えないけど、きっと嘘だ。

 全然全く少しもエロい事したくありません!なんて。

 今の俺にはまったく理解できない。




 友人からは性欲の塊だなんて呼ばれ、実際全力で否定もできない常日頃の行動の浅ましさを恨めしく思…う事は無い。
 だってセックスしてみたいじゃん。えっちぃことしてみたい。
 中学校に入学してから性の知識を吹き込まれたその瞬間から、俺の頭の中は真っピンクに染まってしまった。

 毎日何発もヌいて、それでも飽き足らずにエロ動画や画像をあさって、それでも足りないから周りでヤッた奴に感想を聞いて妄想にふける。

 何処を突いたら背筋が痺れるような甘い嬌声を漏らしてくれるんだろうとか、未だ生で見た事の無い女の性器ってどんなものなんだろうとか。
 
 思春期と同時に発情期に突入した俺の考えている事は、まぁ、大体こんな感じ。


 今日もクラスの可愛い奴とか、アイドルなんかを妄想で喘がせてイく。
 俺の名前を何度も呼ばせて、俺の言う事なんでも聞いて、しこたまエロい事なんでもしてくれる。

 っはー…。

 頭の中の妄想が現実に出てきたらいいのに。








「よっ、斎藤!今日も乳でけぇな!」
「ぎゃぁっ!?へ、変態、近寄んないでよっ!」

 クラス一の巨乳である斎藤の肩をポンとたたいて、俺は今日も席に着く。

 教室に入ってまず斎藤の胸を見て、ぱふぱふしてぇーとか思いながら授業が始まるまで妄想。

 いつもの俺の日課。最初は戸惑っていたクラスメイトも、俺の人となりが分かると特に気にする事も無くなった。女子からの目は冷たいが。
 
「なんであんなチビ猿に毎朝セクハラされないといけないのよ!」

 いつも通り斎藤の文句をBGMに、俺は静かに瞼を閉じた。







「悠斗、ゆーと、もう昼だぞ。」
「…んぁ?」

 まだ重い瞼を擦りながら時計を見れば、もう4限はとっくに過ぎて昼休みになっていた。
 購買のパンをもくもくとかじりながら、再び机に突っ伏す。

「なんだ悠斗、寝不足か?」
「ん、昨日遅くまでエロ動画見ててさぁ。」
「よく毎日できるなお前。」
「思春期だから。」
「あ、そう…。」

 「化け物め。」とか言いながら笑っているが別に今更なので特に反論もしなかった。
 早く学校終わって欲しい。そして家帰って速攻でヌく。

 なんて事を考えていたら、耳元でポソっと囁かれた。

「そんなにヤりたいならさ、………浦和に頼んでみれば?」
「……は?」

 目の前のそいつはニタリと笑って、顎で教室の隅を指した。

 その先には、浦和。






 浦和は緑だ。

 いや何がって、色々。

 カバンとか筆箱とか、あと最近寒くなったからなのか着始めたカーディガンも緑だった。
 身の周りをあんまり緑色で固めるもんだから、話した事無いけど強烈に記憶に残っている。

 だけど、今言った通り話した事は無い。

 なんていうか、近寄るなオーラっていうか、そう言う感じの雰囲気を纏っていて、何となく話しかける事が出来なかった。
 
 毎日教室の端から窓の外を眺めて、ただ一日中ぼーっとしてる。
 俺と大して変わらない毎日を送っているっぽかったけど、決定的に違う事があった。



 俺は浦和が誰かと話しているのを見た事がない。











「…なんで浦和?」
「え、なんでって…しらねぇの?」
「何が。」

 知るも知らないも、全然話した事もないのに浦和の何を知れと言うんだ。




「…あいつ、色んな男とヤリまくってるって噂だぜ。」




 はぁぁ!?と叫びたくなったがぐっと堪えて小さく「は?」と聞き返す。
 
 あの浦和が?男と?ヤリ…ヤるって、あれだよな。俺の勘違いじゃないよな。

「本当にしらねぇの?めちゃくちゃ有名だぞこの話。」
「…なんだよそれ。」

 浦和とは違う中学だったから分からなかったけど、中学の頃からこの噂はあったらしい。
 そんな強烈な噂が時間と共に風化するはずもなく、高校に入学してからもしっかりと生徒の間に広まったそうだ。

 だからあいつに話しかける奴いないんだよ。話しかけたら浦和とヤってると思われるだろ?

 目の前で小さく、どこか浦和を馬鹿にしたように笑ったそいつの言葉が、凄く耳に残った。

 昼休みが終わってもその言葉が頭から離れなくて、俺は授業中ずっと小さく丸まった浦和の背中を見つめていた。




















「うっ、浦和っ!」

 放課後。

 あの話を聞いた俺はいてもたってもいられなくなって、帰ろうとカバンを背負った浦和に話しかけた。
 教室に人は殆ど残っていなかったけど、ちらちらと視線を背中に感じる。それが何を意味するのか、昨日までの俺は知らずにいたんだ。

 浦和は目をパチクリさせて、驚いたように俺を見ていた。

 そりゃそうだ。浦和にしたら話した事も無い奴にいきなり名前を呼ばれたんだから。

 暦はもうすぐ11月。すっかり肌寒くなって、来週からは冬服での登校も始まる。

 仲良しになるべきタイミングというものがあるとしたら、俺と浦和は確実にそれを逃していた。
 2学期も終わりに近づき、高校に入学してから一年が過ぎようとしている。その間、同じクラスという非常に近い距離に居ながら、毎日顔を合わせながら、話をする事はなかったのだ。浦和の噂を知らずとも。
 それは俺と浦和が友達になれない(話してみたらどうなるかは分からないけどさ。)事を色濃く示している気がして、声をかける事すら躊躇われた。

 でも、そんな事も気にならない位、今の俺には浦和に聞きたい事がある。

「ちょっと、いいか?」

 俺がそう言うと浦和は更に驚いたように目を見開いたけど、小さく息を吐いて「いいよ」と呟いた。


 初めて近くで聞いた浦和の声は、思ったよりもずっと澄んだ声だった。








***








「何か用?」

 ひゅるひゅると肌を刺すような冷たい風が吹く屋上で、俺達2人は隣り合ってフェンスにもたれかかっていた。

 自分から呼び出しておいてあれなんだけど、いざ話をしようとすると喉が変に乾いて声が出なかった。
 そんな俺の様子を見て、浦和はどう思ったのかは知らないけど、ただ黙って手のひらを温めていた。

 ちら、と浦和の顔を見ると、ばっちり目が合う。
 気まずくてふいっと目を逸らすと、浦和も何も言わずにどこか遠くを見つめる。

 そんなやりとりをしばらく繰り返した後、俺はようやく口を開いた。

「う、浦和ってさ…。」

 寒いのに、体中が熱かった。
 耳なんて燃えてるんじゃないかって位熱を帯びていて、ほっといたら爆発すると思った。

「…………あの、その、さ…。」

 不思議そうに見つめる浦和の視線が痛い。
 
 俺は意を決して浦和の瞳を見つめた。

「うっ、浦和のっ!…噂って…本当…なの、か…?」

 意を決したつもりだったけど、やっぱり本人の顔を見るとその意気も縮む。
 出だしとは反対によれよれと弱くなっていく言葉を聞いた後、浦和はフッと笑って、「なぁんだ、やっぱりか。」と呟いた。

「悠斗君って、男にも興味あったの?女子しか好きじゃないと思ってたけど。」
「えっ?ち、違…。」

 どこか冷めたように笑う浦和は、教室で見かける無気力な浦和とはまるで別人で、なんだか…恐かった。

「わざわざこんなとこに呼び出してなんの話かと思ったら。」

 浦和はすっくと立ちあがって、俺の正面に立つと、ゆっくりと体を曲げて俺と視線を並べた。







「僕と、シたいの?」














***














「準備とか色々しないといけないから、明日ね。」

 そう言って昨日、浦和は俺を残して屋上を去った。

 

 『僕と、シたいの?』



 予想外だった。そんなつもりじゃなかった。
 浦和を屋上に連れ出したのは、そんな事、言いたかったんじゃなくて。

 なんでそんな事してんだよって。

 全然そんな事するような奴には見えないのに。
 そしてもしもそれがただの嘘で固められた噂なら、なんで誤解を解こうとしないんだって、そう言うつもりだったのに。

 俺の言葉も聞かないで、浦和は1人で納得して俺の目の前から消えた。



 今日も相変わらず浦和は教室で孤立している。

 別にいじめられている訳ではない。
 露骨な嫌がらせとかがある訳でもないし、陰口を叩かれているとかそんなのも無い。

 だけど、浦和は完全に教室で浮いていた。

 昨日までの俺はそんな事にまるで気付かなかったけど、今なら分かる。
 浦和は、一体どんな気持ちで毎日過ごしていたんだろう。 

 いつもは学校が面倒臭いだけなのに、放課後が楽しみで仕方がないのに、浦和の事で頭がいっぱいで、今日一日何もできなかった。

「きょ、今日は何もしてこないのね…。」

 斎藤がぶつぶつ何か言っていた気もしたけど、ちゃんと聞こうともしなかった。



 ………明日ね、って。


 
 浦和の言葉。

 昨日の明日、つまり今日。
 浦和は"準備"をして学校に来ているらしい。見た目では何をしたのか全然分からなかったけど、昨日の話の流れからして、その、セックスの…何か必要な準備をしたんだと…思う。

 俺は、浦和とヤりたいとかそんな事思ったんじゃない。別に男に興味がある訳じゃないし。

 悶々と考えていると頭がパンクしそうになる。
 ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、俺は机に突っ伏した。




 



『屋上で待ってます。
        
        うらわ』







 ビクビクしながら迎えた放課後。浦和はいつの間にか教室から消えていた。
 ほっとしたような、胸がチクリとするような、よくわからないもやもやを胸に抱えたまま靴箱に向かった。

 そしてこの手紙を見つけた。

 女の子みたいな丸くて可愛気のある文字で描かれたシンプルな手紙は、丁寧に折りたたんで俺の靴の上に乗せられていた。
  
 手紙を読んだ俺はいよいよ来た!みたいな感じになって、訳の分からないテンションでカクカクしながら屋上へ向かう。
 屋上のドアを開けるときに手が震えたのは、緊張か武者震いかそれ以外の何かだったのかは分からないけど、ドアを開けた先に立っていた浦和を視界に捉えた時点で俺のそれはMAXに達した。

「来ないかと思った。」
「てっ、て、手紙があったから…っ!」

 自分でも情けなく思う位噛み噛みな台詞だったけど、もうその時の俺はいっぱいいっぱいで恥ずかしいとか何も考えられなかった。

「で、」

 浦和がふわりと俺に近付いて、耳元まで顔を近付けると、甘ったるい声で囁く。

「するの?」






 その時頷いてしまったのは、その、空気に流されたっていうか、いや別に興味があったとか全然そんなんじゃなくて、あの…。

















「思ったんだけど。」

 仰向けになった俺の上に跨ってYシャツのボタンをテキパキと外していた浦和が、ふと呟いた。

「悠斗君って受け攻めどっち?」
「う、うけ…?」

 効き慣れない単語に思わず聞き返すと、「ああそうか分からないか」と言った顔をして、にこりと笑った。

「僕に挿れたい?それとも挿れられたい?」
「なっ、なっ…!?」
「いやー、今までヤった人達は皆明らかに攻めだったから今回もそうだと思って色々処理とかしたんだけどさ、」

 俺の驚きなんて気にも留めずに、浦和は話を続ける。

「よく考えたら悠斗君って僕より小さいし、もしかして挿れて欲しかったのかなーとか思ったんだけど、どう?」
「ど、どうって…。」
「好きな方、選んでいいよ。」

 浦和の手がするりと俺の股間を撫でる。

 いきなりの感覚に思わず体が跳ねたけど、浦和は構わず手を動かし続けた。
 他人に自分の性器を触られるなんて初めてで、俺の息子はあっという間に反応して固く張り詰めてしまった。

 シャツを着崩した浦和は意地悪な笑みを浮かべながら俺を刺激する。

 最初は止めて欲しいって思ったけど、そんなのすぐに忘れてしまった。
 自分でするのと違って予想の出来ない快感は、あっという間に俺を魅了した。気が付くと俺は自分から腰を浦和の手に押し付けて、一生懸命快感を得ようとしていた。

「い…」
「ん?」
「浦和に、挿れ、たい…。」

 









***











「う、ぁ…っ!あ、あ!」

 もう意味が分かんない。

 オナニーとか、めちゃくちゃエロいAV見た時とか、そんなもんが比にならない位の快感が、絶え間なく俺の全身を奔る。

 仰向けになった俺の上に跨った浦和は、俺の手を押さえながら腰を激しく上下させていた。
 熱くてぬるぬるしたそこは想像以上に気持ち良くて、俺はただただされるがままになるしかなかった。

 漫画やAVなんかでは、ガタイのいいおっさんが女の腰をがっちり掴んでガンガン突き上げる。女は大体嬉しそうな声をあげて揺さぶられる。
 俺の知ってる騎乗位ってのはそういうもんで、とにかくなんていうか、女の子をめちゃくちゃ攻めてる感じの体位っていうか、そんなイメージだった。
 いつかセックスできることになった日には、真っ先にやろうと決めていた体位。

 でも実際はそんな余裕なんか全然なくて、腰を掴むどころか押さえられて、ガンガン攻められて恥ずかしい声を出しているのは俺の方だった。

 浦和は凄く慣れた様な動きで俺のナニを締め付けて、刺激する。

 しっかりと気持ち良くさせてもらいながらも、噂は本当なのかも、っていうか本当だったんだと、なんだか少し悲しくなった。

「浦和、うらわっ、お、俺…イく、イっちゃう…!」
「…いいよ。中に出して。」

 ぞわぞわと背筋を走る甘い衝動。

 少し速くなった腰の動きに、俺はもう堪らず腰砕けになる。

「うぁ、イくっ…浦和ぁっ…!」

 段々何にも考えられなくなって、頭の中が真っ白になるその瞬間。
 ぼやけかけた俺の視界に映ったのは、真っ赤な顔して、目尻に今にも零れてしまいそうな大粒の涙を溜めた、浦和の顔だった。






 中学の頃から散々AVとかエロ動画とかを見てきた。友人に呆れられる位、自分でも見すぎだと思う位。

 その中で出ている女優はよく涙を流していた。初めてそういうのを見た時は何で泣いてるのか分からなかったけど、毎日見ている内にそれが演技だとか、コトをしている最中は生理的に流れてしまうものなんだって事を理解した。
 画面に映るのは、棒読みの台詞を吐きながら嘘の涙を流すAV女優。

 沸き上がる性欲を処理するために何度もそんな物を見てきたけど、その涙に特別何かを感じることは無かった。



 だけど、浦和は、



 散々見てきた俺だから、分かる。
 涙の意味までは流石に分からないけど、それでも。

 その涙が、演技とか、生理的なものじゃなくて、もっと別に―…、



 
 泣く理由が、あるんだって。














 意識が飛びそうな程の快感の後に襲うのは、急激な脱力感。
 
 肌寒さを感じさせない程火照っていた体は、ゆるやかに冷えた空気に熱を奪われていく。
 そのまま眠ってしまえたらどんなに幸せだろう。だけどそれが出来ない理由が、目の前にあった。

 浦和の顔は、俺に見えないように伏せられている。
 だけど、呼吸の仕方とか、肩の震え方とか。全身から泣いているのだというオーラが滲んでいた。

「浦和…。」

 そっと、浦和の頬に手を当てる。

 ビクリと震えた浦和は、慌てて目を擦って俺の事を見た。
 だけどまだ完全に拭いきれていない涙が、目の端を光らせていた。

「なんで、泣いてんの…?」
「…生理的に流れるんだよ。」
「嘘だ。」

 俺の言葉に驚いたように目を見開く浦和。

「嘘だ。」

 もう一度ゆっくりその言葉を言い放って、俺は浦和の眼を見つめた。

 ぐっと息を飲んだ浦和の顔はまだ少し赤くて、なんだかそれが凄くエロかった。
 半勃ち状態の浦和のソレを優しく握って、ゆっくりと扱く。

「ゆ、悠斗君、何して…」
「浦和、まだイッてないだろ。」
「ぼ、僕はいいから…!」
 
 離れようとする浦和の手をギュッと握って、俺は浦和に顔を近付けた。

「ゆう、と、く…ん……」





 人生初の、いわゆるファーストキスと言う奴を、俺は散々イメトレしていた女の子ではなく、一度も話した事の無かったクラスメイトに、した。






「浦和、きもちい?」
「んっ、ん…んん…」

 俺の肩に縋り付く様に顔を埋めた浦和は、すごく色っぽい声を漏らしながら、俺の愛撫を受けていた。
 時折きゅっと肌に立てられる爪はか弱くて、痛いと言うよりむしろこの行為を煽る。

 心臓がバクバク鳴ってうるさい。

 浦和の体はなんだか良い匂いがして、ぎゅっと抱きしめたくなった。
 だけど両の手が忙しなく浦和の体を撫ぜているせいで、それは叶わなかった。

「ゆ…と、君、ぼく…」

 浦和はぶるっと体を震わせて、弱々しく呟く。
 
「ん…っ!」

 放たれた精を手のひらで受け止めながら、俺はもう一度浦和にキスをした。
























「僕さぁ、中学校の頃好きな人がいたんだ。」

 


 行為も終わり、後処理も済ませて、少し気まずい沈黙の中、浦和はぽつりと呟いた。

「男子だったんだけどさ、同じクラスの。思いきって告白したらOKもらって、付き合ってたんだ。」

 シャツのボタンをとめながら言葉を綴る浦和の顔は寂しげで、とても見ていられなかった。
 浦和の顔を直視しないように顔を伏せて、黙ってその言葉に耳を傾ける。

「両思いなんだと思って、舞い上がってた。でも、違ったんだ。世の中そんなに上手くはいかないよね。」
「植物が、自然が好きだって言ったから、なんとなく身の回りの物を緑色にしてみた。花の香りが好きだって言ったから、全然してなかった家の手伝いもするようになった。……あぁ、うちの家花屋やってるんだ。」
「ほんと、単純すぎて、笑える。手のひらの上でいいように転がされて、踊る僕を笑って見てる事に気付かなかったなんて。」
 
 まくしたてるように喋る浦和に、教室での面影は無かった。
 栓が外れたように零れる言葉は、昨日の屋上での大人びた、冷めた言葉なんかじゃなくて。

「ある日、いつもみたいにそいつの家に遊びに行ったら、知らない奴らがいっぱいいた。そいつらにいきなり押さえつけられて、犯された。」

 フッと笑う、浦和。

「あいつ、笑ってた。めちゃくちゃにされてる僕を見て、軽蔑するような目で、笑ってた…!」

 初めて聞いた浦和の過去はあまりにも痛々しくて、正直聞くのが辛かった。
 だけど、耳を塞ぐことはできない。しちゃいけない。

 浦和が、俺に過去を話してくれている意味。
 それは多分、…きっと。

「あいつと最後に会った日、あいつ笑って言ったんだ。『お前ってアネモネが似合うな』って。」

 植物に詳しい彼の事だから、きっと花言葉が僕にぴったりだとでも言いたかったんだろうね。
 そう言って蹲った浦和は、消えそうな声で呟いた。

「…"薄れゆく希望"って意味なんだ、アネモネの花言葉。絶望とかそんなんじゃなくて、希望が無いって。凄い皮肉だよね。」

 肩を震わせる浦和。

 小さな嗚咽が静かな屋上に響いて、さわさわとそよぐ風が俺達を包んだ。

「あんな花…嫌いだ……!」







 …やっぱり。


 
 浦和は、まだ、その人の事…。







「忘れたくて、早く忘れたくて、色んな人と寝たけど、全然満たされなかった。むしろ思い出して、苦しかった。」
「浦和…。」
「なんでこんな…なんで………。…なんでこんな事、悠斗君に話したんだろ。」
 
 ごめんね、と言って笑う浦和に、俺は堪えられなかった。

「笑うな!」

 グッと作った拳を握る。

「そんな顔で…笑うなよ…。」

 

 そんな、泣きそうな顔で。

















***

















「浦和っ!今日、放課後、暇かっ!?」
「え?あ、う、うん…。」





 あれから3日。

 結局あの後気まずくなって無言で屋上を後にした。
 翌日も浦和は変わらず孤立していて、あの事なんてまるで無かったかのように完璧にいつも通りだった。

 俺から話しかける事も出来なくて、そのまま過ぎた時間。

 だけど、今日こそは。








 放課後の屋上はあの日と同じように爽やかな晴天で、だけど少し肌寒かった。

 フェンスにもたれて浦和を待っていると、ギギッと大きな音を立てて屋上の扉が開いた。
 その向こうには緑色のカーディガンを着た浦和が立っていて、困惑したような顔で俺の事を見ていた。



「…浦和。」
「また、シたくなった?」
「違うよ。」



 ゆっくりと浦和に歩み寄って、後ろ手に隠していたものを浦和に渡した。




 3日間、何もせずに浦和に話しかけなかった訳じゃない。
 あの話を聞いてからいてもたってもいられなかった。本当は浦和の"あいつ"をぶっ飛ばしてやりたかった。それで俺の気が済むとは、ましてや浦和の気が済むとも思ってなかったけど、それでも俺の中の怒りはその矛先を"あいつ"に向けていた。

 だけど、ふと気になった、ある事。
 
 "薄れゆく希望"―それがアネモネの花言葉だと、浦和は言った。

 だけど何の気無しに調べたアネモネの花言葉は、実は―…。




 浦和は困ったような顔をして、俺の顔を見た。

「悠斗君、これは…僕への嫌がらせ?」
「え?ち、違うよっ!」

 一発で伝わると思ったんだけど、どうやら伝わらなかったらしい。
 俺的には一世一代の大告白と言っても過言ではない位の行動だったんだけど。

「う、浦和は…浦和は、まだあいつのこと、好きなの?」
「!」
「お…お…」

 浦和の肩をがしっと掴んで、その瞳をじっと見据える。

「俺じゃ、駄目か…っ!?」






 まさかこんな気持ちになるなんて思ってなかった。

 勢いに任せて体を重ねたその時も、俺の頭を支配していたのは100%快感のはずだった。

 だけど、あの泣き顔を見てから、話を聞いてから、……あの悲しい笑顔を見せられてから。

 俺の心は、馬鹿みたいに浦和に夢中になってた。






 目をパチクリさせながら俺の事を見る浦和。

「あ、あんな奴、最低だろ!…俺は、俺は…浦和にそんな酷い事、しない…!」

 少しだけ俺より背が高い浦和の肩は細くて、これ以上力を込めると折れてしまいそうだった。

「俺、馬鹿だけど、すっごい変態だけど、年中エロいことしか考えらんないけど、だけど、だけど!」



 大事な時に言葉が出ない。喉が渇いて唾が変に絡みつく。
 
 ああ、ちくしょう。なんでだよ。俺のバカ野郎。



「ぷっ」



 それまでキョトンとしていた浦和が弾けたように笑いだした。

 え、俺なんか可笑しい事言ったか?



 お腹を抱えて笑う浦和は、可笑しそうに顔を赤くして、そして、…泣いてた。

「…花言葉、調べたの?」
「お、おう。」
「ちゃんと調べた?」
「お…、おう!」

「真面目に受け取っていいの?これ。」

 フッと笑う浦和の顔は、もうあんな苦しそうな笑顔じゃなかった。

「おう!」
「…ありがとう、悠斗君。」

 浦和はゆっくりと俺に近付いて、俺のおでこに静かにキスをした。

 途端に照れくさくなって、慌てて顔を背ける。

「それにしても、悠斗君って結構ロマンチストなんだね。」
「えっ?な、そんなこと…。」

 否定しようとしたけど、浦和の顔見たら、そんな気もどこかに消えてしまった。

 2人で笑い合って、それからギュッと手を握る。











 浦和の反対側の手には、俺が渡した真っ赤なアネモネが大切そうに握りしめられていた。







-END-





アネモネ自体の花言葉は"薄れゆく希望"、"儚い恋"、"真実"等々色々あるようですが、赤いアネモネの花言葉は、"君を愛す"だそうです。
バラもそうですが、やっぱり赤ってそういうカラーなんでしょうか。




ちなみに浦和君は"あいつ"に皮肉を言われた時点では赤いアネモネの花言葉は知らなくて、後で何かで偶然知ったという裏設定。
だけど"あいつ"の皮肉のインパクト強すぎて最初は伝わらなかったよ的な。

小説内で上手く描写したかったけどちょっとできなかったorz




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