そうしてまた縋りつく | ナノ




 あいつに呼び出された時点から嫌な予感はしていたのに、わざわざ出向いてやるなんて俺は一体何を考えていたのか。足が勝手に動いていた、そうだ。まったくそのとおりだ。足の裏ですり潰して殺してやりたいくらい大嫌いなノミ蟲のはずなのに不思議なこともある。いや、だからこそか。今日こそ俺の手で引導を渡してやる、そのことばかりが頭の中を駆け巡って、いつだか無理矢理渡されて以来ずっとポケットに入ったままだった合鍵でマンションのエントランスを軽々と通過し、エレベーターに乗り込むと目的の階まであっという間に到着してしまった。
 無用心なことにドアの鍵は開いていた。ノブを捻るとすぐに開いて、まるで俺を待ち構えていたかのように音もなく。いくらセキュリティが万全だからって鍵くらいかけとけよ、って、なんで俺はノミ蟲の心配なんかしてるんだ。あんなやつどこで殺されようが野垂れ死のうが知ったことじゃない。目の前から消えてくれたらひどく清々するのに。
 リビングに置かれたテレビの大画面に映し出された、自分が女のように乱れ喘ぐ映像を目に焼きつけて俺は確信した。さっさと死ねばいい。こんな、人を玩具のように弄んで悦ぶような変態野郎は何回死んでも許されることはないのだから。

「いやあ、それにしてもこの前のセックスは気持ちよかったなあ。シズちゃんとのセックスはいつも気持ちいいんだけどさ。想像以上に愉しませてくれるんだもの、やっぱり俺はシズちゃんが大好きだよ」
「残念ながら俺は手前が大嫌いだ」
「うん、知ってる。それでいい。だからほら、今日はそこで、俺の見てる前で。オナニーしてよ。ね、いいだろう?」

 つくづく、この男が嫌いだ。年中セックスセックス、それしか考えてねえのかってくらい。こいつが俺に執着してる理由はおそらくそれだけに違いない。なぜ、俺なのか、その理由は一生かけてもわからなさそうだけれど。しかし嫌いな相手の前であっさりとフローリングに座り込み、スラックスの前を寛げて性器を取り出す俺もまた。こいつのことをどうこう言えないくらいにはきっと頭がおかしい。
 きっかけは何だったか忘れてしまった。高校時代からこの関係は始まっていたのかもしれないし、卒業して再会を果たしてから始まったのかも、もしかしたらそれよりもっと後で、つい最近のことかも。俺の脳内は臨也とセックスに興じている場面しか思い出すことができない。それがいつの時間軸の話かも、結局はわからずじまいだ。
 臨也のことは嫌いで、確かに今でも殺したくてたまらないし、でもそうしようとしないのはこいつとのセックスだけは好きだから、なんだろう。自分の考えていることを深く理解しようと思ったことはない。理屈じゃないし、本能が囁くことなのだから、俺にはどうしようもできない。
 ぐっ、と既に先走りを流しはじめているそれを握りこんで、ぬるぬると滑る感覚に眉を顰めながらも上下に扱いていく。もともと自慰はあまり好きではなかった。性欲というものはどうしたって解消できないこともあるし、そのときは仕方なく今しているように耽ることもあったけれど。どちらかといえば自ら進んでやるというよりは、臨也にそれを強制されることの方が多かった。
 セックスだってそうだ。俺がしたいわけじゃない。ノミ蟲がこうして俺を呼び出したり、俺の家に押しかけてきたり、ホテルに連れ込んだり、それ以外の場所だろうとどこだろうと。よほど俺の身体が好きなんだろうと、他人事のように考えていた。シズちゃんはね、女より全然肩幅も広いし、柔らかくないし、口も悪いし、感度だってそこまでよくはないけど、でもさ、俺はもうシズちゃんじゃなきゃ勃たないよ、なんでだろうね。そう言って後ろから愉しそうに俺を犯す臨也の表情をまだ覚えている。
 そんなの俺が聞きたい。俺だって、全然わかんねえけど。お前以外に触られたって感じなくなっちまったんだよ。だからこうやって自分で触るのも、思ったよりは気持ちよくない。不感症というわけではないからまったく感じないわけではないが、それでもいつものような、あの痺れる感覚が身体の奥底から湧き上がってこない。そんな俺の様子を見てみぬふりでもしているのだろうか、携帯のカメラをこちらに向けて息を荒げているノミ蟲が何だか幸せそうで羨ましかった。こんなどうしようもない痴態を見るだけで興奮できるなんて、本当に、どうかしている。
 さらに強く力を込め、スピードを上げていき、亀頭に爪を食い込ませてみてもなぜだか絶頂を迎えることができない。苦しい、もう少しなのに。はあ、あ、あっ、無意味な吐息だけが唇から零れて、こんなにも身体が熱い。視界が掠れて何もかもがよくわからない。臨也が俺を見ている、俺の拙い自慰を凝視している、俺にカメラを向けて始めから終わりまですべてを録画している。このオナニーショーはどうせ今後しばらくの間、こいつのおかずになるに違いないのだ。さっきまで見ていたあの映像と同様に、大画面でじっくりと堪能して、隅から隅まで舐めるように見回して。飽きたらまた俺を誘って。その繰り返しだ。こいつはそれでいい。でも、俺はどうなる。こんな都合のいい茶番に毎回付き合わされて、犯されるだけ犯されて、それだけ。
 物足りなくなっているなんて。俺はこれ以上この男に何を求めようとしているんだ。わからなくなる。自分が、わからなくなる。油断した隙に臨也の足が伸びて、靴下越しに勃起した性器をぐりぐりと踏み潰した。あ。あまりの快感に意識が白くなり、黒と白を基調としたバーテン服に白濁が飛び散る。一瞬のことだった。

「っ! ふぁ、あ、……ん、ぁ、……っは、て、め……」
「踏まれて気持ちよくなってイっちゃうなんてシズちゃんもいい具合に変態になってくれたみたいだね。うれしいよ」
「ふざ、け……」
「黙れ、雌豚野郎」

 にこにこと嫌な笑みを浮かべたまま、語気を強めてそう言い放ったノミ蟲に口を噤む。確かに、こいつは事実を述べたままだ。でもそれが気に食わない。ムカつく。腹が立つ。いつもそうやって自分の好きなように、俺のことなんてどうでもよくて、俺だってこんなやつどうでもいい、そう思っている、なのに納得がいかない。
 身体の関係だけで満足がいかなくなったらそれはもう。潮時かもしれない。もともと俺とこいつとは相容れない間柄だったわけだし、離れたところでそうした方がいいに決まっている。力の入らない身体を起こそうとして、しかし、臨也の足は俺の萎えた性器をしっかりと踏んだままで、ぐにぐにと指先で弄られる感覚に眩暈がした。もうカメラはこちらに向けられていなかった。

「はい、次は後ろ向いて。俺にお尻向けて自分で穴広げていじって」
「……おい、調子に乗ってんじゃ」
「そうしたら愛してあげるよ。いい話だと思わない?」

 俺の愛が欲しくてたまらないシズちゃんには、付け加えてにんまりと笑みを溢し、再び携帯を掲げる。口を開いたまま何も言えなくなって、間抜けな顔をした俺に向かって、ぱしゃり、シャッターが切られた。
 いつだってそうだ。こいつは俺をいかにして弄んでやろうか、そのことしか考えていない。だからこれも決して愛なんかじゃないし、臨也にとっては暇つぶしのおままごとでしかないのだ。だから余計に苛立たしい。
 俺が、いつまでもお前の言いなりになると思うな。手前は常にその喉笛を掻き毟られる危険に晒されてるってことを自覚しろ。この、外道が。呟いて腰を上げた俺の瞳はきっと愛に飢えている。



(110721)





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