けだものになるための儀式 | ナノ




 臨也には噛み癖があった。暇さえあればがじがじと己の爪を噛むその姿を見て、こいつにも案外子供っぽいところがあったのかと何となく俺は思う。最初のうちはたいして気にも留めていなかった。けれどあまりにもずっと噛んでいるものだからだんだんと意識がそちらに向けられるようになって、ある日手を取り上げていつも噛まれている可哀想な爪を見たことがあった。
 男らしくもない、女みたいな綺麗な手には似合わないぼろぼろに傷ついたそれがやけに異質な光を放っていて、ひどく印象的だったのを覚えている。臨也は不機嫌そうな顔をしていたからどうせストレス解消の捌け口にでもしていたのだろう。何にせよ、爪の方に罪はないのだ。そういうのはやめろよ、ガキみたいだろ。適当に理由をつけて不揃いな爪をやすりで丁寧に磨いて整えてやる。母親みたいなことするね、溜息をつきながらも満更でもなさそうだったから、これに懲りたらもうすんなよ、本当にこいつの保護者みたいな口ぶりをしてしまった。
 それから臨也が爪を噛むことは少なくなっていって俺も何だか妙に安心したのだが、困ったことが起きた。

「あっ、あ、ん、……っ」
「シズちゃんの喘ぎ声って単調で飽きるなあ」
「うる、せ……! っ、ひゃあ!」
「そーそー、そういうのがいいんだよ。かわいいかわいい」

 馬鹿にしているとしか思えない発言に苛立ちつつも腰を揺すぶられているせいか口からはまともな言葉が出てこない。だったら俺じゃなくて違うやつとセックスすればいいだろうが、言ったところで軽く聞き流されるのがオチだろうけど。
 でも、口ではこんな意地の悪いことを言いつつも意外にいたわるようなセックスをするから調子が狂う。愛されてる、か。まあ確かに。こいつ、俺のこと結構好きだもんなあ。そういう俺も人のこと言えない、なんて。つくづく生温い関係だ。とかなんとかぼんやりとする頭で考えていたら首筋に鋭い痛みが走って喉から声にならない音がひゅう、と洩れた。

「ッ、てめ、やめろって……」
「やだ、シズちゃんおいしいんだもん」

 まるでおとぎ話の中に出てくる夜な夜な女の血を吸って歩く悪い吸血鬼みたいな、不敵な笑みを浮かべて俺の肌に歯を立てる。ようやく爪を噛まなくなったと思えばこれだ。俺の身体がちょっと人より丈夫だからって、いやそういう問題じゃねえだろ。甘噛みとかいうレベルじゃない。わりと本気で、その気になれば皮膚をむしられるんじゃないかってくらいの。ムカついたから仕返しに背中にぎっちり爪痕でも残してやろうかと思ったが、ガキの喧嘩じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しくてやめた。
 それにしたって痛い。俺でさえそう感じるんだから一般人じゃとっくに泣き喚いてるところだろう。精の匂いに混じって鉄の香りがつんと鼻をついて気持ち悪くなってきた。血ィ流しながらセックスするって、こいつは知らないけど俺にはそんな趣味ねえぞ。やめろよ、無理矢理引き剥がそうとするも腕に力が入らなくて油断していた隙に、ぐっ、腰を押し進められて情けない声が上がる。噛み痕をなぞるようにざらついた舌が這って、やばい、頭、おかしくなりそう。

「ねえ、気づいてないの」
「あ……? っ、なに、が、アッ」
「やっぱり……これだから鈍感は」

 唐突に問われ、何のことだか。ていうか主語は何だよ、伝わってこねえだろ。俺なんて今息してるだけで苦しいってのに、そんな、意図のわからない質問答えられるわけないだろうが。わかれよ。と、伝えることすら叶わないわけで相変わらず俺は臨也の下で喘ぐことしかできなかったが、そうやってわざとらしく溜息までつかれるとさすがに腹が立つ。再び首筋に顔を埋めた臨也の頬を思いっきり抓ってやると、何するんだよ横暴だな、眉間に皺を寄せ深く抉られた。

「いっ……あ、ふ、ぁっ、いざ、あ……!」
「俺が、自分の爪を噛んでたのはさ。シズちゃんへの欲情を堪えるためだったわけなんだけど」
「は、……ぁ、?」
「そんなさあ、当の本人にやめろとか言われたら今まで必死に抑え込んでたものが簡単に解き放たれちゃって、でも案の定シズちゃんは気づいてなくて、そりゃ俺がムカついてもおかしくはないだろ」

 意味がわからなかった。でも、朦朧とした頭でその言葉の意味を理解しようとして、何となくだけど理解できた瞬間に、かっと全身が熱くなって。そんなの俺が知るわけないし、ムカつかれる理由とか、俺が原因なのかもしれねえけど。だからって今度は俺のこと噛むって、欲情の対象目の前にして意味ねえだろ、馬鹿じゃねえの。
 まったく矛盾している。こいつの行動も、俺の心臓も。ノミ蟲のくせに最悪だ。いやノミ蟲だからか。ああもう、だったらもう少し加減して歯ァ立てろよ、こんなんじゃ身体保たねえだろうが、ばかやろう。



(110608)





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