ヒーロー | ナノ




#来神時代
#静雄がいじめられる




 異変に気づいたのは、一年の夏頃のことだった。それまで俺は「そういったこと」が行われている現場に遭遇したことはあったものの、実際に自分がその立場に置かれるという経験をしたことがなかったから、頭の中が真っ白になっていくあの感覚は今でも忘れられない。
 最初は、本当に些細な変化だったと思う。登校時に持ってきて机の中にしまっておいた教科書やノートがびりびりに破かれていたり、ロッカーの中を荒らされたり、靴を隠されたり。俺は確かにそれを見て動揺し、怖くもなったが、まだ平静を装っていられた。クラスの一部の、俺を気に食わない存在と見なしている誰かが、警告としてこのような陰湿な真似をしているのだろうと。こんな馬鹿げたこと、すぐにぴたりとなくなると完全に確信していた。
 でも。次の日も、その次の日も、それは続いた。そしてだんだんと行為もエスカレートしていき、俺の目の前でそれが行われるようになった。机に「死ね」「消えろ」、カッターで刻まれた文字。ライターで燃やされる体操服。そして俺は知った。主犯は一人や二人ではない、クラスの全員なのだと。
 友達と思い込んでいた親しい人間も冷めた目で俺を見下し、さっさといなくなれと吐き捨てた。担任はもはや手に負えないものと諦め、止めようとしなければ、俺に関わろうともしなくなった。そうしてついに俺の机や椅子、その他の私物は教室からなくなり、居場所すら奪われてしまった。足を踏み入れることすら許されず、一歩その領域に立ち入ろうとすればものすごい勢いで突き飛ばされ、殴られる。クラスメイトの嘲笑が耳から離れない。家でも落ち着いて眠ることができない。それでも家族の前では笑っていることしかできない弱い自分に嫌気が差した。
 今日も俺はいつもどおり鞄を肩に下げて登校する。すれ違う生徒たちのひそひそと噂話をする声。教室に近づく足の動きが止まりそうになる。ふと顔を上げれば、いつもの見慣れた姿が四、五人、俺の前に立ちはだかり、ぐるりと周囲を取り囲んだ。そのまま手首を強く掴まれ、廊下を引きずられていく。ああまただよ、くすくす、笑い声。強く目を瞑る。
 僅かな抵抗も相手にされず、気づけば冷たいトイレの個室に押し込められて。はぁい、平和島くん、シャワーの時間ですよぉ。下卑た笑い声と共に頭の上から泥水が降り注ぐ。冷たい、汚い。言葉を発する間もなく次から次へと。止まらない。もう、やめて、やめてくれ。鼻の中にも口の中にも入ってきてうまく喋れない。苦しい。このまま死ぬのか、俺。寒さに意識が遠のく。
 がちゃり、外側の衝立が外れて扉が開き、俺はどさりと倒れこんだ。あーあ、気絶しちゃったよ。どうする? ほっといたら死ぬんじゃねぇの? こんなやつ死んだって誰も悲しまないだろ。アハハ、それもそうだな。おい、臭ぇからさっさと戻ろうぜ。足音が遠ざかっていく。
 体が震えるのは寒さからか、それとも恐怖からか。わからなかった。でも、不思議と涙はこぼれなかった。もう限界かもしれない。とにかく動かなければ、体を起こそうとするも力が入らない。ぺたぺた。上履きが床と擦れる音がする。もしかしてまた誰かが。怖くなって思わず目を伏せた。

「……ちょっと、君……大丈夫? しっかり!」

 それは、今まで俺が心のどこかで求めていて、でも手に入らなかったもの。差し伸べられた掌を握る勇気はなく、見つめることすらおこがましい気もした。黒い学生服に身を包んだ彼の上着がそっと肩にかけられる。汚れるからいけない、振り払おうとしたがそうすることはできなかった。インナーと同じ、いや、それよりも濃く深い、真紅に見据えられて。思わず息が詰まった。

「もう、怖い思いはさせないから」

 俺は都合のいい夢を見ているのかもしれない。そうだとしても、今だけは夢の中で、彼に縋りつくことが許されるだろうか。



(110205)





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