真っ赤なでんわ | ナノ




「シズちゃんってさ、携帯持ってる?」

 すっかり日も暮れた放課後。教科書を鞄にしまい帰り支度をしていた俺の背中に、嫌味を含んだ声がかかる。振り返らなくてもわかった。その名を口にするだけでも苛立ちが全身を支配し、少し気を抜けば理性を失いそうになる。入学当初からしつこく付き纏い、しまいには俺のカノジョになってよ、なんて気持ち悪いことを平気で言いやがるこいつが、俺は嫌いで嫌いで仕方なかった。聞けば中学時代は新羅とよくつるんでおり、その頃から俺のことを一方的に知っていたようだ。変態同士仲がいいんだな。たいして気にも留めていなかった俺だが、あの頃はまさかこうしてその変態に付き纏われることになるだなんて想像もしなかった。
 ……まぁ、こんなことを言っているくせに、こうして奴が近づくことを許す自分もどうかとは思うが。そのまま無視してやろうと思うものの、今日はまだいつもよりも気分がいい。会話ぐらいはしてやろう。そのままの態勢で背を向けたまま、なるべく感情を出さないよう気持ちを落ち着けながら口を開いた。

「……バカにしてんのか、手前」
「やだなぁ、そんなつもりないのに。ただ俺はシズちゃんみたいな馬鹿力を持った化け物がああいう精密な機械を壊さないように扱えるのか心配してるだけだよ」

 人のことを好きだとか何だとかほざきながら、こうやってことあるごとに化け物扱いしてきやがって。意味わかんねぇ。腹立つ。自分でもよく堪えた方だと思いつつ、相手がすべて言い終えるのを待ち、振り返りざまに拳を振り上げた。瞬間、俺の動きを読んでいたとでもいうのだろうか、ノミ蟲はノミのように素早く飛びのいて紙一重で一撃をかわす。鈍い音が教室にこだまし、俺のすぐ後ろにあった机は見るも無惨にひしゃげてしまった。どうせ明日にでもその犯人がばれて担任に呼び出しを受けることになる、いや、今はそんなことどうでもいい。今日という今日はこの最低なノミ蟲をぶん殴ってやる。
 俺はもう一度けらけらと笑うノミ蟲目がけて勢いよく殴りかかった、が、それも簡単に避けられる。勢いあまって俺の方がバランスを崩して倒れそうになる始末だ。ムカつく。ムカつく、ムカつく。ぎりぎりと奥歯を噛み締める。当の本人はといえば、わざとらしく肩を竦めて、危ないなぁ、もう、思ってもいないような顔で飄々と言ってのけた。殺す。絶対に殺す。俺の中でノミ蟲への殺意がめらめらと膨れ上がった。

「で、シズちゃん。俺の質問には答えてくれないの?」

 質問って何だよ。怒りで興奮気味の俺だったが、ここでキレたら奴の思うつぼだ、ひとまず深呼吸をして冷静になる努力をした。あれ、シズちゃんもちゃんと学習できるんだ、偉いね。くすくすといやらしくほくそ笑んだノミ蟲の指がさり気なく頬を撫でる。気持ち悪ぃ、何なんだこいつ! 驚いて一歩下がり距離をとる。大丈夫だよ、別に取って食ったりしないからさ、今は。どこか意味深な言葉を吐いて、奴も俺から離れた。
 わからない。こいつの考えていることが。俺のことを好きだと言ったり、嫌いだと言ったり、近づいては離れて。まるで、何かの調教でもされているみたいだ、なんて。一瞬でもそんなことを考えてしまった自分の脳内を呪いつつ、相手の様子を窺う。どうやら純粋にこちらの質問の答えを待っているらしく、手出ししてくる雰囲気ではなさそうだ。
 なぜそんな個人的なことをこいつに教えなければならないのか、些か疑問ではあるが、逆にこんなことを教えたくらいでどうなるわけでもないだろう。早く解放されるというのならそれが一番だ。釈然とはしないが、仕方ない。募る苛立ちと込み上げる意味のわからない感情を心の奥底にしまいこみ、渇いた喉から言葉を搾り出す。

「……幽に、連絡とれないと不便だからって言われて……一応、持ってるけど」
「そう。じゃ、これあげる」
「……? なんだ、これ……」

 弟の名前を出した瞬間、ノミ蟲が眉を顰めたように見えたが、気のせいだろう。それより、掌の上に乗せられた物体に俺の注目は集められた。こいつの眼と同じ色をした、深い、どこまでも深い真紅。俺はそれの名前を知っていたが、あまりにも唐突すぎて、何より、やはりノミ蟲の行動がわからなさすぎて、戸惑うしか術がなかった。
 ぽかんと口を開け、よほど間抜けな顔をしていたのか、俺を見てたまらずノミ蟲が笑いを溢す。普段ならば罵声を上げて殴りかかっているところだが、今はそれどころではない。事態を把握するための時間が必要だ。それなのにノミ蟲は、混乱する俺をよそにぺらぺらと喋り出す。まるですべてを予知していたとでもいうかのように。

「何って、携帯だよ。ふつうのやつじゃないけどね。シズちゃんのためにわざわざ用意した、俺としか連絡のとれない専用機。ほら、オソロイでかわいいでしょ?」
「……何を企んでやがる?」
「人聞きの悪い。俺は、シズちゃんともっともーっと、仲良くなりたいだけだよ」

 あ、心配しないでね。月にかかるお金は全部俺が払うから。大丈夫、シズちゃんは何も気にかけないでいいんだよ。メールも電話も好きなだけして、ね。いや、そんなこと言っても恥ずかしがり屋のシズちゃんには無理な話か。ま、それでも別にいいや。俺の自己満足でやってることだからさ。俺の携帯にはシズちゃんの名前しか登録されてないし、シズちゃんの携帯には俺の名前しか登録されてない。これって、すごく素敵なことだよね。だからシズちゃん、俺たちだけの秘密だよ。ああ、なんかやらしい響きだね、こういうの。悪くない。
 俺の掌に乗せられたそれと、まったく同じ色をしたそれを手の中で弄びながら、ノミ蟲はうれしそうに嗤う。その日を境に、俺たちの関係は変わった。最後に、耳元にねっとりと絡みつく幸せな呪いを残して。

「これで独り占めできるね、」



(110211)





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