妄覚する愛 | ナノ




 シズちゃんを愛しいと思うようになってもうどれほどの月日が流れたのだろう。人間にとっての幸せはこんなにも些細なものであったのだと、俺は今とても不思議な気分で胸を満たしている。以前、街で俺の姿を見かけるたびに食ってかかってきた彼が、慣れないながらもそっと隣に寄り添い、僅かに頬を赤らめて指を絡め、どこか恥ずかしそうに、それでも満足そうに微笑む。そんなありえない光景をどこか遠くの方から見つめ、ぼんやりと宙に思考を漂わせた。シズちゃんは俺が好きなのだろうか。俺のことが好きで、だからこうして笑顔で隣にいてくれるのだろうか。わからない。俺はシズちゃんのことを確かに好きだけれど、彼の気持ちは。そういえばシズちゃんの口から直接その言葉を耳にしたことはないような気がする。俺が紡ぐ愛を静かに笑みを湛えながら受け流し、黙って手を握りしめる。それはさながらよくできた彼の姿をしたロボットのようにも見えた。そうか。これは、今まで俺のそばにいてくれたこれは、俺の愛する平和島静雄でも何でもなかったのか。途端にどうしようもなく寂しくなった。悲しくて泣きそうになった。虚しさが心の隙間から侵食していき、俺を蝕んでいった。やり場のない思いをどうしたらいいのかわからず、立ち上がり、キッチンのまな板の上の包丁を、ぎゅう、強く掌の中に握る。そのままリビングに戻り、こちらを不思議そうに見つめるそれに向かって一瞬の躊躇いの後に思いきり、振り下ろした。傷ついた表面からあらわれたのは剥き出しの機械ではなく、美しい鮮血と剥がれた皮の下から覗く肉で、ああ、俺はショックのあまり幻を見ているのだと。それから何度も何度も。何度も何度も何度も。だっておかしいじゃないか。彼は、俺の愛したシズちゃんは池袋最強の化け物で、こんなことで傷ついたりするはずもなくて。なのにどうして。血液の生臭い香りに脳が汚染されていく。シズちゃんの表情から笑みは消えていた。彼も、悲しそうな顔をしていた。涙を流していた。ロボットのくせにそんな顔もするだなんて、無性に腹が立って、構わず皮膚を抉る。最近の機械はまるで人間そのもので、そう考えたらこの国には自分と同じ顔をしたロボットが溢れかえっているのかもしれない。シズちゃんだけじゃない、新羅やドタチン、波江さん、俺の妹たちだって。知らない間に入れ替わっていて、本人になりすまして日常生活を送っているのかもしれない。いよいよ自分自身も信じられない。俺も、俺も人間ではないのだろうか。恐ろしくなって太腿に刃を突き立て、しかしそこから溢れ出る生きた証すら信じられなくて。綺麗な瞳から流れていた水滴はいつの間にか止まり、涙の痕も乾いていた。冷たい。でもこれが彼の体温であったといわれれば、そう思えなくもない。吸い寄せられるよう、鮮血にまみれた肉に歯を立てた。そのまま咀嚼し、ごくり、喉の奥を生温かいものが通過していく。シズちゃん。震える声を振り絞って愛しい名前を呼んだ。彼はもう何も答えなかった。そうだ、これはきっと悪い夢だ。俺は悪夢を見ているんだ。次に目を覚ましたときにはまた、いつもの幸せな風景が広がっている。無機質な機械なんかじゃなくて、生身の暖かいシズちゃんが俺を抱きしめてくれる。そう、思うんだ。



(110419)





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