僕たちを乖離するものすべて壊すことができたならば | ナノ




 夜は、危険な色を纏っている。
 茶の間にふたつ布団を並べて敷いて、その上にごろり、身体を転がして何となく天井を見上げてみるが、喉が異様に渇いた。まだ兄は起きているのだろうか。妹の陽毬がベッドに潜り込み、すやすやと小さな寝息を立てるのを確認してから冠葉と晶馬は彼女の部屋を後にし、眠る準備をはじめる。そういえば電気を消したのもつい先ほどの話だし、隣りで静かに息を潜める兄の気配を感じ取って、ごそごそ、落ち着かない様子で晶馬は何度も寝返りを打った。
 妙に意識してしまうのはなぜだろう。いつだか耳元で甘く、女に囁くようなそれで告げられた言葉が脳内で反響して、暗がりの中、ひとり頬を赤く染めた。兄のような人が弟の自分に特別な感情を抱いているなど、信じられるような話ではない。だから晶馬は逃げ出した。そんな、今まで見たこともないような真剣な顔をして、やさしく、それは壊れ物を扱うような手つきで頬を撫でられて、どうしたらいいかわかるはずがなかった。ごめん、なぜだか謝罪の言葉が口を突いて出て、それを聞いた冠葉がどんなふうに表情を変えたか確認する間もなく。
 その日は家に帰りたくなかった。友人の山下に泊めてもらおうかなどと考えもしたが、陽毬に余計な心配をかけたくはない、その一心で何とか戻ってはきたけれど。まともに兄の顔を見ることはできず、晶ちゃん、冠ちゃんと喧嘩したの、妹の純粋な問いにも、ううん、そんなんじゃないよ、首を振ってそう答えるのが精一杯だった。
 冠葉はといえば、至って普通だった。あの出来事が夢であったかのようで、しかし晶馬には彼が何を考えているかなど理解が及ぶはずもなく。かといってわざわざ蒸し返したくはないし、なるべくこちらも普通を装おうと努力はしたものの、やはり兄のように器用にはなれないわけで、ぎこちない、偽物の家族のようなやり取りに嫌気が差した。この前言ったことは冗談なの、それとも、本当なの。何度も聞こうと思っては踏みとどまり、あと少しのところで勇気が出せない。
 あれから一週間は経過しただろうか。ひどく、静かだ。互いの息遣いしか聞こえない空間で晶馬の心臓はどくどくと早鐘を打っており、とても眠れる気がしない。目をぎゅっと瞑っても脳が冴えてしまってだめだ。睡眠薬でもあればいいのに、ぼんやり考える晶馬の手に冠葉がそっと触れてきて、思わず肩が跳ねた。

「っ、あに、き……?」
「なんで逃げんだよ」
「……! に、逃げてなんか……」
「じゃあ俺の顔を見ない理由は?」

 暗くて気づかなかったが、認識してわかった。振り向いたすぐそこにまっすぐな視線を向けてくる冠葉の顔があって、身体が硬直する。怒っている、のだろうか。こういうときの兄はよくわからない。表情が何となく読めなくて、恐ろしい。心の中で何を思っているのか、高く壁を作って隠してしまっているようで、見えない。今にも泣き出しそうな衝動に駆られて唇を噛み、やはり晶馬は逃げるよう顔を背けた。怖い。
 背後から腕が伸びてきて胸のあたりに回され、がっちりと引き寄せられ動けなくなる。首筋に熱い吐息がかかって目尻に涙が浮かんだ。晶馬、思いつめたような声で冠葉が名を呼ぶ。なんだよ、震える声で答えたものの振り向くことはできない。兄をこんなにも恐ろしく、わけのわからない生き物だと思ったのははじめてだった。うっすらと汗ばむ肌に唇が吸いつき、ぞくぞくと嫌な感覚が背筋を走る。堪えるよう噛み締めたままの唇からは皮が切れて血が滲み、鉄の味がした。

「あに、きっ……やだ、やめて……」
「…………」
「聞いてんのかよっ……!」
「嫌なら本気で抵抗しろよ。できないくせに。……やめてなんかやらねえから」

 耳元で響く冷たい声が何度も、何度も。そうだ。抵抗なんてできるはずがない。自分がそれを望んでいたって、この腕に囚われてしまえばそんなこと、関係なくなってしまうのだから。それをわかりきった上で堂々と言い放つだなんて、ずるい。
 相変わらず歯を立てているせいで傷ついていくそれを抱きしめていた指が伸びて掠めた。声を上げる間もなく隙間を広げるよう入り込んできて、生温い舌を指先が鷲掴む。もう片方の腕がパジャマの裾を捲し上げて侵入してきて、触れた温度に悲鳴が上がりそうになったがそうもいかず。
 こんな兄は心底嫌だと思った。けれど、そんな兄に惹かれているのも事実だと思った。彼らは血を分け合った双子で、いわば二人でひとつの存在であるのだからそれも無理はないかもしれない。だからといってこんなやり方、納得はいかないし、もしも本気で冠葉が事に及ぼうとしているのならそれは決して許されてはならないのだ。わかっている。
 水滴が頬を伝って流れていき、自分が穢れていく感覚に思考が追いつかない。どうして、僕でなければならなかったんだろう。晶馬は、冠葉が今までに付き合ってきた女の顔をうまく思い出すことができなかった。

「運命なんて、くそくらえだ」



(110722)





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