欲しがりでごめんね | ナノ




「昨日ね、オレ処女卒業したんスよ」

 夏休み最後の日。練習で汗を流した後の身体を冷やすにはちょうどいい、蝉が鳴き喚く灼熱の外界からはすっかり隔絶されたファミレス店内にて。
 今日はオレがおごるっスよ、などと、次の瞬間には、財布事情的な意味で咄嗟に撤回したくなるような台詞を、躊躇いもなく平然と吐き出した相手の面目を潰すのも悪いと思い、適当に注文を済ませた青峰が彼に向き直った直後のことであった。
 それは偶然にも目の前のグラスに入った水が喉を通過していった折の話だったため、噎せこんだ彼がどういった状況に陥ってしまったかどうかなど、説明せずとも容易に想像はつくだろう。漫画のギャグシーンのように凄まじい勢いで青峰の口から噴射された水は、その正面に座っていた黄瀬の顔面に容赦なくぶちまけられ、しまいにはまったく関係のない周囲の人間の注目まで集めてしまう始末である。
 せっかくキメてきたのに台無しじゃん、と嘆きながら、ペーパーで水気を拭き取る黄瀬の言葉など聞き入れる余裕もない青峰は、いまだに肩で息をしながらぜえぜえと呼吸を乱している。だって、開口一番にあんなことを言われれば、きっと誰だってこうなることは決まりきっていただろう。

「つーか、耳の話だからねこれ。昨日も話したと思うんスけど」
「っ、はぁ、ッ……う、……んなの、興味ねーし、覚えてねーよ……!」
「ちょ……、人の一大決心をなかったことにするとか! マジで最低だな!」

 ぷりぷりと憤慨した様子で唇を尖らせる彼の言い分は無視して、ようやく落ち着いたところでもう一度水を飲み干した。ただでさえ疲弊しているというのに、今ので余計に体力を使ってしまったことになる。まったくろくなことをしない、この男は。
 いつだって黄瀬は青峰にとって厄介事になるような問題ばかり抱えてきたし、誕生日である今日くらいは静かな一日を過ごせるとばかり思っていたのに。そんな甘い考えを抱いていた自分が誰よりも愚かであったと、深い溜息を吐き出しながら、青峰はこのタイミングで運ばれてきたポテトフライを指で摘み上げた。
 皮にまぶされた塩加減はちょうどよく、小腹を満たすのにもちょうどいい。持ち合わせの少ない中学生が体験できる贅沢など、きっとこの日を逃せばあと一年は巡ってこないに決まっているだろうから、普段の罪滅ぼしも兼ねて今日はとことんこいつの金を使ってやろう、密かに逡巡する青峰の腹の底など、黄瀬はどうでもいいと考えているのか。
 いや、どうやらそんなことよりもっと重要なことが彼にはあるらしい。ねぇオレの話聞いてる? 何本目かのポテトを頬張る青峰に向かって口やかましく問いかける黄瀬はまるで小言の多い彼女のようで、そのわりにはオレ、こいつに組み敷かれてばっかだな、などとうっかり余計なことを考えてしまったら、途端に羞恥心が込み上げてきた、とは言えるはずもなかった。

「だからさぁ、オレも青峰っちの処女がほしい」
「だから、の意味がわかんねーよ。キメェ」
「……なんでわかんないんスかこのアホは……あっちの処女はもうとっくにもらってるわけだから、って、これはさすがにわざわざ言わなくてもわかるか……痛ッ!」
「ッ、黙ってろ黄瀬ェ! ブン殴る!」
「殴ったあとに言うセリフじゃないっスよねそれ!」

 たんこぶができそうなほどの強烈な一撃を頭頂部にくらい、思わず頭を抱えながら涙を浮かべて叫ぶ黄瀬は、視界の隅でちらちらとこちらに向けられている視線に気付いて、それきり黙り込んだ。
 考えてもみればここは公共の場で、自分たちしかいないいつもの蒸されきった部活後の体育館とは勝手が違う。いくら中学生とはいえど場所も弁えずに大声で喚くのは如何なものかと、主将に注意されていたことを思い出しつつ、ようやく静かになった青峰へ、そっと窺うように目線をやった。
 彼の褐色の肌の下でもわかるくらいには赤く染まった頬に、殴られた痛みも吹き飛んで、黄瀬の表情が綻ぶ。それを見て、なにニヤニヤ笑ってんだこっち見んなと言わんばかりの視線で、ぎりりと睨みつけてくる青峰に何か言葉を投げかけようとしたところ、ようやく主食の定食が運ばれてきた。
 食後にデザートを頼んだだけの黄瀬の目の前には、いまだ何の料理も置かれることなく、そこだけぽっかりとした空間になってしまっている。それを何とも思うことなく、遠慮もなしに食事にありつく青峰は、やはりいつもの彼のままだ。
 誕生日だからといってきっと特別なことなど何もない。彼にとっては何でもない、いつもの一日がただ少しばかり豪華に彩られているような感覚でしかなくて、そんな飾らない彼だからこそ、自分は愛しいと思えるのだと、フォークに突き刺さった肉が口の中に消えていく様をぼんやり眺めながら黄瀬は考える。

「……あー……。……勃った」
「あぁ!?」
「いや、どうやって青峰っちに穴開けようかいろいろ考えてたんスけどね。最終的には、痛いって言うかなとか、もしかして泣いちゃうのかなとか、もっとっておねだりされるのかなとか、……」

 そこまで言ってしまってから、青峰が食べるのを中断してまでわなわなと肩を震わせているのに、慌てて黄瀬は言葉を区切った。危ない危ない。これ以上妄想を並べていたら危うく傷害事件が起きるところだった。そんなことにでもなれば、さすがに選手生命を絶たれてしまうかもしれないし、何より彼のバスケが見られなくなるのは嫌だ。
 こんなふざけた欲望にまみれた妄言を吐いたところで、結局黄瀬は青峰のバスケが一番好きなのだから。それを最も近い場所で見ていたかったから、この手を取ったのだ。そこに不純な気持ちは一切ないし、まぁ、というのは半分嘘かもしれないけれど。つまり、青峰を好きである心に偽りがなければそれでいい。

「でも、やっぱ処女はちょうだい」
「……テメェ……だからいい加減に、」
「だってそのためにオレ、片方しか開けなかったんスよ。……ね、責任とって」

 一番にはなれないかもしれない。だから特別になりたい、なんて都合のいい願望。でも散々罵詈雑言を喚き散らしたってそれを許してくれるんだから、オレもなかなか愛されてるなぁ、とか。そんな僭上たる優越感に、今日くらいは浸らせてください。



(120831)
青峰ハッピーバースデー!





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