孤雲


街中を歩いていた名前は、背後から声をかけられた。

「名前!」

振り返れば、そこにはド派手な赤いポニーテールの歌士がいた。

『…孫登様』

ふわりと微笑んで彼の名を呼べば、彼は従者と共に名前の目の前へと移動した。

『どうしたのです? 歌士官長が街中にいるとは珍しい』
「所用でな。お前はどうしたんだ?」
『采和がまた逃げたので、双子と共に捜索中なんです』
「藍様は逃げ足が早いからな。きっと、飯屋にでもいるぞ」

孫登はいつもと変わらず明るい声を響かせて言った。名前は袖口で口元を覆い笑顔を溢すだけであった。

『羅楼迦も、大変でしょう?』
「いえ、そこまででも」
『そう。他の方たちには会う機会が中々なくて…元気?』
「皆、変わらず過ごしています」
『それは良かった』

使役される身の二人は人目も気にせず、楽しそうに話す。
すると孫登が「藍様はいいのか?」と名前に訊ねる。
名前は思い出したように「そうでした」と言って二人に向き直る。

『それでは、この辺で。また、話ましょうね』
「あぁ、いつでも歓迎だ!」

羅楼迦はコクコクといつも通り頷く。そんな二人に名前は一礼して、その場を後にした。


街中の食堂を片っ端から名前は捜索し、とある店でやっと見つけることが出来た。
蒲牢と澄風は名前に気づくが、当の本人はまだそれに気づいてはおらず、彼女は背後から近づいた。

『師父…こんなとこまで逃げていたんですか』
「ッ!? …名前」

采和は口に物を含んだまま、後ろをゆっくりと振り返った。名前はそれに困ったように微笑んだ。

『お食事が終わってからで構いませんよ。いいですよね、蒲牢?』
「本来なら首根っこ掴んででも連れて帰るが…名前がそういうんだ。そうしよう」
「藍様は名前に感謝せねばなりませんね」

蒲牢と澄風はやれやれと言ったように苦笑する。

「おー、名前も食ってくか?」
『一葉』

采和のことだけを気にしていたので目の前に座る一葉の存在に今気づいた名前。そして…その隣に座る、赤髪の青年にも。
バチッと赤髪の青年と目が合うが、瞬時に視線を逸らした。彼は、彼であって彼ではない。それを知った時から彼女は諦めている。


話は数年前に遡る。幼い一葉が初めて潔斎をして、戻ってきた時のこと。
既に彼女は采和に使役されていて、西王母になったばかりの珠龍の面倒見を任されていた。
珠龍が瑶池宮の中を逃亡しまわり、女仙が一丸となって捜索した。
夜になっても広い宮の中は見つからず、彼女も途方に暮れていた。
そして偶然師父である采和と出くわし、珠龍と弟子である一葉と見つけたのだ。
そう、その時居合わせた白髪混じりの赤髪の青年が誰かを、彼女は悟った。

『……え?』

彼は人が変わったように、彼女の言葉にすら振り向きはしなかった。
彼は彼では無くなった。髪の色も瞳の色も、人格ですら全て。
そして彼の師父が、一葉。これが、突然消えた彼と彼女の再会だった。

「…!…名前!」
『あ……』

過去から現在に戻ったように、彼女は采和の声で現実に引き戻された。

「話聞いてなかったのか?」
『ごめんなさい…ちょっと、ボーっとしちゃってて』

そう口にした直後、采和が不安げな眼差しを名前に向けた。それに気づいた蒲牢と澄風も、表情が一変した。

『心配なさらずとも、私は大丈夫です』
「…そうか」

安心したように溜息を吐く采和。双子も安心した表情となった。
ふと一葉とテン紅がいないことに気づき、采和に視線を向けた。

「白豪だ」
『…そうですか』

後に残るは、一葉の友達もとい財布の羅漢と采和達だけ。
采和は羅漢と話が済む前に蒲牢と澄風に宮へと引きずられて行く。
その後ろ姿を見て名前は苦笑した後、羅漢に向き直りお代を出した。

「えっ!? あの…」
『気になさらないで下さい。元は師父と弟子の一葉の責。いつもこれでは、財布が空になっているでしょう?』
「あ、はい…ですが!」

名前はそっと代金を机に置き、一礼して踵を返す。そしてふと思い出したかのように、羅漢にもう一度向き直った。

『一葉のこと、よろしく頼みます』

そういい、返事を待たずして采和の後を追いかけたのだった。
後に残った羅漢は、テン紅といい名前といい、どう調教されたのか気になったらしい。



10/11/04
11/06/25 修正



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