優しさの代償










「おら、ケツ出せよ。」

 警棒でパシンと尻をぶたれる。
 俺はキッと佐伯を睨んだけど、佐伯はニヤニヤしたままだった。

「早くしろよ。」
「お前…っ、俺にこんな事していいのかよっ、この変態!」

 そう言うと佐伯は小さく舌打ちをして俺の髪を掴んだ。グイッと引っ張られて、ブチブチと髪が抜ける音がする。

「痛っ…!」
「いいから早く服脱げ。」

 耳元で囁く佐伯の声は少し苛立っているようだった。

 もう一度だけ「変態」と呟いて、俺はズボンに手をかけた。

「別にいいんだぜ、他の奴に言ってもよ。男に掘られましたってな、ハハハ。」

 佐伯のニヤニヤした顔が嫌で嫌でたまらなくて、だけどこれ以上抵抗しても無駄だと知って、俺はズボンを掴んだ手に力を込めた。























「泉…これなんて読むんだ、いちも?」
「かずしげ。」

 あいつが俺の監房の担当になったのは一か月前の事だった。
 それまで担当だった奴が病気になったとかなんとかで、代わりに来たらしい。
 
 前のおっさんに比べると、大分若い。見た所20代前半。
 
 そんなんで少年院で働くなんて、変わってるな、こいつ。

 いつまでも俺の監房の前から動こうとしないそいつに、俺は顔をしかめた。

「…なんだよ。」
「いや…変わった名前だなと思って。」
「うぜー。」

 ハハハと笑ってそいつは去って行った。「また後で」とだけ言い残して。

 俺が今いる少年院は、朝と昼と就寝前に点呼?みたいなものがある。
 んな事しなくても逃げる奴なんていないだろ、とは思うけど、昔からの決まりらしく毎日欠かさず行われている。
 点呼っつっても部屋の中にいるかどうかを担当の奴がチェックしにくるだけ。

 あいつらも暇なんだなーとか思う。



「おい、お前等、出ろ。授業だ。」

 さっきのあいつとは別の奴。ガチャリとドアの鍵が外されて、中にいた俺と他の奴らはのそのそと外に出た。

 あーあ、授業か。面倒だなぁ、もう。
















「おい、いちも!」
「かずしげだっつってんだろ!」

 午前中の授業を終えての昼の点呼。
 あいつはうきうき顔で俺の名を呼んだ。他の奴らがゲラゲラ笑ってるのが恥ずかしくてそれ以上はつっかからなかったけど、あいつは「いちもって呼びやすいな」とか言って隣の部屋に行きやがった。

 佐伯は変な奴だ。

 事あるごとに何かと絡んできて、俺をからかう。

「いちもは力無いんだな。」

 野外での労働作業の時、俺がぜえぜえ言いながら土いっぱいの手押し車を押していると、頬杖をつきながらあいつは笑った。

「てめえよりはあるよっ!」
「どーだか。」

 鼻で笑いながら他の見回りに行ってしまった佐伯の背中を目で追う。





 佐伯は変な奴だ。

 事あるごとに何かと絡んできて、俺をからかう。

 そんな事を今までされた事のなかった俺はどうしていいか分からなかった。

 小さな頃から周りを困らせてばかりだった俺は、いつしか親にも見放されていた。
 友達らしい友達もできず、ここに来るまでは非行ばかり繰り返す毎日。何かする度に俺に向けられる、同級生や教師や、親の冷たい視線。それが嫌でたまらなくて、そんな顔を向けられればまた暴れてしまう。

『どうしてあんな子が産まれたの…。』

 夜遅く帰ってきた時に聞いた、居間で父親に泣きつく母親の言葉。
 それが何よりも心に刺さって、俺は更に激しく非行を繰り返すようになった。

 度が過ぎる非行は周囲から疎まれる。
 はじめは周りにもそういった仲間がいたけど、いつしかそれもいなくなった。

 世界で俺は1人ぼっちなんだと思うのに、そう時間はかからなかった。



 でもあいつは、佐伯は、そんな俺に触れてくれた。

 まるで普通に教師が生徒に接するみたいに、俺を見てくれた。

「細いなーお前。ちゃんと飯食えよ。」

 俺の二の腕を握りながら呟く佐伯。

「うるさい触んな。」

 それを振り払ってそっぽを向くけど、久しぶりに感じる他人の温度はとても温かかった。

「ここの飯クソまずい。」
「そんな事言って毎日残してるからそんなに細いんだ。いつか倒れるぞお前。」

 呆れたように佐伯はそう言ったけど、別にどうだっていい。
 倒れても、死んでも、どうせ誰も何とも思わないんだから。俺なんて、居ても居なくても、何も変わらないんだよ。

「…別に、どうだっていいだろ。」

 天井を見上げれば、蛍光灯の周りを虫が飛んでいた。中に入って出れなくなって、そのまま死んでしまった虫達の死骸が黒い点となって光を遮る。

 俺も、あれと一緒だ。人知れず死んで、そして誰にも気付かれない、悲しまれない。



『どうしてあんな子が産まれたの…』



 知らねえよ、クソが。



「俺は、いちもが倒れたら悲しいけどな。」

 佐伯の言葉は俺の胸をきゅっと掴んで、なんだかむずがゆかった。

 佐伯は俺の肩をぎゅっと掴んで俺の正面に立つと、頭と背中に手を回してゆっくりと俺を抱き寄せた。

「!?何してんだよっ…。」
「や、なんか辛そうな顔してたから。」

 ぎゅうっと、俺の抱く腕に力がこもる。

「は、放せっ…」
「何思い出してたのか知らないけど」

 佐伯を必死に押し返したけど、ギュッと固定された腕は離れなかった。

「泣きたい時は、泣いていいんだよ。」
「…っ!」

 意味分かんない。

 なんだよ、泣いていいって。

 俺が、いつ悲しいなんて言った、いつ泣きたいなんて言った。

 俺、そんな顔してたのかよ?

「…っく、…ぅ」

 泣いたのなんて、初めてだった。
 俺は佐伯の服を掴んで、ガキみたいに泣いた。

 佐伯はただ黙って俺の背中をさする。
 その手があったかくて、ただあったかくて、俺は泣いた。

 他人がこんなに心地良いと思ったのは初めてで、優しさってのがこんなに暖かいと知ったのも初めてで。

 初めて自分に向けられた"優しさ"が、酷く俺の心を揺さぶった。 

 呑気なこいつは、きっと俺がどれだけこの優しさに心を打たれてるのか分かってないんだろうな。


















「大田ー。」
「うい。」
「光彦ー。」
「はーい。」
「いちもー。」
「うっさい。」



 佐伯にいちもと呼ばれる事にそんなに抵抗がなくなった頃、それは起こった。



「これで5回目。規則違反だ、泉。」

 しかめっ面で話を聞いていた俺に、室山はそう言った。

「明日から1週間、東棟で頭を冷やせ。」
「はっ!?ざけんな、何であんなとこ…」
「お前は授業を無断で欠課した。もう5回目だ。最初で言ってあるはずだ、5回目からは規則違反だ。…もう部屋に戻りなさい。」

 そう言うと室山は処分書を持ってどこかに行ってしまった。


 東棟。別名隔離部屋。

 規則違反をした奴らが連れて行かれる場所で、そこに入ってる間は授業にも労働作業にも参加できずに、ただ1人で黙々と反省文を書いたり変なのを聞かされなきゃいけない。
 しかも東棟の担当はあの鬼の室山。別名鬼山。
 キレると手がつけられなくて、相当タチが悪い。

 1週間って、長いな…。

 授業なんてかったるい。何で少年院にまで来て勉強しなきゃいけないんだ。
 元々勉強嫌いな俺は良くさぼってはつかまっていた。毎度毎度怒られて終わりだったけど、今回は違うらしい。
 知らなかったけど授業をサボっていいのは4回まで。そういえば毎回怒られる度にそんな事を言われていた気もするけど、覚えてなかったんだから今さら後悔しても後の祭りだ。

 部屋に戻ると大分茶化されたけど、俺は明日からの事を考えるといちいち反論する気にもなれず、さっさと眠ってしまった。











「泉、10分後に教官室に来い。」

 東棟に移ってから3日目。
 教室で面倒な反省文を書いていると、鬼山が後ろから声を掛けてきた。

「なんでですか。」

 俺がそう言うと鬼山は舌打ちして、

「いいから、10分後に来い。」

 とだけ言い残して教室を出て行った。

 1人教室に残された俺は、この後また面倒な事でも待っているのかと気持ちが沈むばかりだった。

 筆記用具を片付けて、とろとろと教官室へ向かう。
 中に鬼山がいると思ったら誰もいなくて、少し拍子抜けしながら椅子に腰かけた。

 これから何すんだろ。

 また説教かな。

 もう3日目だし、いい加減説教は止めて欲しい。

 机に顔を伏せて、誰かが入ってくるのをじっと待った。



 ガチャン



 部屋に入ってきたのは意外な奴だった。

「佐伯…」
「佐伯先生、だ。」

 そういうと佐伯はへらっと笑って、俺の前に座った。

「なんであんたがこっちいんの?ここの担当鬼山だろ。」
「室山先生、だ。」
「いちいちうるせぇな。」
「言葉使いもしっかり直さないとな。」

 そう言うと佐伯は肘をついて手を組んで、急に真顔になって俺の事を睨みつけた。

「なんで俺が来たと思う?」
「…俺の担当だから?」
「違うよ。」

 これだと佐伯の顔がほとんど見えなくて、腕越しに見える目がギラギラ光っているように見えてなんだか少し怖かった。

「佐伯、なんかいつもと雰囲気違うね。」

 俺がそう言うと佐伯はいきなり席を立って俺の傍まで来た。いきなりだったからビックリして思わず身構える。
 
 俺を見下ろす佐伯はなんだか凄く怖くて、いつもの優しいオーラなんて微塵も感じられなかった。

「佐伯…?」
「騒ぐなよ、一茂。」

 名前を呼ばれて、ビクリと震える。

 今、こいつなんて言った?

 あんなに怒鳴っても呼び方を変えなかったこいつが、

『さわぐなよ、かずしげ』

 …そう、言った。




「やめ、やめろよっ…!佐伯…んぐぅ…っ!」

 どこから持ち出したのか、佐伯は猿ぐつわを俺に噛ませて、ベルトみたいな物で腕を後ろ手にして固定した。

「んっ…ぐ…!」

 じたばたと暴れてみたけど、全然敵わない。こいつ、ひょろそうなのに物凄く力強い。

「可愛いな、一茂。」

 耳元で囁かれて、全身が粟立つ。
 抵抗しようとしても、腕は固定されてるし、上半身は机に押し付けられてるしで全く力が入らない。

「大人しくしてれば、気持ちよくしてやるよ。」
「んんー!」

 必死の抵抗も佐伯の前では無意味だった。

 するりと服の中に入り込む佐伯の手。蛇みたいに肌を這いながら体中をまさぐっていく。
 ズボンなんてあっという間に脱がされて、下半身丸出しのあられもない姿にされた。

 なんで佐伯にこんな事されてるのか意味が分からなくて、必死に身を捩る。それでも、佐伯は俺を嬲るのを止めてくれなかった。

 いつもみたいに笑って、「冗談だよ」なんて言って欲しかった。
 でも聞こえるのは佐伯の少し荒い息遣いだけ。それがたまらなく怖かった。

「俺がここに来たのはな、一茂。お前とこういう事したかったからだよ。」

 佐伯の手は俺の秘部をまさぐって刺激している。

 怖くて、止めて欲しいのに、俺のソレは与えられる刺激で少し熱を持ち始めていた。

「っふ、ぐ………さ、えきっ!やめろ…っよぉ……っ!」

 猿ぐつわを何とか外して、佐伯の名を呼んだ。

 押さえつけられた体では、佐伯の顔を見ることもできない。それでも必死に佐伯の名を呼んだ。

 でも、佐伯は止めてくれなかった。

「一茂、大人しくしてろ。…挿れるぞ。」
「や、めて…佐伯…おねがっ………あぁっ!」











 俺は佐伯に犯された。












***












 ニチャニチャと部屋に響く水音。
 いつものように手を後ろで固定されて、俺は佐伯に後ろから挿れられていた。

「っふ、う、…く…」
「声出してもいいんだぞ、一茂。」

 名前を呼ばれて、顔が赤くなる。

 かずしげ。

 あの日、俺を教官室で犯して以来、この行為の時だけ、佐伯は俺をそう呼ぶようになった。

 それ以外では、みんなの前では、以前と同じように俺の事をいちもと呼ぶ佐伯。

 それからというもの、本名を呼ばれると反射的にこの行為を思い出して、体中が熱くなる。

 やめてくれよ。その名前で呼ばないで。

 そう言いたくても、言えない。

 背中をなぞる佐伯の手は温かくて、それが嫌だった。



 なぁ、佐伯。

 ホントのお前はどれなんだ?

 俺とこういう事したくて、俺に優しくしてたのかよ。
 お前の本性って、こんなひどい奴なのかよ。



 佐伯に揺さぶられながら、頭をよぎるのはそんな事ばかり。

 生まれて初めて出会った優しさが偽りだったなんて、そんな事信じたくなかった。



「…ぅ、っく…ふ、はぁっ…ぁ」
「感じてんのか一茂?男のくせにケツで感じるなんて、淫乱だな。」
「だまっ…れよ…っ!」

 佐伯の顔は見えないけど、きっとニヤニヤしているに違いない。
 俺をさげすむような、冷たい視線。

 あいつらと同じ、目。

 嫌だった。

 佐伯には、笑って欲しい。俺の事、そんな目で見て欲しくない。

 俺の知ってる佐伯は…そんな奴じゃ、ない…!


 体をグイッと横に倒して、仰向けの体勢になる。
 佐伯は俺がいきなり動いて驚いたのか、目を見開いて俺の事を見ていた。

「どうした?バックは嫌か?」
「…うるせぇ。」

 来いよ。

 目で佐伯を煽る。
 来いよ、佐伯。俺の事、抱けよ。

 俺の意図が通じたのか通じてないのか、佐伯は俺の足をグイッと持ち上げて、再び俺の中に入ってきた。

「ホンット、淫乱なんだな、お前。」

 ゆさゆさと腰を振りながら、俺の目を見る佐伯。
 その目はギラギラと燃えて、まるで獣だった。

 佐伯の肩に手を掛けて、ゆっくりと引き寄せた。

 近くなる距離。

 佐伯の顔が目と鼻の先まで近付いた時、俺は佐伯の唇に噛みつくようにキスをした。







 生まれて初めて感じた優しさは、温かかった。

 それは冷たく凍てついた俺の心をじんわりと溶かして、何か大事なものを俺にくれた。


 なぁ、佐伯。

 お前が優しいの、俺知ってるからさ。


 今はこんなんだけど、きっとまた、笑ってくれるだろ?

 前みたいに、「いちも」って。

 
 俺、放したくないんだよ。

 せっかく初めて優しさに触れたのに。

 それを手放すなんて、嫌なんだ。





「さえ、きっ…!…さぇ…」
「…っは、お前…」





 俺は狂ったように佐伯の名を呼んだ。

 触れ合う肌が、熱くて、熱くて、温かかった。





 

 噛みつくように、貪るようにしたキスは、

 悲しい、涙の味がした。



 目の端から溢れたそれは、じわりと頬を濡らす。

 玩具のように佐伯に揺さぶられながら、俺は静かに嗚咽を漏らした。








 佐伯、俺、

 優しいお前が、好きだよ。









-END-






あの日優しくしてくれた貴方が、今でも好きです。





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