幸せの価値観 | ナノ




 窓の外に広がる空はどこまでも青く、澄み渡っている。こんなふうに暖かな陽射しが降り注ぐ日には、彼と永遠に終わらない鬼ごっこを繰り返していたことを思い出す。あの頃は楽しかった。俺の顔を見るたびに青筋を立てる彼の反応が何よりおもしろくて、わざわざ池袋まで出向いて。かなり無茶をしたこともあった。けれど、そのおかげで俺の心はいつも満たされていて、こんなくだらない日々がずっと続けばいいのにと、馬鹿馬鹿しくもそんな幻想を抱いたりして。
 もし時間を巻き戻すことのできる機械があるならば、俺はあの日に帰りたい。そんなこと、無理だとわかりきっているのに。なぜいつまでも祈りつづけるのだろう。神様なんていない。最初から無神論者だった俺が何を今さら。思わず自嘲して口元を緩め、食事を運んできた彼に目を向けて微笑んだ。

「どうした、何か楽しいことでもあったのか?」
「……そんなんじゃないよ。ただ、自分の愚かさに呆れただけさ」
「……飯、ちゃんと食えよ」
「うん、ありがとうシズちゃん」

 何も日常生活に支障をきたすわけではない。座っている方が楽だといえばそのとおりではあるが、歩くことは普通にできるし、走ることだってその気になれば。まあ、シズちゃんが許してくれないんだけれど。
 俺の足は、もうどうにもならない段階まで壊れていた。彼との追いかけっこが大方の原因であるのだろう、それを知ってシズちゃんはショックを受け、責任を取るだの何だのとらしくもないことを抜かして、こうして毎日仕事の合間に俺の面倒を見てくれている。まだ介護が必要な年齢じゃないはずなんだけどなあ。などとおどけた調子で笑うと余計に傷ついたような表情をする。
 本当は、シズちゃんにこんなことしてほしくなんかない。今までどおり俺に向かって罵声を浴びせて、自販機やらポストやらガードレールやらを思いきり投げつけてくればいい。俺がそれしきのことで堪えるような人間じゃないことくらい、彼だってわかっているはずなのに。シズちゃんは、変わってしまった。俺のせいで。それが俺にはつらくてたまらなかった。
 スプーンを手に取り、湯気の立つおかゆを掬って息を吹きかけながらそっと口に運ぶ。病人じゃないんだからもっとまともなものが食べたいんだけど、と言えば、これしか作れないんだよ、とぶっきらぼうに返される。そりゃあそうだ。あの平和島静雄に料理ができたとしたら俺だって驚くさ。
 でも、不謹慎かもしれないけれど。この足のおかげで、シズちゃんを束縛することができる。一生解けない呪いで縛りつけることができる。ごめんね。その謝罪の意味を知らない彼はくしゃりと微笑み、俺にはこれくらいしかできないから、そうして毛布の上から俺の足を抱きしめ、唇を寄せた。
 今、この瞬間も確かに幸せであるかもしれない。けれど、やはり俺は。もう一度この足で自由に駆け回り、シズちゃんと命を賭けた戦争をしたいのだと。零れ落ちそうになった涙を隠すように俯き、そっと彼の頭を撫でた。

「俺が、お前の足になるよ」



(110419)





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