「危ないよ」

 名字名前は柔らかな声に、ココアみたいだと思った。きっとこの声に色が付いていたら、やさしくて、あたたかくて、ホッとするココア色。彼女は自分を見上げる男子生徒に、パチリ、と目を瞬いた。ふたりの出会いは少女漫画のようだった。

 今日鴎台高校に入学する彼女は桜の木によじ登って、小さな命の救出作戦中だった。中学時代よりもスカートは短くなっていたけれども、タイツも、ショートパンツも履いているので、問題はない。あくまで、彼女的に問題はない。男子バレー部の朝練を終えて、部室棟から教室へ向かっていた昼神にとっては大いに問題があった。桜が咲き誇る花びらたちの中に、ひらひらと揺れる布が見えて、昼神は首を傾げる。気になって桜の木に近付いていくと、小さな鳴き声と、その鳴き声を励ます声が聞こえて来た。

 わぁ……。今どきマジでこんな子いるんだ。昼神の視界に、桜の木の上で、白い子猫を大事に抱き抱える女子生徒の姿が入って来た。シロン、また木の上に登ったのか。降りれないのに。シロン、と呼ばれる白い子猫は諸事情があって、鴎台高校でお世話されている猫の通称だった。この白い子猫はいくつも名前を持っているのだ。思わず昼神が冒頭のように声をかければ、怖がるシロンを慰めていた女子生徒が昼神へ気付く。

「あ、……」
「そのままじゃ降りれないでしょ、その子預かるよ」
「……お願いします」

 彼女は目を丸くする。こちらに腕を伸ばす男子生徒の背の高さにとても驚いたのだ。自分が木によじ登って届く高さに、男子生徒は両手を上にあげるだけで、悠々と届いてしまっていた。なるべく怖がらせないように子猫を抱っこして、男子生徒へ託す。男子生徒は大きな手でしっかりと受け止めると、シロンをじっと見つめる。シロンはジタバタと足を動かして、昼神の腕から逃げていく。きっと昼神からの小言の気配を察知したのだろう。彼女はまた目を丸くして、驚いた。昼神の腕からピョン、と軽々しく飛ぶことができるなら、この木からも降りれたのでは?そんな新たな事実に衝撃を受けていると、急に身体が傾いた。

「うわ」

 悲鳴もなくバランスを崩した彼女を、昼神もまたもう一度しっかりと受け止める。子猫よりも断然体重はあるはずなのに、柔らかさは同じくらいに感じたので、昼神は少しだけ女の子は不思議だなぁと暢気な感想を抱いた。彼女の脇下辺りを、大きな手ががっしりと掴んでいた。痛みや衝撃、浮遊感に怯えていた彼女はゆっくりと目を開ける。

「だから、言ったろ?危ないって」
「……」

 まるで、出来の悪い我が子を見るような目だった。でも、決して冷たくはない。少し小馬鹿にされているのかも。いや、呆れを含んでいるのかもしれない。温かいのに、安心するのに、少し意地悪を含んだ声色に、瞳に、彼女は虜にされていた。

あとがき

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