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 コートの外に立ち、監督さながらメンバーに的確な指示を出す、自分と年端も変わらない少年の姿を何度も見てきたことがある。その顔つきは実に精悍で、凛々しく、それでいて妖艶であり、試合の流れなど関係なく、見る者の視線を釘付けにすらしていた。かくいうオレもその一人で、許されることならば時を止めて、その揺るぎなく針のように鋭い視線の先を見つめていたいと思った。
 部を束ねるキャプテンという名の下に、頂点に君臨する彼にとって、勝利を掴み取るということは呼吸をすることと同義ともいう。それほどに彼の勝利に対する異様なまでの執着心は、一介の部員にすぎないオレたち一人一人にまで伝わってきたし、それを鵜呑みにするだけでなく、実際に試合に勝つことを余儀なくされていたのも事実だった。
 敗北の二文字を知らない彼だからこそ、それは無理強いでも何でもなく、オレたちに求める当然の結果なのであって、逆にそこまで信頼されていると思えば、むしろ情熱を掻き立てられるのが自然なことでもある。そういった彼の完璧主義な部分が、一癖も二癖もあるオレたちを纏めるために必要な要素であったことは、おそらく言うまでもないだろう。
 けれど、赤司征十郎は、まだ誰も知り得ない秘密を己の内側にひっそりと隠匿していた。彼自身、それに気付いてか気付かないでか、真意のほどはわからない。ただ、オレは知っていた。オレだけは、彼のすべてを知っていた。

「黄瀬、何をしている。お前も外周だ、さっさと行ってこい」
「ス、スンマセン!」

 腕を組んで立ち尽くす、自分よりも小柄な少年がこちらにぎろりと視線を向けてきたのに、オレは背筋をきっちりと正してそのまま回れ右をし、グラウンドに向かって駆けていった。汗ひとつかかない、彼の涼しげな横顔が、脳内で何度も繰り返し再生される。彼を知る人間なら誰しも、その表情が歪められる機会など、この先ただの一度きりも訪れないであろうと、声を揃えてそう口にするに決まっていた。





 噴き出す汗をタオルで拭い、トレーニングシャツから制服へと袖を通す。肌にまとわりつくべたべたとしたそれは不快でしかなかったが、何だか勲章の証のようで、オレは嫌いではなかった。
 群れになって帰っていくチームメイトの後ろ姿を目で見送りつつ、ロッカーの扉を閉めたオレは、背後でじっと一冊のノートを眺めている赤司っちへと視線をやった。試合の戦略がぎっしりと、まるでゲームの攻略本のように書き連ねられたそれは、彼がいつも大切に持ち歩いているものだ。
 他校の選手情報は常にマネージャーの桃っちが余すことなく収集しているため、実際に試合でどう動くべきかといった、具体的な対策を練るのは赤司っちの役目でもあった。勝利に対して貪欲な彼は、練習試合ひとつにしても一切手を抜くことはない。勝者の驕りというものはすべて捨て去り、完膚なきまでに相手を叩きのめすことを正論としているから、その徹底ぶりにはほとほと感心する。
 そんな赤司っちのやり方に、何だかんだと愚痴を溢しながらもきちんとついていくオレたちもやはり、根本的な部分では彼と大差ないのだろう、そう思った。生まれながらにして常人が持ち得ないような天賦の才能を身につけていたオレたちの頭のネジは、すでに何本か外れてしまっているのかもしれない。
 それこそが普通であると、そう信じて疑わないことこそが愚かであると、どうしようもなく物思いに耽ってみたこともあった。でも、そうしたところで何が変わるわけでもなく、具体的な解決法が見つかるわけでもなかったので、すっかりオレは模索することをやめてしまったのだった。

「……帰らないのか?」
「ちょっと『赤司君』と話したいなぁ、と思って」
「……余計な詮索は無駄だ。アレは二度と姿を現さない。少なくともお前の前にはな」
「勘違いしないでくれる? これはお願いじゃなくて、命令っスよ」

 ノートに視線を落としていた赤司っちが顔を上げる。それを驚くほど冷たい眼差しで見下し、オレは、言い聞かせるように彼と目線を合わせた。途端、それまで鉄面皮を貫き通していた彼の表情が僅かに歪む。そうして今にも泣き出しそうなほどに眉をくの字に曲げ、端正に整った顔を静かに崩壊させていった。
 脅しというわけではないけれど、赤司っちのような人間に言うことを聞かせるには、こうした方法が一番効果的であることを、今までの経験上、オレは学習している。自分で言うのも何だが、一応、普段は「愛嬌のあるいじられ役キャラ」として罷り通っているため、本性を剥き出しにすれば大抵の人間は驚いて息を呑んでくれるのだ。
 だからといって、オレも滅多にこれを人前に曝け出そうとは思わない。たんに、こんな醜く汚い、歪みきった自分が好きで好きで仕方がないから、簡単にその姿を不特定多数の人間に見せたくない、といった自身の我が儘なのだけれど。だから、オレにとって赤司っちは特別だ。少なくとも、本当のオレを見せるに値する人間だと認めてやるくらいには。

「こんにちは、『赤司君』。おしゃべりするのは久しぶりっスね」
「……僕が、何をしたっていうんだ、……構うな、やめろ、やめてくれ……」
「やだなー、人を悪者みたいに……ただオレは『赤司っち』より『赤司君』の方が好きだから、こうやって定期的に会いたいなって思ってるだけっスよ」
「……こんな、『赤司征十郎』にとって邪魔でしかない、不完全でちっぽけな存在の僕を? 涼太、やはりお前の言うことは僕には理解できない」
「だからいいんじゃないっスか」

 先ほどまでとは打って変わった様子で、オレの宥めるようなやさしい声色にもあからさまに脅えた反応を見せる彼を安心させるよう、腕を伸ばしてそっと、その小柄な身体を抱きしめてやる。彼の身体はがちがちとひどく震えていたが、小さな子供をあやすように何度か背中を撫でてやると、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
 本当に完璧な人間などこの世にはいない、というのがオレの持論であり、それはおそらく赤司っち相手にも同じように言えることだろうと、以前から目星は付けていたのだったが、先日、ついにそのカラクリが解けた。絶対的な勝利にのみ執着し、敗北などというものは一切認めない彼が表の人格ならば、その逆もまた然り。
 オレ自身、いわゆる二重人格者と呼ばれる存在にはいまだかつてお目にかかったことがないので、俄かには信じがたい話であったのだが。その完璧すぎる余裕の表情をどうにかして崩してみたいと、ついうっかり手を出してしまったところ、呆気なく化けの皮は剥がれ、本来そうあるべき「赤司征十郎」が姿を現したというわけである。
 彼は驚くほどに弱い人間だった。今までオレが目にしてきた赤司っちという人間を全否定したくなるくらい、弱虫で、傷つきやすくて、当然自信になど満ち溢れているはずもなくて。そんな彼の内側に眠るもう一人の「彼」に出会ってしまった以上、オレがそれを見過ごせるわけがなかった。
 根本から覆されていくオレの中の「赤司征十郎」は、蓋を開けてみれば何の変哲もないごく普通の中学生でしかなくて、その、何よりも弱い、庇護すべき対象の彼に、容赦ない言葉や暴力を浴びせることの心地よさが、知らずと癖になってしまったのがそもそもの発端であったような気がする。
 あれ以来「赤司君」はオレの前に姿を見せなくなっていたのだが、引き摺り出すこと自体は、決して難しくない。赤司っちが心のどこかでオレへの恐怖心を拭いきれていない以上、本人の意思とは無関係にその脆弱さは呆気なく露見してしまうものだから。何も恐れることなどないし、普段通り、腕を組んでどっしり構えていればいいものを。
 やはり彼は、脆い。

「そんなにビビんなくてもいいのに。オレ、まだ何もしてないっスよ?」
「まだ、という言葉ほど信用できないものはないよ。そう言ってお前は僕の頬を殴るのだろうし、皮膚が、唇が切れて、血が滲み出れば、より一層興奮するに決まっている。『彼』の内側からずっとお前を見張っていた僕が言うのだから間違いはない」
「……やれやれ、反論する余地もないっスね」
「予感はしていたんだ。いずれこうなることは、僕も『彼』もわかっていた。だから忠告をしたのに、あいつは無視を決め込んだ。己の力を過信した。その結果がこれなら、僕にはもう何も言えない。『彼』が見誤ったおかげで、僕は、オレは」

 精神状態の均衡が崩れてきているのであろう、頭を抱えて力なく首を左右に振る赤司っちは、まるで壊れた人形のようで、誰かが支えてやらねばそのまま自我を失ってしまいそうにも見えた。だから、そのために、オレが必要なんだ。
 彼のすべてを知っているオレなら、一番近くで、寄り添いながら、彼を救うことができる。そうしてきちんと正しい知識を植えつけてやるのだ。アンタを生かすも殺すも、すべてはオレ次第だと。
 相変わらずどこか脅えている赤司っちの肩を抱き寄せようとして、その腕が、ぱしん、小気味よい音を立てて勢いよく払われたのに、オレは一瞬面食らったけれど。すぐにまた、くく、見下すような嘲笑を込めた蔑視を向けてやった。

「だからといって、そう易々とオレの手を捻ろうなどと考えてくれるなよ。まだお前のような劣悪種相手に手綱を握られるほど落ちぶれちゃあいないからな」
「……だからー、オレが用があるのは『赤司君』の方なんだって……物分かりの悪い『赤司っち』は好きじゃないっスよ」
「ああ、そうか。それは残念だ。だったら自力で引き摺り出してやったらいい、お得意の方法で、な」
「……いいよ、いずれアンタも思い知ることになる」

 翼の折れた鳥は二度と大空を自由に飛び回ることができないのだから、彼と、彼らに待ち受けるどうしようもない未来の話は、今語るべきでもない。世界のすべてに絶望した彼が、果たして何に縋りつくのか、今から楽しみで仕方がなかった。



(120804)





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