一欠けらも、だれにも、あげない

(一年生)

「侑の彼女って、他校の子なんやろ?」
「は?」

 侑は銀島に当てもないことを聞かれて、眉を顰める。

「ちゃうの?他校の子やから、みんな知らへんって言うてたで」
「……」

 みんなとは、誰だ。侑は眉を寄せて、ここ最近の記憶を思い出す。確かに、もうすぐバレンタインだからか、恋愛事の質問が多かった気がする。そこで、自分はハッキリと言ったはずだ。「彼女?おるけど」「は?誰?」「は?なんで言わなあかんのや。プライベートやプライベート!」「えー!じゃあ、バレンタインのチョコは?」「彼女からので十分やから、いらん」「義理はセーフ?」「アウト。義理でもいらん」同じクラスの彼女には、その日の夜「す、すごかったねえ。侑くん少女漫画の俺様みたいだった!」と妙に興奮しながら、電話がかかってきた。呑気か!思わずそう突っ込んだ侑に、「えへへ、照れ臭かったけど嬉しかったよ。侑くんのチョコ頑張って作るね」ととても可愛いこと言ってきたので、すぐ許した。

「……そうや。他校の子や」

 彼女がいることは嘘やないし、どのみち名前の様子見とったら、今のままの方がリラックスしとるしな。わざわざ彼女と自分の関係を周りに言う必要も、義務もない。

「いつから付き合っとるん?」
「あー……9月ぐらい」
「半年経っとるやん。侑にしては長いんとちゃうの?」

 後ろからひょっこりと、会話に混じってきた兄貴分の失礼極まりない発言に、侑は唇を尖らせた。

「アランくん〜俺をなんやと思っとるの〜」
「侑ってあんまり長く続くイメージないやん」
「あ、分かります」
「銀〜」

 そんな不名誉なイメージを作った覚えない、と侑はしっかめ面を作った。



 今更だが、名字名前と宮侑が付き合ったのは高校一年生の秋ごろだった。高校生活に慣れ始めた頃に、新たな宮侑という刺激が急に彼女の元へ来たのである。強引に始まった関係も、今ではすっかりお互い当たり前の存在になっていた。

「侑って彼女いたんだ」
「案外気付かれてないもんやなぁ」
「だってさ、意外じゃない?」
「?」
「侑って、彼女できたら分かりやすく浮かれるタイプだと思ってた」
「……ああ、まあ」

 確かに家では浮かれとったけどなぁ。学校やと、あんまり名字さんと絡まんしな。

 角名は窓の下でチョコを断っている侑を見下ろしながら、改めて「意外だなぁ」と呟いた。その横で、治は思う。侑は本当に大切なものが出来たときに、最初にすることは‘隠す’だ。侑は自分がどう見られているか、を考えることが上手い。それはバレーでも、普段の生活でも変わらない。その上で、割り切るもの、と割り切れないものに分けて、侑は扱っていくのだ。侑自身もそのことに対して、無意識なのか、意識的なのか、正直分かっていないかもしれない。宮侑と彼女が付き合うことで、彼女に対する周りの目がどうなるか、なんてそれこそすぐ分かるだろう。そして、あの要領の良さだ。彼女の安心も、彼女の心も、確実に繋ぎ止めるまで無茶はしない。

 それこそ、侑は派手な外見と言動で、誤解されがちだが、恋愛事情はそれほど派手ではなかった。むしろ、そこまで成長が追い付いていない。どこまでもバレーを追い続ける人間なので、それ以外のことは面白いほど特に何も考えていない。本人自身が目立ちたがり屋で、他人の目が怖くない性分で、人を惹きつける要素をたくさんもって、そして見栄っ張りな一面もあって、侑の恋愛事情はいつも脚色を大幅に加えられて、広がっていく。

 侑と彼女の初めての、バレンタインだった。侑は宣言通り全てのチョコ断っていたし、知らない内に突っ込まれても、わざわざ返しに行っていた。名前が書かれていないものは仕方なく回収していた。

 バレンタインに、彼女宅にお呼ばれしていた侑は必要な事以外は放置して、彼女の元へと急いだ。その一連の行動をもってしても、なお袋一杯の贈物に彼女は目を丸くして、「た、大変そうだね」とまるで他人事のように声を掛けて、侑に怒られた。

「名前〜自分の彼氏がモテモテなのに、なんやその態度は余裕か〜!余裕なんかぁ〜!」
「う、うあ」
「まあ、そうですけどぉー?俺は名前のこと大好きやから?ええですけどぉー?」
「いたい」

 彼女は頬をこねくり回されて、涙目になった。「ごめんなさい。ありがとうございます」「なんや。その定型文は」侑は拗ねながらも、彼女の頬から手を離す。彼女は機嫌を悪くさせてしまったと申し訳なくなって、侑の手をそっと取る。侑は肩をびくっと、揺らしてしまう。侑は彼女の方から来られると、未だに驚くくらい動揺して、ちょろくなってしまう。

「侑くんが私のこと大切にしてくれるから」
「?」
「私が不安にならないのは侑くんが、いつも私のこと大切にしてくれるから、だよ」
「名前」
「いつもありがとう」
「名前……んうっ」

 侑は彼女の言葉に感動して、彼女を抱き締めようとした。唇に柔らかい感触と、やさしい甘さが口の中へ入ってくる。彼女の手が必死に侑のワイシャツを握ってくるので、侑も彼女の腰を支えて、キスがしやすい態勢を作ってやる。彼女は舌先でなんとか侑の口の中へ、チョコを運ぶ。そのまま侑が逃がしくれるはずもなく、ふたりでチョコを溶けさせるように、侑の熱い舌が絡んでくる。彼女は侑のあつさと、チョコの甘さでむせそうだった。なんか、くらくらする。

「ねえ、あつむくん」
「うん?」
「すき」
「俺も、好き」

 何度伝え合っても、足りないね。きっと、私たち同じこと思ってる。侑に注がれるやさしい眼差しに、彼女の胸はきゅーと締め付けられる。

「あ、他校の彼女って名前のことやからな」
「?」

 彼女は侑にぎゅうぎゅう抱き締められながら、首を傾げる。何のことだろう。

「彼女おるってことは前から言ってたんやけど、どこの誰や〜ってうっさいねん」
「ああ、だから他校の彼女」
「そー。名前は変に勘違いしたらあかんよ?」
「わかった」

 約束、と出された侑の小指に、彼女も小指を絡ませて、お互いに笑い合った。

(二年生)

「侑、スマホケース新しくしたん?」
「おん」
「ぷーさんじゃん」
「ネズミーランド行った記念に買ってん」
「まさか」

 侑は銀と角名の言葉に、ニヤリと笑う。その面倒な笑顔にふたりとも、眉を顰めた。

「彼女と行ったんか」
「せや。フフ、かわええやろ」

 満面の笑みとは、このことである。侑はケースを二人に見せびらかして、浮かれまくる侑の笑みに、角名はちょっと前の侑の方が楽だったなぁと、目を遠くする。バレンタインの一件以降、侑が彼女の存在は隠すことがなくなったので、たまにこうやって惚気を聞かされる羽目になる。ただ侑自身から彼女の話題を出すことは殆んどない。それに、彼女の名前も、高校も、写真も絶対明かさなかった。侑は意外と秘密主義だよな。まあ、侑の彼女なんて知られたら、大変だろうけど。他人の恋愛を気にして、口出ししたくなる人間はどこにでもいる。角名はそういう人間が苦手だったので、侑が彼女のことを詳しく明かさない事情は何となく分かっていた。

「なんや。騒がしいな」
 
 部室に入ってきた北の一言で、三人とも固まって、挨拶をする。

「侑、スマホケース変えたんか」
「はい。よぉ気が付きましたね」
「そりゃ侑今までシンプルな奴やったやん。色もそないに派手やなかったやろ?」
「カノジョちゃんとお揃いなんやて」

 北の後ろから現れた尾白が口を挟む。尾白の言葉に、北はきょとり、として、頷く。

「なるほど。今っぽいわ」
「今っぽいって、どういう感想」



「なあ、治」
「うん?」
「侑はめっちゃ彼女のこと大切にしとるんやな」

 体育館の隅に座って、銀と休憩をしていたら、銀がそんなことを不意に言い出した。急になんやろ。

「なんか、……侑も人間なんやなぁって。正直、一人の女の子好きになるイメージがあれへんかった。バレー馬鹿やから」
「……まあ、そうやな」

 銀はじーっと、侑を見つめる。休憩中やのに、アランくんに練習しよー!という迷惑な侑を見つめていた。

「しかも、全然分からへんかったわ」
「彼女できたの?」
「うん」
「角名も、それ言うてたなぁ」
「部活中は今まで通りやし。クラスでも、あんま変わらへんし」
「ふぅん」
「あ、でも、文化祭の衣装決めとき」
「?」
「クラスのな、名字さんって子がくじ引きで、割と露出多めの衣装当たったんやけど、
 侑めっちゃ拒否しとった」
「きょひ」
「着こなせんやろ!絶対可哀想や!やめろ!って」
「……失礼やな」

 ああ、そう言えば、いつの日だったか。電話口で、必死に「ちゃう!名前絶対似合ってたと思う!俺が嫌なだけで!ほんまは思ってへんから!名前はめっちゃかわええから、何でも似合うとることは分かっとるんやけど!けど、あんな格好で、不特定多数の前出たら危ないやん!」とか、弁解しとった気がする。

「まあ、本人もな、大人しい子やったから、辞退希望しとったし、結局普通の衣装やったわ」
「あー……なんやっけ。あれ、名字さん着とったやつ」
「不思議の国のアリス」
「それやわ。可愛かった」
「治見てたん?」
「ん、たまたま。名字さんかわええやん」
「名字さんな、かわええな」

 俺がそう言うと、意外な顔をしながらも、銀も照れくさそうに、そう言う。銀はかわええって単語言うとき、めっちゃ照れるんよなぁ。そんな銀もかわええでって、言おうとして黙る。めんどくさいのがやってきた。

「治、銀!休憩終わるで!」
「まだ五分あるやん」
「五分前行動や!」

 侑の顔に思い切り、書いてあるわ。「俺の知らんところで、名前の話題出すなや」と。

「侑、独占欲の強い男は嫌われるで」
「!」

 突っ込んでくる侑の耳元で、そう囁けば、侑は分かりやすく赤くなった。名字さんなこないな男に惚れられて、ほんま大変やなぁ。 

(きょうだい)

「侑」
「なんや」
「名字さんと記念日とか祝ってるん?」

 その発言に、侑はスマホを落とした。治は特に気にしもせず、チャンネルを回す。たまたまクラスメイトが今日は付き合って三ヶ月記念デートなんや〜と浮かれていたから、そういえば侑たちはどうなんやろ?くらいの興味だった。季節は本格的に寒くなり始めて、まだまだ春の訪れを感じない頃だった。治の予想が当たっているのなら、ふたりが付き合って半年ほど経っている。

「キネンビ」
「その反応やと、特に何もしてへんのか。
 まあ、名字さんまったりしとるから気にせへんタイプかもしれへんけど」
「名前のこと分かっとるような言い方すなや」
「してへんわ。
 相変わらず名字さんのことになると、頭のネジゆるゆるやな」
「うぐ」
「あ、でも、もうすぐバレンタインやん」
「あ」
「ホワイトデーに何かしてあげたら、喜ぶんちゃう?名字さんベタにネックレスとか、ええなぁって言うてたで」
「ネックレスかぁ。確かに身に付ける系はありやなぁ」
「せやろ〜」
「え、待って、何で治がそんなこと知っとるん」
「侑くんって甘いもの平気かなぁ?って、俺んとこリサーチ来てたから、それとなく聞いといた」
「……コンビニ行くけど、五百円まで奢ったる」
「おお、気前ええやん」
「今回だけや」
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