呪いのことば | ナノ




 数日前、俺はノミ蟲から携帯をもらった。専用機だのなんだの、よくわからないことを言われて勝手に押しつけられて。正直迷惑だった。当たり前だ。携帯なんて既に持っていたし、そもそもあいつと連絡をとるようなことなんてありえるはずがないのだから。ならばなぜ、今俺がその迷惑な機械を握りしめているのか。
実は、俺にもよくわかっていないのだが、その、家に置いてきたはずのこれが、いつの間にか鞄の中に入っていて、それで……とりあえず、そうだ、あのノミ蟲のことだから本体に何か仕掛けでもしてあるんじゃないかと思っていろいろと調べているところだ。
 そういえば、よく考えたらあの日から一度も画面を開いていない。本当にあいつ、俺に、メールや電話なんてする気でいたのか?半信半疑で、かぱ、二つ折りになっていたそれをゆっくりと開く。が、液晶画面に表示された文字を目にするなり、俺の心臓はなぜか急激な痛みを訴えてきた。その上、背後から自然に覗き込んできた新羅の気配に気づき、慌てて画面を閉じるほどに動揺もしていて。

「あれ、静雄。携帯変えたの?」
「えっ……あ、まぁ……そんなとこだ……」

 きっと俺が本当の理由を言えなかったのはノミ蟲との約束を覚えていたからじゃない。あのとき反射的な行動をとったのも、恐らくは。でも、それこそ言えるはずのないことだ。不思議そうに首を傾げる新羅を置き去りにして図書室に向かう間も俺の心情はひどく複雑で、心臓がすごい勢いで早鐘を打っていて。
 どうしたの、そんなに息切らして。何でもねぇ。そう、あのさ、俺ちょっと調べ物があってね、シズちゃんにも手伝ってもらいたいんだ。一人でやればいいだろ、ノミ蟲野郎が。それが俺一人じゃどうしようもないことなんだよ、お願い、こっち来てくれないかな。うるせぇ、一体何だっていうんだよ。
 心に油断が生まれていたのかもしれない。あの場から立ち去ることでやはり俺は安堵していた。だから、背の高い本棚の影に隠れていたノミ蟲に手首を掴まれて強く叩きつけられ、唇を奪われたところで抵抗のひとつもできなかったし、する気にもならなかった。気づいてた?今、俺たち以外に誰もいないんだよ、ここ。シズちゃんと二人っきりってわかったら、なんか急にムラムラしちゃってさぁ。
 ふつうならいきなりそんなことをされ、驚くか、怒るか、戸惑うか、何かしらの反応は見せるはずだろう。俺だってまったく抵抗がないわけではなかった。でも、この程度のことならここ数日で何度か経験しているし、不本意ながらも俺の中でノミ蟲に対して一種の慣れのようなものが生じてしまったようで、今さらどうこうしようとも思えないのだ。我ながら恐ろしい。なんせ、大嫌いだったはずのノミ蟲が俺という存在に割り入ってくることを呆気なく許容してしまっているのだから。

「こういうイケナイことってさ、誰かに見つかるかもしれないスリルがたまらなくいいよね。興奮する。……ねぇ、シズちゃん」
「なんっ……ふ、ぁ……」
「携帯、せっかくあげたのに全然使ってくれてないみたいだけど」

 どきり。確信を突かれ、思わずノミ蟲の身体を引き剥がす。自分で言うのも何だが、俺は昔から嘘をついたり隠し事をしたりするのが苦手だ。君ほどわかりやすい人間は見たことがないよ、新羅にもそう言われた。それは褒めてんのか貶してんのか、どっちなんだよ。いいことだと思うよ、僕はね。なんて、思い出に浸ってる場合じゃねぇ。
 咄嗟に鞄に突っ込んだ、先ほど開いてしまった携帯のことを思い出す。あの瞬間、俺が目にした現実は今、違うかたちでこうして目の前に突きつけられている。どうせ暇つぶしの冗談だと思っていた。こんなくだらない遊びはすぐにでも終わると思い込んでいた。だからこそ、ノミ蟲の鋭い刺すような視線から逃げることができない。

「そ、れは……」
「俺がプレゼントしたものなんだし、ああは言ったものの、恋人としてはやっぱりちゃんと使ってほしいわけなんだよね。こう、寂しいっていうか」
「っ、離れろ……の、みむし……」

 甘えるように擦り寄り、冷たい掌がすうっと頬を撫で、そのまま再び唇が重なる。角度を変え、何度も何度も小鳥が親鳥の与える餌を啄ばむように。頭の片隅で、ふざけんな、誰と誰が恋人だ、早くどっかいけ、気持ち悪い、そんな罵声が飛び交う一方で、それでもやはり俺はノミ蟲の侵蝕を許している。しつこいキスも、いやらしく這う指も、誘惑する視線も。
 違う、本当は嫌なはずだ。だって俺は最初からノミ蟲なんて眼中になかった。俺が見ているのは、今でも。同情からすべてを許し、委ねてしまうだなんてそんなの、卑怯だ。こんなのダメに決まってる。決まってる、のに。

「これじゃあ俺だけがシズちゃんのこと好きみたいじゃない?」

 そんなことを言われたら、俺はもう自分の気持ちさえもわからなくなってしまう。俺は、俺は。俺の好きな相手は。



(110212)





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