先輩 02

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「はぁ」
 これ見よがしのため息に、飯綱と同級生でありチームメイトである二人は首を傾げる。背番号2番がハチ、背番号4番がチョロ。飯綱が勝手につけ二人のあだ名だ。由来は分かりやすく、前髪が8対2で分かれているから、ハチ。前髪がチョロリと出ているから、チョロ。二人とも安易だなと笑い飛ばしていたが、気付けば愛着のあるあだ名になっていた。
 部活中も一緒に居ることが多い三人は、お昼も一緒に食べていた。優柔不断な気質がある飯綱は、日替わりランチAを選ぶ傾向が多い。お気に入りをずっと食べることが多いチョロは、からあげ定食を突きながら待っていた。大抵悩んでいる飯綱に声を掛けるのはハチだった。
「飯綱なんかあった?」
「恋煩いか、佐久早か」
「……なんで、その二択に佐久早が並ぶんだよ」
 飯綱はハチの問いかけに答えようとして、チョロの茶々入れに顔を顰める。あくまでポーズで、本気で不快にも、怒ってもいない。日替わり定食のハンバーグを無駄に小さく分けながら、飯綱はウーと唇を尖らせる。
 面倒見がいいハチは、飯綱のあざとい仕草に妹を思い出して、チョロは少し嫌そうに眉を寄せた。二人とも、飯綱が爽やかかつ可愛らしい顔立ちであることは認めている。認めてはいるが、それとこれは別なのだ。
 同年代の男に可愛い子ぶられても、何も嬉しくないし、何も潤わない。まあ、飯綱も可愛いと思われたくてやった訳ではないので、微妙な反応をされても気にしない。
「じゃあ、やっぱ恋煩い?」
「安直」
 チョロの言葉に、飯綱は文句を言いつつも、イジイジと指先を遊ばせる。セッターとして日々整えている爪先は丸っこく灘らかだ。
「……同じ委員会の子がいるんだけど」
「あー、一個下の子だっけ?めっちゃ警戒心高めの」
「そう。その子」
 去年同じ図書委員だったハチは思い出すように、視線を右上に上げる。何も知らないチョロはどういうこと?と二人の顔をキョロキョロと交互に見る。飯綱は少し落ち込みながら、ぽつぽつと悩みを打ち明ける。おそらく男子が苦手な後輩女子が一年かけて懐いてくれた。それは喜ばしいことだ。でも、彼女と距離が振り出しに戻る……いや、むしろ悪化する出来事が起きてしまった。まあ、それは杞憂だった。
「へえ、良かったじゃん」
「懐かれてる後輩に嫌われるのはキツいよなー」
 チョロ、ハチの反応に、飯綱は静かに首を横に振る。そうじゃない。そこじゃない。飯綱が落ち込んでいるのは、そこではないのだ。
「その子、佐久早の幼馴染だったみたいで」
「佐久早の!?」
「幼馴染!?」
 飯綱はふたりの良いリアクションに、やっぱり驚くよなぁとウンウンと深く頷いた。そう、あの佐久早の幼馴染。しかも、女の子。好奇心に輝く目が四つ。ウンウン……うん?飯綱は何だか嫌な予感がして、顎を引く。チョロは逆に前のめりになって、指を三本立てた。
「じゃあ、三角関係?」
「……は?ハァ!?なんで、そうなるんだよ!」
「あはは。コイツの言いたいことも分かるけど」
「ハチまで!」
「だって、飯綱がひとりの女の子気にかけるの珍しいし?」
「しかも、佐久早の幼馴染の女の子だし?」
「……」
 全てを否定したかった。自分が彼女を気にかけるのは後輩という意味であって、別にそこに異性としての感情はないし。佐久早の幼馴染であることには驚いたが、別に佐久早に対抗するつもりもない。飯綱は顔を盛大に顰めて、首を横にふる。そんな飯綱に、ふたりは目を合わせて、眉を下げた。
 チョロ以外は下にキョウダイが居て、チョロはお調子者の気質はあっても、後輩の面倒をよく見る男だった。つまり、この三人は面倒見がよく気遣い屋の集まりなのだ。三人で互いにイジり合う事もあれば、真剣に話し合うことだって出来る。同年代の女子からすれば、ちゃんと“話せる”数少ない同年代の男子だった。男の子は女の子より幼いなんて、そんな迷言に惑わされない男の子。
「分かってるって。飯綱が純粋に、その後輩ちゃんのこと心配したり、可愛がってんの」
「……」
 ハチのあやすような言い方は気に入らなかったが、飯綱は渋い顔のまま頷いた。ハチよりも、素直なチョロはからあげをモグモグと咀嚼して飲み込むと、首を捻る。
「でも、佐久早と仲良いとこ見て、面白くないって思ったのも、本音じゃないの?」
「……そ、それは」
 飯綱は言い淀んで、しょもしょもと小さくなっていく。飯綱自身、自分の感情を上手く処理出来ていない。二人は再び目を合わせて、肩をすくめた。側から見れば、恋の小さな訪れか、可愛い妹分を取られた寂しさと大体想像がつく。
 いや、違うな。ハチは内心、首を横に振る。実際に妹も居て、仲のいい女子もいる飯綱が、わざわざ妹分の位置になる女の子なんて作らないだろうし、気に掛けることもないだろう。そもそも、飯綱は女子みんなに、年下に優しい良いヤツだ。だから、佐久早も飯綱に懐いてる。佐久早自身は自覚してないだろうけど。……って考えると、やっぱり恋の訪れだろうなぁ。
「飯綱にも春が来たのかぁ」
「飯綱モテるけど、モテないもんなぁ」
 しみじみ二人が頷けば、飯綱が顔を真っ赤にして怒るのだった。

「なあ、佐久早ー」
「はい」
 その日、飯綱はクールダウンしている佐久早の隣に座って、少し声を小さくして尋ねる。ずっと気になっていたことがあったのだ。
「あのさ、なんであの子のこと“おっぽ”って呼んでの?」
「ああ、アイツのあだ名です」
「佐久早がつけたの?」
「はい」
「なんでおっぽなの」
 飯綱の疑問に、佐久早は淡々と説明する。昔彼女はとても転びやすい子どもだったので、いつしか両手を広げて歩くようになった。その様子が尻尾を立ててバランスをとる動物を連想させたから、おっぽ。飯綱は佐久早のいつもと変わらぬ彫刻のような横顔を見上げて、不思議な気持ちになった。
 この気難しい個性的な後輩にも、純粋無垢な幼少時代あったのだろう。でも、上手く想像がつかなかった。幼い頃から、眉を寄せて、顔を顰めて、過ごしていたのだろうか。きっと言葉を知らない分、態度で不快感を表現していたかもしれない。
「ハハ」
 ヤバい。不満たっぷりのチビ佐久早を想像したら、笑ってしまった。
「飯綱さん?」
「あ、何でもない。結構ガチな幼馴染だったんだなぁ」
「幼馴染にもガチも何もないと思いますけど……」
 不思議さを通り越して、呆れた顔をする佐久早に、飯綱は唇を尖らした。
「誰だって憧れるだろ。女の子の幼馴染なんて」
「そういうもんですか……?」
「そういうもん!」
「はぁ」
 覇気のない佐久早の返事に、飯綱はいつものように突っ込んで、会話が終わる。部活も終わって、佐久早は古森と部室を後にする。飯綱は全員を見送って、チョロとハチと最後に部室を出た。
「……はあ」
「また乙女のため息」
「あんま茶化すなって。佐久早に、幼馴染ちゃんのあだ名の由来、聞けて良かったじゃん」
 チョロを諫めつつも、ちゃっかり盗み聞きしているハチを飯綱は軽く睨む。
「聞いてたのかよ」
「つい」
 ハチは悪びれもなく認めて、首を傾げる。その仕草は飯綱の言いたいことを待っているときもの。
「……でも、一番気になったこと聞けなかった」
「なにそれ?」
 やっぱり、チョロは素直でちょっと遠慮がなかった。飯綱は昼休みのときのように、言い淀んで、ポツリと呟いた。
「……どうして男が苦手なのか、って」

あとがき

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