たおやかな束縛 | ナノ




 木漏れ日の差し込む穏やかな午後、普段通りの優雅な仕草でティーカップを傾けているこいつの態度が何となく気に入らなくて、豪華な調度品で飾り立てられた部屋の中をやたらと動き回りながら、俺は一人落ち着かずにいた。
 わざわざ嫌っている奴の家に足を運ぶだなんて俺も大概だが、招かれた限りは一応顔を出してやるのが最低限の礼儀だとは心得ている。
 というのは都合のいい弁明であって、本当のところは、彼女に会えるかもしれないと淡い希望を抱いてのことであったのだけれど。まあそんなもの、最初から期待するだけ無駄だということくらいは容易に想像できた結果だった。

「ずっとそうしていたら疲れるだろう。座ったらどうだい」
「……まるで俺がここに長居でもするみたいな言い方だな」
「せっかく招待したのだから、たまには羽根を伸ばすといい。私なりの君への気遣いのつもりだったんだけどね。余計なお世話だったかな」

 それまで焦がれるように窓の外を眺めていた時臣が、何気なくこちらを振り返って優美に微笑む。完璧なまでの笑顔。誰だってその、奴の見るからに人を虜にするような優しさに満ち溢れた表情に釘付けになるのだろう。
 彼女もそのうちの一人だった。俺が気付いたときには既に、時臣の横で、何ら違和感もなく、まるで聖母のような慈愛に満ちた笑みを湛えて。そこで俺ははじめて己の犯した失態を悔やんだ。一見瓜二つに見える二人の笑顔は、俺の目にはまったく別物に映っていたのであって、彼女を止めることができなかった自分の愚かさに吐き気を催した。
 彼女は幸せになれない、俺のせいで。だから考えるだけで反吐が出るような魔術師の家になど、生まれたくはなかったのに。きっと奴の立ち位置にいたのが俺であったとしても、さほど未来は変わらなかったのではないかと、そう、思った。

「……そう、怖い顔で睨まないでくれ。君の言わんとしていることは理解しているつもりだが、しかしこれは彼女自身の選択だ。私が強要したわけではない」
「んなことわかってる……ッ! だから、俺は……何より自分の不甲斐なさに、腹が立つ……」

 人の家など知ったことかと、悔しさで思いきり壁を殴ると、骨にひびが入ったかのような衝撃が全身を貫いた。俺の身体ももう人間として機能している部分は少なく、僅かな掠り傷さえ命取りとなるような、脆弱極まりない状態だ。そんな自分自身の現状を一瞬でも忘れてしまうくらいには、俺にとってあの人は大切な存在で。
 太陽みたいだった。俺の行く先をずっと遠くまで照らし出してくれるような、温かさと強さを兼ね備えた道標。彼女がいたから俺はあの家での生活に堪えてこれたし、きっとこれからも、彼女のために血反吐を吐いてまで必死に生きていくのだろうと思っていた。それなのに、全部奪ったのは結局のところ、この狡猾な魔術師の所業に違いないわけで。
 張りつけたような笑顔を浮かべているわりには、大して隠し立てすることもなく見下したような視線をこちらへ向け、愚の骨頂だとでも言わんばかりにその唇を歪めている。俺はこいつが、許せない。

「私が憎いかい、雁夜?」
「っ……当たり前のこと聞いてんじゃ、……!」
「ああ、いいさ。一向に憎んでくれて構わない。何であるにせよ、君から感情をぶつけられるのは、嫌いじゃない」

 指先の感覚が麻痺していき、やがて立っていることも儘ならなくなったため、その場に膝を折る。くそ、俺としたことが油断した。道理でさっきからあいつが余裕ぶっこいてたわけだ。ここに呼ばれた以上、こうなることは予測できてたっていうのに。
 身体が重い。全身を鉛で押し潰されたかのようでひどく気分が悪い。どうにかして倒れてしまわないように伸ばした手は、俺とは違ってひどく健康的な色をした時臣のそれが掴み取った。真綿で首を絞めるようにじわじわと、指の一本一本が絡みついてくる動作が、やけにスローに映って、思考、も、判断も、まるで追いついては、くれ、ない。

「でもきっと、彼女は悲しむだろうね」

 ただ俺は、できることならば今すぐにでも、この男を殺してやりたいと思うだけだ。



(120831)





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