二人違ってそれがいい | ナノ




#静雄が二重人格



 いつからこんな生活を続けているのだろう。始まりはもう忘れてしまった。ただ、この新宿の高層マンションの一角で彼と過ごす毎日は俺にとって確かな幸せではあった。
 何もすることがないのだからせめて家事くらいは手伝わせてほしい、そう言う彼に何度か任せてみたことはある。洗濯や掃除なら辛うじてこなせるレベルだが、不器用なシズちゃんはいまだにまともに料理ができない。包丁を握ろうものなら勢い余って自分の指を切り落とすんじゃないかとこっちが不安になって気が気ではなくなる。それ以来仕事が忙しくない日は俺が食事を作ることになっていた。
 トントンと軽快な音を立ててまな板の上の野菜を切っていく。ソファに体を沈ませ雑誌を読んでいたシズちゃんも気になるのか、カウンター越しにちらちらと視線を向けてきた。そういった彼の些細な仕草が愛らしくて俺は口元に笑みを浮かべる。

「な、何だよ。人の顔じろじろ見て」
「んー? 別に。今日も俺のシズちゃんはかわいいなって」

 少しからかってやるとすぐ顔を赤くして押し黙る。照れている証拠だ。恥ずかしいことなんていくらでもしたのに全然慣れてくれやしない。そういう初々しいところがかわいくてたまらないんだけど。
 それにしたって平和すぎるくらいに平和だ。シズちゃんとの甘い同棲生活を繰り返すだけの日々。不満があるわけじゃない。彼は最高で最愛の恋人だ。叶うならばこの先もずっとこうしていたいと思う。
 でも、だからこそ。ぬるま湯に浸かったような日常から刺激のある非日常へと、たまには足を踏み入れたくなるのが人間の性質というものであって。退屈なのはあまり好きじゃあないんだ。

「ッ……」
「おい臨也、大丈、夫……」
「ああ、少し切っただけだから……シズちゃん?」

 刃が掠めた指の腹に赤い線が浮かび上がる。薄皮が一枚切れただけだ、どうということはなかった。もちろんそうなるように自ら仕向けたのだから当たり前ではあるのだが。
 驚いて立ち上がったシズちゃんがリビングからキッチンの方へと駆けてくる。そうしてそれを見るなり動きを止め、吐き出しかけた言葉を失った。ゆっくりと視線を合わせる。彼の瞳の色が変わっていくのが手に取るようにわかった。興奮が背筋をぞくぞくと走り抜ける。気持ちが高揚しているのだろう、心臓の鼓動がどくんどくんとうるさい。俺は待っていた。彼が現れるのを。

「久しぶりだね」
「胸糞わりいんだよ……さっさと俺の前から消えろ、クソムシが」
「おお怖い怖い。シズちゃんの顔でそんな睨まないでよ」

 先ほどまで目の前で俺と会話していたシズちゃんはそこにはいなかった。いや、まったくの別人というわけではない。確かに彼も平和島静雄ではあるのだ。外見はそのままそっくりシズちゃんなのだから。
 平和島静雄は、いわゆる二重人格者であった。もっとも俺だって最初からそれを知っていたわけではない。ある特定の条件下においてのみ、普段俺が接している彼とは別の、もうひとりの平和島静雄が現れる。そう、起爆剤はこれだ。うっすらと滲む血液に舌を這わせ満足げに微笑む。
 退屈しのぎの相手―――シズちゃんと呼ぶのはまた違うと思って彼のことは静雄と呼んでいるが―――が苛立たしげに舌を打ち、唐突に俺の胸ぐらを掴み上げた。乱暴だなあ。シズちゃんは暴力なんて絶対にふるわないのに。わざとらしくその名前を出せばすかさず拳が飛んでくる。すんでのところでそれをかわし、鳩尾を蹴り上げ衝撃で膝を折ったのを組み敷いて、やれやれ、溜息をついた。仮にもシズちゃんの身体だから傷つけたくないけど俺だって死にたくはないし。仕方ない。蹲る静雄の横へ腰を下ろし、言い聞かせるように囁いた。

「あの子はかわいいよ。素直で従順で、だからこそ俺もたまに刺激が欲しくなるんだよねえ」
「だったら何だ? 死ぬか? 今すぐ殺されるか?」
「アハッ、残念ながらまだその予定はないんだ」

 嫉妬でもするかと思ったのに。案外つまらない反応で少しだけがっかりした。どうやら静雄は闘争本能の塊のようなものらしい。こうして俺を視界に入れるたびに虫を見るような嫌悪の籠った瞳を向けて、ひたすらに殺気立っていて。まだ何もした覚えはないんだけどな。それともやっぱりもうひとりの自分に嫉妬しているのか?
 静雄のことは完全に理解できていない。わからないことだらけだ。だから俺の手で明らかにしていかなきゃならない。だって静雄はシズちゃんで、俺の大切な大切なお人形なんだから、さ。

「シズちゃんが俺のものなら君だって当然俺のものになるべきだと思わないかい? ……静雄」
「誰がっ……てめえみたいなクソッタレの犬に成り下がるくらいなら死んでやるよ……!」
「……その強がりがいつまで続くのか楽しみだ、な!」

 鮮やかな金糸を掴んで顔面を床に叩きつけても一瞬呻いただけで静雄が怯むことはなかった。あんまり抵抗されると余計な傷をつけることになるから俺としてはなるべく穏便に済ませたいんだけど、まあそうもいかないか。ごめんねシズちゃん。あ、今は静雄だったか。ごめんごめん。



(110601)





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -