従順なからだ | ナノ




 別にノミ蟲のためなんかじゃない。俺があいつからもらった携帯をまだ一度も使っていないことを知ってノミ蟲が寂しそうな顔をしていたなんて全然知らないし。大体そんなことはまったく関係ない。ただ何となく、だ。右手に握りしめた真っ赤な携帯電話を眺めながら度重なるやつの不可解な言動を思い出す。
 どうやら俺たちは恋人同士だと周りからも認識されているようだ。気に入らない。確かにキスも、そういう……それよりもっと深いこともすでに経験済みではあるがそれとこれとは話が違う。あいつが囁く愛の言葉だってどう考えても信用ならないだろう。俺だってわかっている。
 でも、この間から何かがおかしい。俺の頭の中は四六時中ノミ蟲で埋め尽くされていて、特にあいつの声や、指の動きを思い出すときに限って身体が急激に熱を帯びるのだ。悔しいがそれで自慰に耽ったことも何度かある。もちろんそんなことあいつには絶対に話したりしていない。俺はそんな、ノミ蟲のことなんて。
 二つ折りになっていた画面を開き震える指でボタンを押そうとする。しかしあと一歩というところで踏みとどまってしまう。最近はこの繰り返しだ。女々しいというか何というか。ノミ蟲の言葉が脳裏を過ぎる。シズちゃん、ほんとは俺のこと好きで好きでたまらないんでしょ。そんなわけあるか。バカバカしい。どうして俺がよりにもよってあんなやつを。
 ……あ、やばい。まただ。中心が熱くなるのを感じて思わず前を寛げる。勃ちあがりはじめ、先端から汁を垂らすそれに嫌気が差した。ふざけんなよ。今度会ったら殴ってやる。内心で毒を吐きながら左手をそっと添える。熱い。そのまま上下に扱き徐々に刺激を与えていった。あいつにされているような錯覚を覚えながら。

「……、あ、……ふ、ぅ……っ……」

 持っていた携帯を放り投げ、右手で口を押さえる。こんな自分の声が気持ち悪くてたまらないし、何よりノミ蟲との行為を思い出すのが嫌だったから。他の男と経験があったわけではないが、抱かれること自体にそこまでの抵抗はなかった。だからこそ、だ。初めての相手がよりにもよってあのノミ蟲だなんて笑い話もいいところだろう。
 しかもなぜ俺は無抵抗に、同じことを繰り返すのか。好きだから?違う、そんなわけない。そう言い聞かせながらも相変わらず脳内ではノミ蟲のことしか考えていない。あいつを思いながら興奮して自慰にまで至るなんて認めたくはないが。
 より反応を示す自身を握りしめ断続的に息を洩らす。苦しい。と、その瞬間だった。ベッドの上の携帯がぶるぶるとタイミングよく震えだしたのは。一瞬息が止まる。快楽に没頭していた脳を現実へと引き戻し、俺は右手でそれを掴んだ。液晶に表示される名前はいつもと同じ。ぎり、歯を鳴らして通話ボタンを押す。今思えばわざわざ出てやることなんてなかったんじゃないか、なんて。

『あ、起きてた。ごめんね、こんな夜遅くに』
「……、何の……用……だよ」
『いや、特にこれといって用事があったわけじゃないんだけどさあ。……ところでシズちゃん、何してたの?』
「お前には、関係ねぇだろ……」
『冷たいなー……ま、いいんだけど。……ねえ、今から俺の言うとおりにしてよ』

 嫌な予感がした。よく考えたら、あの日以来俺の行動はすべてあいつに把握されていた気がする。あいつの目の届かないところで俺が何をしていたのかも、すべて。俺はそのことを知っていた。知った上でこの携帯を肌身離さず持ち歩いていた。そして今、その信じがたい事実に気づかされ愕然とした。俺は無意識のうちにノミ蟲に監視され、束縛されることを快感としていたのだ。

『そのまま後ろに指もってって……入れられるよね?』
「っ、……」
『できるよね? シズちゃん』

 俺には拒否権がないとでもいうのだろうか。いや、違う。ノミ蟲は俺が絶対に命令を拒まないと確信を持っている。そういうふうに調教したからだ。俺は知らないところで、そうじゃない、最初から全部知っていて享受した。気づかないふりをしてノミ蟲の責任にすることで逃げていた。
 恐る恐る自身を握っていた手を離し、それをそのまま後ろに宛がう。いつもあいつにされていることだ。すでに先走りで濡れている中指を一本、挿入する。気持ちいい。純粋にそう思った。驚くほどの快感が全身を駆け巡る。あいつに調教されたこの身体はこんなにも従順で気持ち悪いのに。そのままさらに力を入れ、一気に根本まで突き進める。それでもまだ足りない。あと少しなのに届いてくれない。

「ひぁ、あっ、……ふ、ぇ……」
『ん、いい子。じゃあ次はシズちゃんの気持ちいいところに届くようにがんばって動かしてみて。いつも俺がしてあげてるみたいに』
「む、りぃ……も、……ああっ……!」
『ええ? まだ全然がんばってないじゃない。嘘ついても俺にはすぐバレちゃうよ』

 目の前で見ているかのような口ぶりに思わず鳥肌が立つ。受話器越しに伝わってくる吐息混じりの声が俺の理性を奪っていく。必死になってぐちゅぐちゅと卑猥な水音を立てながら指を動かしてもかえってもどかしいだけだ。あいつみたいに長くないし、爪も伸びていないし、こんなんじゃ全然気持ちよくなれない。ただ内側を引っ掻き回して焦らすだけ。その度に女みたいな声が唇の隙間から漏れて、かわいいなあ、もう、ノミ蟲が茶化すように笑う。
 携帯を握る手に力が入らない。それほどに身体が快楽に溺れきっていて他のことなど考える余裕もなかった。普段ならとっくに罵倒しているところだが、残念ながら今の俺は情けなく喘ぐことしかできない。だめだ、これ以上は。丸めた身体をびくびくと震わせ、蚊の鳴くような声で訴える。向こう側で溜息をつきながらもノミ蟲は実に愉しそうだった。

『……ま、シズちゃんにしてはよくやった方かもね。ご褒美あげよっか』
「あ、……う、っ……ん……」
『俺の家、おいで。かわいがってあげる』

 こんな卑怯な人間相手に期待する俺も相当飼い慣らされたもんだな。ぼんやりとおぼろげな頭で考えながら通話を切った。



(110218)





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