後編



「そのユニーク魔法、実に欲し……とてもイデアさん想いな良い方ではないですか」
「漏れてるアズール氏めっちゃ本音漏れてるから」
「そんなにイデアさん想いなら、先日の件はさぞご心配されたでしょうね」

 先日の件とは、イデアがオーバーブロットしたことだろう。その件以外、思いつくはずもない。イデアはアズールの言葉に、スン……と表情を無くして口を閉ざしてしまった。そんなイデアに、アズールはズレてもいないメガネのブリッジを押し上げる。

「イデアさん、まさか……」
「……」
「名前さんにオーバーブロットしたこと言っていないんですか?」
「……い、言う必要もなくない?無駄に心配かけるのもアレだろうし」

 イデアは表情を取り戻すと、開き直ったようにそんなことを言う。アズールは顔を顰める。打算的なアズールらしくない、素の表情だった。話を聞く限り、イデアの婚約者は本当にイデアのことを大切に思っているのだろう。そのことを抜きにしても、仮にも婚約者の立場である彼女に、命にも関わる危険があったことを伝えないのはどうなんだと。珍しくアズールは人情み溢れることをイデアに対して思った。

「イデアさん、それは良くなっ、は!?」
「うぐっ!」

 いですよ。今すぐにでも連絡してください。頭で描いた言葉が弾け飛んだ。目の前にいたはずのイデアが一瞬で居なくなった。いや、椅子ごとひっくり返ったようだった。アズールがテーブルに両手をついて、覗き込む。そこには見かけない女の子がひとり居て、イデアのお腹の上に乗っかっていた。

「名前!?なんでここに君が……」
「……」

 イデアは混乱していた。どうして彼女がNRCに居るのか。しかも、今彼女はユニーク魔法で現れた。でも、おかしい。彼女のユニーク魔法は転移魔法だが、転移できる距離には限りがある。こんないきなり数万キロ離れたところに、いきなり転移できるはずもない。イデアは彼女の胸元で光るマジカルペンを見て、眉を寄せる。彼女の魔法石は酷く黒く濁っていた。

「い、であ、くん……」

 彼女はイデアのほっそりとした頬を両手で包むと、脱力するように眉を下げた。

「名前?」
「……げんきそう、で……よかった」
「は?ちょっ、名前!」

 ぐらり、と彼女の身体が傾いて、イデアの胸へ倒れ込んでくる。どうやら魔力切れを起こしてしまったらしい。彼女の魔力は人並み。オーバーブロットするほどの魔力は持っていない。だから、このまま安静にしていれば、復活するだろう。そんなことはイデアが一番分かっているはずなのに、イデアの顔が青くなる。

「名前?名前?」

 彼女の目は開かない。イデアが名前を呼んでも、返事が聞こえない。小さな手を握っても、握り返してこない。むしろ、小さな手は冷たくて、力なく、イデアに好き勝手にされたまま。心臓の音がうるさい。息が苦しい。目が痛い。

 イデアの視界が酸欠で白くなった頃、大事な声が聞こえた。

「兄さん!姉さんがこっちに来たって連絡が……!」
「お、オルト……名前が」
「あっちゃー姉さん魔力切れ起こしてるね。
 どんなに離れていても、転移できるチート要素があるからって無茶し過ぎだよ」
「……オルト、それどういうこと?」
「あっ……」

 オルトはしまった、と視線を右に逸らした。その人間らしい仕草に、イデアは彼女を抱えたまま、オルトと詰め寄ろうとした瞬間、ゴホンッと大きな咳払いがイデアの耳に入った。

「イデアさん、とりあえず名前さんを医務室に運ぶ方が先かと……」
「あ、アズール氏……た、確かに」
「そ、そうだね!今は姉さんの体調が最優先だ!」



「……」

 イデアは、医務室のベッドで眠る彼女の寝顔を、じっと見つめていた。やはり、彼女は単なる魔力切れを起こしたことによる体調不良だった。イデアがオルトに彼女のユニーク魔法について問い詰める前に、学園長が現れた。どうして結界を破って、NRCに入ることができたのだ、と。彼女がイデアの婚約者という間柄を差し抜いても、そもそもNRCに侵入できた時点で、大問題なのだ。

「姉さんのユニーク魔法は、確かに移転魔法の類にされると思う。普通の移転魔法は、座標地点に対して転移できるでしょう?でも、姉さんは自分の行きたい座標地点に対して転移できる訳じゃないんだ」
「は?でも、今までずっと……そのユニーク魔法で僕のところに飛んで来てたでしょ?」

 イデアの言葉に、イデアのことも、彼女のことも、全て知っているオルトは辛い顔をして、首を横にふった。

「姉さんが行くことができる場所は、座標地点に対してではなくて……」

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「……ん?」

 彼女は見慣れない天井、嗅ぎ慣れない匂いに、ビクッと身体を震わした。反射的に魔法を使おうとして、酷い目眩に襲われた。そんな彼女の耳に、静かな声が聞こえて来た。

「名前大丈夫だよ」
「いであ、くん?」
「ここはNRCの医務室」
「……わたし、気失ってたの……?」
「そりゃあ、あんだけ魔力使えばね」

 ほら、見て。イデアに突き付けられた自分の魔法石は、濃い黒一色に染まっていた。うわあ、と彼女が引いていると、そんな彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でた。

「君、仮にも僕のお嫁さんになるんでしょ?S.T.Y.Xの次期当主の妻がこれでは困りますなぁ」
「……イデアくん、すごく怒ってる」
「なんで?拙者、今めっちゃ優しくしてると思うんだけど」
「……普段のイデアくんは、そんなこと言わない」
「……」

 彼女はじりじりとシーツを鼻の上まであげて、イデアを窺い見る。イデアはニタニタ笑っていた表情を引っ込めると、じっと彼女を見下ろした。彼女はシーツの中で、つま先を丸めて、覚悟を決めた。どんな煽りも、正論も受け止めよう、と。でも、今回は自分だけが悪い訳じゃない。

 イデアくんだって、悪いと思う。オーバーブロットしたなんて、そんな大変なこと隠してたなんて。お父さんも、お母さんも、ひどい。いくらイデアくんのご両親に、イデアくんに口止めされたからって、私だけ除け者みたいに。私は一応イデアくんの婚約者なのに。オルトくんがこっそり教えてくれなかったら、私はずっと何も知らずに呑気に過ごしていただろう。イデアくんに詰められても、オルトくんから聞いたよって、私も切り札を出すんだ。い、一応、婚約者の立場だから、どうしてそんな危険なことがあったこと、教えてくれないのって。問い詰めてもいいはずだ。

 彼女が気合いを入れていると、イデアが口を開いた。

「オルトから聞いたよ」
「……」

 彼女の切り札は、先にイデアに使われてしまった。そして、彼女は首を傾げる。イデアに聞かれて困る隠し事なんて、ないはずだ。

「君のユニーク魔法は、ただの転移魔法じゃないんだってね」
「……」

 彼女は大きく目を見開くと、気まずそうに視線を右へ逸らす。その表情が余計に、イデアの怒りを買ってしまった。

「どうして……!君はどこにでも行けるのに!」

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「姉さんのユニーク魔法は、確かに移転魔法の類にされると思う。普通の移転魔法は、座標地点に対して転移できるでしょう?でも、姉さんは自分の行きたい座標地点に対して転移できる訳じゃないんだ」
「は?でも、今までずっと……そのユニーク魔法で僕のところに飛んで来てたでしょ?」
「姉さんが行くことができる場所は、座標地点に対してではなくて……特定の人物に対して、なんだよ」
「……」
「特定の人物に対して、自分を転移させる。それが姉さんのユニーク魔法、シンプルにそれだけ。
 行き先は制限されるけど、距離や結界だって関係なく転移できる……チートでしょ?ある意味」
「……それだけチートなら、特定の人物って言うのも」

 イデアの言葉に、オルトは頷いた。

「一度決めたら、二度と変えることは出来ない」

 イデアがどこにでも行けると思っていた彼女は、どこにも行けなくなっていた。

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 彼女のユニーク魔法の正体を知ったイデアは罪悪感に苛まれた。自分と関わったせいで、彼女のユニーク魔法を歪めしまった。本当なら、どこにでも行けるユニーク魔法が生まれたかもしれないのに。本当の彼女らしいユニーク魔法が生まれるはずだったのに。自分と違って、彼女は縛られることのない、ユニーク魔法が生まれるはずだったのに。

「どうして……!君はどこにでも行けるのに!」
「……」
「僕と違って、君はどんなに遠いところだって行けるし、やりたい事だって出来る……!
 君は……僕とは違うんだから……」
 
 気付いたら、イデアは自分の顔を両手で覆っていた。イデアは彼女に自由でいて欲しかった。なのに、そう願っていた自分が皮肉にも、彼女を縛り付ける存在になっていた事実に耐え切れなかったのだ。

 彼女はそんなイデアに、のろのろと手を伸ばした。小さな手がイデアの肘部分のパーカーを引っ張る。

「じゃあ、行く」
「は?」
「私がイデアくんのところに行くよ」

 イデアが顔を上げると、彼女と目が合う。彼女はいつものように、呑気に笑って、繰り返した。

「私がイデアくんのところへ行くよ、どんなに離れてても」

 カァッと、イデアの身体が熱くなる。今まで溜めてきた感情が爆発した瞬間だった。

「なんで?」
「だっ」
「なんで!君はもっと良いところへ行けるのに!
 これから進学だって、就職だって、色んな未来がある!
 たくさん出会いだってあって、もっと良いところへ行ける!僕の傍なんかよりも、ずっと!」

 イデアの言葉に、彼女は身体の怠さが飛んでいった。身体を起こして、泣いているイデアの頬を両手で包むと、強引に上へ向ける。彼女は腹の底から、感情が湧いてくる感覚が分かった。

「なんか、だなんて言わないで!」
「え」
「なんか……だなんて、言わないでよ」
 
 イデアはビクッと肩を揺らして、目を丸くする。
こんなデカい、名前の声初めて聞いた。

「私が選んだんだよ」
「……」
「色んな出会いや将来よりも、ずっと!ずーっと!私にとって価値のある場所なんだよ」
「名前……」

 彼女が強い眼差しでイデアを見つめる。イデアは知らなかった。彼女がこんなに頑固で、真剣な表情ができる、なんて。

「だから、イデアくんの傍に行く。全力でそこに行く」

 まるで、自分の価値観が壊されたみたいだった。イデアの色んな葛藤や悩みが吹き飛んで、彼女だけが目の前に現れる。イデアは数回瞬きを繰り返すと、ふふっと笑い声を漏らした。彼女はイデアくん……?と訝しげに、イデアを伺う。イデアは自分の頬を包む小さな手に、自分の手を重ねた。

「いや、拙者の婚約者はヒーローみたいだなって思いまして」
「えぇ……?」

 どういうこと?
彼女が首を傾げていると、しっかりとした声が聞こえてきた。

「行くよ」
「え?」
「ちょっと……いや、大分待たせたけど、僕も行くよ。名前のところに」

 イデアの答えに、今度は彼女が目を見開いた。その大きく見開いた目が揺らいで、じわじわと熱くなっていく。

 初めて、だ。初めて、イデアが行くと言ってくれた。いつも彼女から逃げていたイデアが初めて、彼女の方へ来てくれた。昔から、彼女は追いかけてばかりだった。そして、それはずっと続くと思っていたし、それでいいとすら、思っていた。イデアに本気で拒絶されないなら、何でもいい。

 嬉しいのに、胸が苦しい。イデアに気持ちを伝えたいのに、全然言葉が出てこない。彼女は泣きながら、イデアの名前を呼ぶことしか出来なかった。

「いであ、くん……いであくんっ」
「なんで………なんで泣くの」

 イデアは彼女の泣き顔を見るのは初めてではない。なんなら、今まで何度も泣かして来て、何度も泣き止ませてきた。でも、今目の前で泣きじゃくる彼女は違う。今までの泣き方とは、違う。悔しくて、泣いてるんじゃない。ああ、きっと名前も辛かったり、寂しかったりしたんだ。僕みたいに。

「あーもうっ、こういうのキャラじゃないのにっ」
「うっ」

 そう分かった瞬間、イデアは彼女を強く抱き締めていた。

「ううっ……うっ……」

 彼女はイデアの腕の中で、小さな子どものように泣いた。そうだ。好きな人……イデアに逃げられて、突き放されて、何も思わないはずが、感じないはずがない。イデアは彼女の頭を自分の肩に、強く押し付ける。彼女の髪に顔を埋めながら、イデアも鼻をすすった。

「名前泣き過ぎ……」
「ううっ……」
「‥‥‥泣くな、泣かないで、名前」

 イデアの願望に似た声に、彼女もぎゅう、とイデアを抱き締め返した。

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「名前……目真っ赤」
「……い、イデアくんもだよ」

 イデアが長い指で、うりうりと彼女の目元を撫でると、彼女は擽ったいと目を細める。その可愛らしい彼女の仕草に、イデアの長年降り積もった感情が雪崩を起こした。イデアはやっと降伏の旗を上げたのだ。イデアは彼女のことを、ずっと昔から可愛いと思ってるし、大事にして来た。そして、今日、自分の気持ちを認めて、彼女と想いも通じ合った。

「……イデアくん?」
「……」

 彼女は嫌な予感がした。イデアがどこか血走った目で、こちらを見つめている気がする。イデアから離れようと、イデアの肩を押し返そうとした時には遅かった。

「んっ」

 唇に、なんか触れた。彼女の視界いっぱいの青。そして、イデアは少し顔を離して、頬を赤くしたままフヒヒと笑う。

「僕たちのファーストキスだね……名前?」
「……」
「名前?」

 彼女はぼふっと真っ赤になって、固まると、イデアの胸に顔を隠してしまった。彼女らしくない行動に、イデアは興味を惹かれて、容赦無く彼女を自分から引き離した。彼女はイヤイヤと首を横に振るが、すぐにイデアに捕まってしまう。

「……名前、もしかして恥ずかしいの?」
「……」

 イデアの問いかけに、彼女は俯いてしまう。横髪から、赤い耳が覗いていた。いつも自分からイデアを追いかけて来た彼女のしおらしい態度に、イデアの胸がギュンと締め付けられる。はあ?なに?押し強い癖に、自分は押されると弱いってこと?は?なにそれ、王道過ぎでしょ?

「きゃっ……イデアくん、どうして」
「……いやぁ、僕たちちゃんと両思いになった訳ですし?まあ、そもそも婚約者同士だから、問題もないですけど?」
「……」

 彼女はさぁ……と顔を青くする。自分をベッドに押し倒して、息を荒くするイデアはただの獣だ。彼女はオルトの言葉を思い出した。

「ふたりとも、激重感情持ってるんだから、暴走しちゃダメだよ?」

あとがき

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