ショートケーキ

※デザートセットの番外編「アフタヌーンティー」、「シフォンケーキ」の続きになっています。



 名字名前はキッチンで紅茶を用意して、部屋に戻っただけなのに、一瞬で機嫌を悪くしている宮治に遭遇して、困っていた。

 治と彼女は相変わらずのんびりと距離を縮めており、まだ大きな一歩を進む日は訪れていなかった。最初の頃より、キスの回数は多くなっていたし、彼女から治にすることも増えていた。そのため、最近の治は機嫌が良かった。元々彼女の前で、機嫌が悪いことはなかったが、普通よりも機嫌がいいのだ。彼女に迫ることはなくなって、目に見えての彼女の変化の喜びを噛み締めているようだった。

 順調なことしかなくて、ケンカをすることもなかったはずだ。

 彼女はムスッと眉を寄せて、唇を結んで、ベッドに座る治に近寄って、声を掛ける。たれ目はいつも彼女を優しく見つめるはずなのに、いつかの双子の乱闘のときのように、治の目付きは険しかった。彼女はビクッと怖がって、泣きそうになる。彼女の怯えた顔に、治はバツが悪そうに視線を逸らした。彼女は治の隣に座ると、ぎゅっと握り拳にしている治の手を両手で包み込んで、じっと治を見上げる。

「治くんどうしたの?」
「……」
「怒ってるよね?
 私に対して怒ってるの?何か嫌なことがあったの?」

 治は彼女の問いかけに、自分が情けなくて惨めだった。付き合ってから日が経つようになって、彼女も治も以前より互いに言えることが増えたり、以前よりも素を出せるようになった。彼女は以前よりも治にたくさん言える言葉が増えたし、触れることもできるようになった。治は反対に、今のように口を噤んでしまうのだ。まるで侑と殴り合いのケンカの末、無言の対決に発展しまったときのような、態度を彼女にとってしまうのだ。

 付き合って最初の頃にあった余裕が治の中で、日に日になくなっていく。彼女のことを知って好きになるたびに、余裕がなくなっていく。独占欲は増えていくのに。

「名前の枕から」
「うん」
「……メンズシャンプーの匂いした。今までしたことあらへんかったのに」
「……もしかして、こっちの枕のこと言ってる?」
「うん」

 彼女のベッドには何故だか枕が二つある。治は初めて彼女の部屋を訪れたときから枕が二つあったので、疑問に思ったことはなかった。二つある内の、一つからメンズものの匂いが今日はしたのだ。いつものように、彼女の匂いを堪能しようとした、だけなのに。治の機嫌は急行落下である。彼女の部屋に遊びに来る回数自体がそもそも多くないので、今日こそ彼女と大きな一歩先の関係に進めるかもしれない、という期待もあったから、尚大きく機嫌が悪くなってしまった。

 彼女は治の言葉に、壁側ではない枕もって治に問いかける。治は機嫌が悪い顔のまま頷く。

「綾かなぁ」
「……東条?」
「なんかスーってするシャンプー使ってたから」

 彼女は枕に鼻を近づけて、やっぱり綾だなぁと呟いた。スーッとするシャンプー?メンソールシャンプーか?治は自分も使っているシャンプーを思い出して、確かにメンソールシャンプーによくある匂いだった。

「あ!お、治くん以外の男の子が私の部屋にくることないよ!?」
「……ほんま?」
「ほんま!も、もし仮にあったとしても、ベッドに寝させることも、座らせることもしないよ!」

 彼女はやっとなぜ治が機嫌を悪くしているのかを理解して、慌てて治が疑っていることに対して否定をする。治は拗ねた顔をして、何度も確認をする。彼女は大きく頷いて、「治くんだけだよ」と繰り返した。

「でも」
「?」

 まだ、まだ何かあるのか。彼女は枕を元に戻して、中々直らない治の機嫌に首を傾げる。

「おさむくん」
「なに」
「抱っこして」

 彼女は治の膝に乗ろうと、治の肩に手を乗せる。治は珍しい彼女からのスキンシップの申し出に驚きながら、両手を広げて、彼女を膝に迎えた。彼女は治と向き合うように治の膝を跨ぐと、治にべったりと抱き着いた。治は小さな柔い温もりを抱き締めて、彼女の髪に顔を埋めた。自分のトゲトゲとした気持ちがすぅっと消えていく気がした。

「東条も、このベッドで寝るんや……」
「え、うん、泊まりにきたときは一緒に寝てるよ?」
「泊まり!?」
「え、うん……」

 彼女は肩を両手で掴まれて、驚いて顔を上げる。ガーンとショックを受けている治に彼女は再び首を傾げてしまう。治は悲しそうに眉をハチの字にして、彼女を見下ろす。

「俺も泊まったことあらへんのに……」

 いや、治くんと綾じゃハードルがかなり違うと思うんですけど。多少各家庭の事情に差があれど、基本的に同性の友達が泊まりにくることと、異性の恋人が泊まりにくることはかなり問題が違ってくるだろう。彼女の家はとても厳しくもないが、とても緩いわけでもなかった。その証拠に、彼女はまだ親に治の存在を伝えていないのだ。まだ恥ずかしくて、言えていない。それに、こんなかっこいい恋人がいると知られたら、それこそ根掘り葉掘り聞かれることになるかもしれない。それはそれで、年ごろの彼女にとっては抵抗のあることだった。

「お、治くんはもうちょっと先だねえ」
「……」
「ほ、ほらぁ、私だって治くんのお家いきなり泊まれないでしょ?」
「……まあ、そうやけど。でも、ええなぁ、東条」

 彼女は治にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、苦笑いをしながら治の頭を撫でた。



 ずっと治は彼氏としてレベルが高いなぁと彼女は思っていた。ただ最近はちょっと違ったのかもしれない、と思い始めていた。治くんはきっと頑張っててくれたのだ。受け身で恋人らしいことがよく分からなくて、苦手な彼女のために、頑張っていた。きっと治はそのことをわざわざ彼女には言わないし、そんな風にも思っていないだろう。すっかり最近の治は甘えん坊になることが多かった。彼女の周りに少しでも他の男の影がチラつくと、目に見えて機嫌が悪くなる。そして、その後は絶対落ち込むのだ。

 治は余裕のある彼氏で居たいらしい。ぼそり、とそんな本音を漏らして、彼女は思わず笑ってしまうのだ。

「治くんかわいい」
「可愛くあらへん。俺は一々こないなことで、名前のこと困らせたくないねん。
 そう思っとるのに……」
「治くんこっち向いて」
「いやや。今絶対情けない顔しとるもん」
「私はどんな治くんの顔も見たいよ」
「怖い顔でも?」
「それはちょっと遠慮したいけど、でも本当の治くんのことが知りたいよ」

 背を向けて丸くなる治を後ろから抱きしめて、彼女は治の頭を撫で回して、丸い耳にキスをした。彼女の腕の中の、治がぴくり、と反応して、彼女は目尻を下げる。

「治くんこっち向いて」
「……バカにしん?」
「しないよ」
「絶対?」
「絶対」

 彼女が治の言葉を繰り返すと、治はやっと彼女の方を振り返った。そこには、今にもくぅんと鳴きそうな子犬のような表情をした治の姿があった。あまりにの可愛らしさに、彼女は口元が緩みそうになるが、努めて治くんのことを心配しているんだ、という顔を作る。治は彼女の胸に顔を押し付けて、ぎゅう、と彼女に抱き着いた。彼女はよしよし、と治の頭を撫でる。

「あかん。俺名前おらんとダメになりそう」
「わあ、プロポーズみたい」
「こんな情けないプロポーズ絶対いやや」
「あはは」
「なんや……名前ばっかり余裕」
「そんなことないよ。むしろ治くんが今までスマートだったから、こうやって本音見せてくれて嬉しい」

 治は顔を上げて、自分を穏やかに見つめて甘ったるく笑う彼女に、むずがゆくなって視線をそらしてしまう。ずるい。知らんかった。名前がこんな甘やかし上手なんて知らんかった。

「名前俺のこと好き?」
「好きだよ」
「……こんな面倒でも?」
「面倒じゃないよ、かわいいだよ」

 優しく眉を下げる彼女に治は再び彼女の胸に顔を埋めて、思い切り甘えるのだった。



 彼女は治に背中をじれったそうに撫でられて、びくりと肩を揺らした。治の目が物欲しげに彼女を見つめるので、彼女は治の両頬を包んで、目を閉じる。ちょん、と軽い感触がしたあとに、唇が合わさる。

「名前ええ?」
「うん……」

 彼女が頷いたことを確認して、治は彼女を押し倒した。ブラウスのボタンを外して、可愛らしい下着の上から彼女の胸に触れる。彼女は他人から触られる違和感と、恥ずかしさに耐えれず、視線を泳がせてしまう。治は彼女を怖がらせないように、ゆっくりを意識して手を動かしていた。本当はもっと欲求のままに彼女の身体に触れたいが、今衝動的になって今まで積み上げてきたものを崩すことだけは避けたかった。

「勿体ないな」
「え?」
「名前によぉ似合っとる。かわええ」
「……あ、ありがとう」
「ん」

 彼女は治に下着を褒められて、ぶわぁと耳が赤くなる。治の長い指先が下着と肌の境界をなぞって、胸元の真ん中のリボンを名残惜しそうに撫でて、治の手が彼女の背中に回った。ぷちっと呆気ない音がして、彼女の胸元はすぐ無防備になった。固まっている彼女の代わりに治が肩紐を落として、彼女の胸を隠すものはなくなってしまった。

「は、はずかしい……」
「うん」

 治は小さくなる彼女を一度抱きしめて、すぐに自分も服を脱いだ。乱雑に脱ぐ治の姿に、彼女はどうしようもなく異性としての、一面を感じてしまって、つい太ももを摺り寄せてしまう。早く治に暴かれたいような、そんな気分だった。彼女が手を伸ばすと治も、彼女を抱き締めて、ふたりはキスをした。彼女の口の中に、すぐ治の熱い舌が入ってきて、彼女の舌をすぐ絡めとってしまう。器用な治はキスをしながら、彼女の胸に再び触れる。ふにふにと感触を楽しむように揉んで、好奇心をおさえながら、やさしく指先で胸の先端を撫でる。

「んっ」
「痛い?」
「ううん……」

 彼女が否定を示して、恥ずかしそうに目を伏せるので、治は目尻を下げて、彼女の赤いほっぺにキスをする。治は指先で胸の先端を可愛がりながら、もう一方の胸の先端にキスをして、そのまま唇に含んだ。彼女は治の頭を抱えながら、腰をびくびくと揺らした。普段ご飯を美味しそうに食べている治の口が、自分の身体に、こんな風に触れているのだと思うと、恥ずかしくて気が狂いそうだった。それでも、胸の先端がじんじんとしてきて、彼女は口から小さな喘ぎ声をもらす。

「あっ、おさむ、くん」
「ん、気持ちええ?」
「……うん、でも、はずかしい」
「俺は恥ずかしないよ。名前のめっちゃ可愛いとこ見れて嬉しい」
「も、もう、ずるい」
「本当のことしか言うてへんし、ずるくありませーん」
「んう」

 彼女はタイミングよくキスで口を塞がれて、眉を顰める。だけど、すぐに目をとろんと、させてしまう。治くんの、キスずるいんだよ。ドキドキしちゃうのに、ぼーっとしちゃうっていうか。治はリラックスしている彼女の様子を確認して、彼女のスカートを脱がして、下着の上からくにくにと指先で触れる。湿っている感触に、治は彼女に気付かなれないように、そっと安心する。良かった。名前ちゃんと感じてくれとるんや。彼女は治に、誰にも触らしたことがないところを触られて、太ももを閉じてしまう。それでも、治の指先が下着越しに動くと、腰がぞくそくとして、動いてしまう。

「名前触ってもええ?」
「……」
「ほんま恥ずかしがり屋なぁ」
「だって……」

 治は目を逸らして頷く彼女に苦笑いをしながら、彼女の最後の砦に手を掛けるのだった。



「名前ほんまにだいじょうぶ?」
「うん、治くんに、してほしい」 

 治は彼女の頭を撫でて、おでこにキスをする。そぉっと彼女の中から指を抜くと、下着を脱いで、避妊具を付けた。彼女は上布団を引き上げて、その様子をちらちらと伺いながら治を大人しく待っていた。

「名前痛かったら、痛いって言うてな」
「……うん」
「我慢とかええから」
「分かった」

 彼女は素直にこくこくと頷くが、正直ちょっと怪しいだろうなと治は思った。治は彼女の足を広げて、ぐちゃぐちゃになったところに自身を押し当てて、そのままぐっと腰を押し進める。治はひどく狭くて熱い感触に、無意識のうちに眉を寄せてしまう。あかん、これ、俺の方がきついかも。治が彼女の表情を見ようとしたとき、

「!」

 聞いたこともない彼女の唸り声がして、慌てて腰を止める。彼女の顔を覗き込むと、彼女は目元を押えてぐずぐずと泣いていた。さぁーと治の顔から血の気が引いていく。

「ごめ、名前」
「うっ、ごめん、おさむくん」

 治は彼女を刺激しないように、ゆっくりと彼女の中から自分のものを抜く。どんな痛みを彼女が感じているのか治には分からない。それでも、彼女が今とても辛い思いをしていることは分かった。

「ごめん、おさむくん、あの」

 彼女が目元を押えたまま、嗚咽混じりに何とか言葉を繋ごうとしていた。治はそんな彼女を抱き締めると、首を横に振る。彼女の言いたいことは、分かるのだ。治は彼女の頭を撫でて、自分まで泣きそうになっていることに気づかなかった。

「ええから、名前は何にも気にせんで」
「で、でも」
「謝るのは俺の方や。名前に無理させた俺が悪い」
「違う、我慢できない私が」
「ちゃうねん。名前」
「え……?」

 彼女は治の大きな手に頬を包まれて、目を丸くする。自分以上に、泣きそうになっている治が目の前に居た。

「こういうのはな、どっちかが我慢してまでやるもんやないねん」
「おさむくん……」
「むしろありがとう」
「なんで」
「俺を受け入れようとしてくれて、ありがとう」

 ずるい。ずるいよ、治くん。彼女は治の手に自分の手を重ねながら、ぽろぽろと溢れてくる涙を素直に流す。

「ごめんね」
「名前が謝ることちゃうって」
「おさむくん」
「俺は名前に触れられることが嬉しい」

 そうだ。名前を自分のものにしたい。それももちろんある。でも、それ以上に彼女に、彼女へ触れることを許して貰っていることが嬉しい。名前が俺を受け入れてくれることが嬉しい。

「また、またしようね」
「うん」

 彼女が泣きながら笑って、治に小指を差し出す。治は小さな小指に自分の小指を絡めながら、彼女を自分だけのものにしたいと同じくらい、いやそれ以上に、彼女の笑顔を守っていきたいと思うのだった。
- ナノ -