こんなよくある小さな幸せ | ナノ




「お前、なんか欲しいもんとかねーの」

 日が暮れ、ようやく辺りが陰りはじめてきた頃合いになっても、この時期はまだまだ蒸し暑くてたまらない。とはいえ、バスケをするのに季節は関係ないのであって、額から滲み出る汗も何のその、首にかけたスポーツタオルでそれを拭うと、ボールを拾い上げた火神は声の主の方へと視線をやった。
 夏休みに突入し、それぞれ毎日学校での練習はあるものの、それだけでは物足りず、結局部活後にこうして1on1に明け暮れている馬鹿など、探しても自分たちくらいのものだろう。それもそのはずで、生活リズムが同じなのだから、どちらかが誘いをかければもう片方がそれに応じるのもごく当たり前の話である。まぁ、それ以前に彼らは何より互いのバスケが好きで仕方ないのだったけれど。
 バッグを肩にかけ、とっくに帰り支度を終えていた青峰は、突然の問いかけにきょとんと放心している火神の前で、おーい、手を振った。そこでやっと我に返ったのか、はっと顔を上げて、彼が口にした言葉といえば。

「……青峰、今何時だ?」
「あ? 六時くらいじゃねーの……って、オイ! どこ行くんだよ!」
「肉の特売日! 忘れてた!」

 こんなときにでもすぐに思考を切り替えられるのは、彼の優れた長所ともいえるが、しかし、これでは自分の母親よりもよほど主婦らしいというか何というか。そもそも話を逸らされてしまったことに対して青峰は文句を言いたかったのだが、それすらも言う隙を与えないままに、火神が明後日の方向へ駆け出していったために、あとは溜息を吐き出すことしか出来なかった。
 何を隠そう、明日は火神の誕生日、らしい。というのも、この前偶然黒子と話していた際にその情報を手に入れたので、火神の方もまさか青峰が自分の誕生日を知っているとは思わないだろう。
 普段世話になっていることも含め、サプライズで何かプレゼントでも用意してやろうと考えていたのだが、如何せん、彼の欲しがるようなものが思い浮かばない。だからといって他人にそれを相談するのも負けを認めるようで悔しいし、こうなればもう直接本人に聞きただすしかないと、行動に出たのであったが。計画は失敗に終わり、とっくに姿の見えなくなってしまった火神の背中を思い出しつつ、青峰は思わず舌を打った。
 とことん思い通りにならない。同棲をはじめてもう数ヶ月になるが、火神とは上手くいくことばかりではなかった。自分と彼とが同じような人種であることは百も承知なので、単なる同族嫌悪なのであろうことも何となく理解はしている。それでも、一緒に住んでいるのはやはりそれなりに思うところがあってのことなのだと、少なくとも青峰はそう考えていたから、苛立ちを募らせてもいた。火神の鈍感っぷりにはもちろん、自身の空回りっぷりにも。
 とはいえ、素直に感情を吐露することはなかなか難しい。火神を好いている気持ちに偽りはないが、面と向かってそれを言うのも迷いがある。だからそこは彼の方に空気を読んで察してもらいたいのに、そう上手く事が運ぶわけもなく。

「何してんだよ、まだこんなとこ歩いてたのか」
「……うっせーな……疲れてんだよ。で、目的のもんは買えたのか?」
「おう、バッチリ! 購買の争奪戦で鍛えられた甲斐があったぜ……つーわけで、喜べ、今日は奮発して焼肉だ」
「……ハッ、たかがタイムセール品で調子のってんじゃねーぞ、バ火神」

 ちょうどスーパーから出てきた火神が、嬉々とした表情で戦利品の詰まったビニール袋をぶら下げ、青峰を出迎えた。その笑顔が何だか小憎たらしくてたまらなくて、がら空きの額へすかさずデコピンをかます。かなりの衝撃だったらしく、正面からまともに食らったことも相まって、思わず足元をふらつかせた火神の手から荷物を引っ手繰り、結局尻もちをついてしまった彼のことは置いてけぼりにして、青峰はとっとと前を歩いていく。
 背後から当然のように浴びせられる罵声は右から左へ受け流し、肩にスポーツバッグ、右手でボールをころころと遊ばせながら、左手から伝わる肉のずっしりとした重みに目を細めた。何も変わらない、いつも通りの平凡な毎日。退屈だった日々に意味を与えてくれたこの男の存在に、青峰はきっと自分が思う以上に感謝していた。
 今のところ、青峰が勝負で火神に負けたことはない。しかし、いくら負けようと決して諦めることなく、むしろその悔しさをバネに立ち向かってくる火神の前向きな姿勢が、青峰の心にふたたび火を付けるきっかけとなったことは明らかだった。
 だから、というわけでもないけれど、願うことならば彼とのバスケはこのまま続けていきたいし、好きなときに好きなようにバスケをするには、一緒に暮らしていた方がやはり何かと都合がいい。結局のところ、すべてはそこに起因するのであったが、しかし別に言い訳をしているわけでもあるまいし。バスケが重要なのはお互い様であって、けれどそれ以上の何かが二人の仲を取り持っているのであって、とうに理解はできているけれど、それが伝わらないのが何とも言えずもどかしい。

「ふざけんなアホ峰! イテェだろーが!」
「んなことでギャーギャー騒いでんじゃねーよ。……それよりさっきの質問の答え、まだ聞いてねーんだけど」
「質問? ……ああ、欲しいもん、だっけ……そんなん言われてもすぐに思いつかねーしなぁ……新しいバッシュとか?」
「高校生にそんな高いもん買わせる気かよ、バカか、やっぱりバ火神か」
「バカバカ連呼してんじゃね、……って、何? お前、オレになんか買ってくれんのか? なんで?」

 すぐに追いついた火神は息を弾ませながら青峰の横に並び、純粋な問いを投げかけつつ、肉の入ったビニール袋を取り戻そうとしたが、どうやら返してはもらえなかったらしい。悪態を吐きながらも諦めたのか、そのまま肩を並べて人通りの少ない住宅街を、めずらしくゆったりとしたペースで歩んでいく。
 いつもならばさっさとシャワーが浴びたいだの、腹が減っただの眠いだの、ぶつぶつと文句を垂れながら早足でマンションまでの道を辿る青峰が、今日はいつになくおとなしいので、何だかとても不気味だ。先ほどからの意図が読めない質問の意味も気になってはみたものの、聞き出せるような雰囲気ではなさそうだし。隣を歩く、でかい図体をした騒がしい男が静寂を保っているのは、ありがたいことだと思ったが、これほどまでに落ち着かないとは。
 というより、そもそも自分の隣を青峰が歩いていることに、もはや何の違和感も覚えなくなってしまっている事実に、おそらく火神は気付いていないのだろう。そうすることがあまりに自然すぎて、実感できなくなってしまっている。本来ならば、あの家に住むのは火神一人だけなのであって、この場に青峰の姿などあるはずもないのに。
 彼が自分から離れていく可能性など、今まで考えたこともなかった。だから当然、不安に思うこともなかった。今、唐突に胸が押し潰されそうになっている理由を、火神は知らない。

「……あのなぁ、そういうときは嘘でも、お前と一緒にいられればそれでいい、の一言くらい言っとけ。オレの立場ってもんがねーだろ」
「ハァ……? さっきから何が言いたいんだよ、……」
「だから、誕生日くらい好きなだけ甘えろってことだよ。……バーカ」

 ここまで言わせんな、そうぼやいて、ぽかんと口を開けたまま動きを止めた火神の唇を不意打ちで掠め取る。生憎と、二人の邪魔をする通行人の姿はなかったが、それに対して火神が憤慨したのも仕方のないことであった。
 からかうように笑って駆け足で逃げていくその背中を追う。近いのに遠い、憧れのような存在。越えようとしても越えられない聳え立つ壁。けれど、いつかそれを超えてしまったとき、この関係は壊れてしまうのだろうか。柄にもなく不安になる心臓を押さえつけながら、全力で逃げる青峰を火神が疾風のごとく追いかける。さながらそれは永遠の鬼ごっこのようで、自分に彼を捕まえることはきっとできないのだろうなと、どこか他人事のように思った。
 火神の部屋のある階までマンションの階段を一気に駆け上がり、ようやく到着したところで二人してぜえぜえと息を切らす。せっかく引いてきたと思った汗がまた噴き出しているのが何だか馬鹿らしく思えてきて、お互いの顔を見て思わず指をさして笑った。
 そうしてひとしきり笑い終わったあと、鍵を取り出して差し込み、ドアノブを回しながら、ぼそり、火神が呟く。

「じゃあ、……明日はずっと家にいろよな……」
「……、……あー、……お前、なんでふつうにそういうこと言えんだよ……」

 人の気も知らないで、溢した言葉は果たして火神の耳に届いたのか届かなかったのか。振り向いて確認しようとした動作は青峰によって遮られ、そのままドアに押しつけられるように身動きが取れなくなる。マンションの共有スペースである廊下は、しんと静まり返っており、人の気配は感じられない。背中から伝わる青峰の温度と、耳元で囁く熱を孕んだ言葉が、ぞくぞくと快感となって全身を駆け抜けていったような気がした。

「悪ィ、我慢、できそうにねーや」

 激しく喚く心臓の鼓動が鳴り止まない。いっそこのまま破裂でもしてしまえば楽になれるのにと、心底そう願ってやまなかった。



(120802)
かがみんハッピーバースデー!





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